迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

避けて通れぬ、小動物とトラブル小噺

10月31日に発生した京急の停電…その原因が、屋外電気設備にヤモリが侵入し、ショートした事によるモノという事だが、実はこういった機材トラブルは現代社会の抱える問題であり、特に電気系統のトラブルは、些細な事で大停電に至る為、管理上常に頭痛のタネになりやすい。水没対策や埃除けはやってても、ゴキブリも含めた小動物が絡むと、万全な体制を取ったつもりでも失敗することが多い。

 

 

 

 

 

結構有名な話ではあるが、JR和歌山線JR五位堂駅付近では、近所の水田や溜池から亀が出てきて、ポイントマシーンに挟まる事による信号トラブルが頻発してた。そこでその対策に頭を抱えていたところ、ポイントマシーンの下にU字溝を仕込み、亀を落とす様にしたところ、トラブルの発生が激減した…根本的な解決策とは言えなくても、地域特性や生態系の事情を踏まえれば、結果オーライなのはいうまでもなく、原因が判らずに手を拱いてる訳ではないから、これはこれでいいのである。

 

農業やってるといつも悩まされるのが、田畑での“獣食被害”…地域や時期によって様々と違うが、猪と鹿、猿はガチで年中問題になり易い。特にこの時期は、冬場に向けて体脂肪を貯め込み、飢餓と寒さに備えようと食欲旺盛で、見つけ次第駆逐しないと厄介…特に軟弱葉物野菜は、鹿にとっちゃ貴重な“冬のご馳走”だから、一度味しめると、毎度の如く襲撃対象になる為、電気柵や防獣ネットの設置が重要になり、コレが甘いと、洒落にならん食害を受ける事になる…猪も、梅雨時から収穫前の田圃に侵入しては“泥浴び”をするモンだから、罠を仕掛けて駆逐しないと、コメの収穫に響く。果樹農家だと、猿と鳥…それこそカラスやスズメならともかく、場合によってはウグイスや絶滅危惧種メジロ等、難儀なモノまで“敵”になる。

 

話が逸れたんで、小動物と電気系統のトラブルに関しての話に元に戻すと、対策として防塵シールドの強化や排気口部分に目が細かいステンレス金網を仕込んだりしてはいるが、それが仇になってたりする…定期点検や整備の際に設備の点検用扉の開閉をやってると、その隙に虫やネズミが入り込んで、そのまま閉じ込めてしまったり、防塵シールドのパッキンの一部が経年劣化で破損してても、その交換が容易でないが為に、その破損部分から侵入を許してしまう訳である。特にネズミが侵入すると、田舎なトコだと自ずとヘビが獲物を追いかけて侵入する事もあり、また、齧歯類(ネズミやリスの仲間)は光ファイバーケーブルや電線を木の枝や蔓と勘違いして齧った挙句、巣作り部材として持ち去る事も…(自宅でCATVが映らなくなって原因調べたら、光ファイバーと同軸アンテナケーブルが齧られて断線してた経験アリw ちなみに、ホームモデムもイカれてた為、プロバイダから無償交換受けました…)

 

小動物にとって、これからの時期はそれこそ、家電や電子機器から出る排熱は、それこそ鹿の食害同様に生命維持の為に重要な熱源であり、故に隙あらば入り込みたい訳である…JAFや自動車関連の事業者団体がこの時期から呼び掛ける“猫バンバン”と同じで、故に“暖房が効いた部屋”に閉じ篭りたいあまりに、変電設備に侵入して感電する訳である。当然、電線齧って感電したネズミに金属片が付けば、そこから電気(通電)火災に発展する場合もある。今回のケースでは、ヤモリが感電して焦げた程度で済んだものの、最悪は変電設備が爆散してた可能性もある。そうなると、本当に些細なミスから大惨事…という、笑うに笑えない事態になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

首都圏のタワマンが、水害で悲惨な状態になったのは、こういった大掛かりな電気設備の設置箇所が、地下に設置しているからと、その防水対策が全然できてなかったが故であるが、これ以上に小動物…特にゴキブリとネズミは、侵入を許してはいけない“究極の天敵”である。これらが隙を突いて侵入し感電事故を起こせば、エレベーターも給水ポンプも動かなくなり、復旧までに時間を要せば、最上階の住民は地獄絵図を見る羽目になる。(去年の大阪北部地震の時でも、義母の転院当日だった事もあって、エレベーター使えずに難儀した挙句、後日腰痛が…w)病院ですら、入院患者によっては生命維持の機器が動かなくなれば、最悪、それが原因で死ぬ事になる。だからこそ、小動物による電気系統の事故だけは、できれば御免被りたい話である…鉄道で動物との衝突(接触)事故なんて、もっととんでもない話で、現時点では新幹線とぶつかってミンチになる事案は人間以外では聞かない(いや、人間ミンチの方が恐いだろうがw)ものの、在来線の地方線だとそれによる運休や遅延がよくあるから、大回り乗車フリーク(?)にとっちゃ、ガチで頭痛い話で(ry

この世はまさに“大貧困”時代なのかもしれない…

前回(10月23日更新)の流れから、今回は宗教哲学に絡んだ部分も含めた、昨今の富裕層と言われる人々の傾向について。政府が公費で国賓を接待した件で、SNSの意識高い系アカウントが政府をボロカスに叩いてるのは、毎度ながら“お約束”と言わざる得ない程のレベルだが、根本的に、国家レベルの要人を接遇(要はおもてなし)するのは、国際社会において交渉事をやる上での礼儀であり、招かれた要人もまた、分相応の礼儀を重じて正装を纏う。そして、何よりも国の品格とは、この接遇に対して、如何に恥を掻かずに相手を満足させ、対等な立場で物事を進めるかに掛かってる。故に、最高級の食材と、品位ある調度品、万全な警備体制を備えるのであって、雑多なスラム街に、一つでも場違いな程品格ある料亭旅館があっても使い勝手が悪いし、警備の都合で山奥に迎賓館を作ったとしても、その道中のインフラ(特に道路事情)が悪ければ、招かれた賓客も大恥を掻く事になりかねない。

 

 

 

 

 

昨今の“大富豪”…特にIT関連で億万長者になった人に多い“ミニマム生活”という習慣は、一見すると貧乏臭い見映えだが、それが格好いい風に見えるのは、自分の体型や生活習慣の改善があってこそ成せるモノであり、当然、さりげない贅沢をやった上での話だ。つまり、ファーストアパレルでトータルファッションを調えていても、時計や靴、アクセサリーに品の良いモノを身に付けてたり、上質な香りを纏っているなら、決して“ミニマム”とは言えない…そう、安っぽい格好でも、自分の拘りで選ぶ最高級の何かを、さりげなく使い熟すからこそ“格好いい”のであり、逆に、これ見よがしにブランド品でゴリギリに身を固めようが、貴金属アクセサリーを持ってても、そして、体質に合わない香料(安物の香水や芳香剤等)で体臭を誤摩化したトコで、そこには品位も何もない…ただただみっともないだけである。

 

そんな事も知らぬ人ほど、政府や皇室批判に躍起になる訳で、ある意味無責任な僻みを述べてるに過ぎない。もっと言えば、国産の最高級食材を供するのが許せないと言ってるなら、それは全国の農家を敵に回す行為であり、漆器工芸家具を“贅沢品”と叩くなら、それは日本中の工芸作家を愚弄する一言になる…当然、道路整備や防災対策を“税の無駄”と斬り捨てたなら、今回の広域での水害被害はそのツケであり、宮中行事を中止しろと言い放ったのであれば、被災地へ皇族方が慰問される事を断るべきだ。何故なら、本物の富裕層とは、有事の時程私財を抛げうって地域の災害復興に尽力するだけじゃなく、海外要人に協力を呼び掛ける…その為の接待であり、実情を把握する為に外を出歩くのである。そこに掛かる費用など、これから必要となる災害復興や防災整備事業、更には国際間での諍いを避ける為に必要な最低限度の防衛力維持を踏まえれば微々たるモノであり、それらは巡り巡って、必ず自分の生活環境にも反映されるモノである。

 

なのに、それでも政府や皇族に批判的な意見を言い放つ人は、どんなに資産を持っていようが、どんなに優れた学歴を誇ろうが、結局は“それだけ”のビンボー人ですw 正確に言えば、礼儀や所作を学ばず、正しい経済の仕組みを知らず、単に他人よりも“自分”の有能さに自惚れて、周りが見えなくなった、“精神貧困者”です。豊かさとは、金銭の有無でも、学歴的優劣でもなく、心の…精神的な充足感が有るか否かです。つまり、金銭や物質的には他者が羨む様な、一見すれば大富豪でも、血縁関係ある家族に対しても不信感を抱えていたら、その時点でその人の価値観には金品以外“存在しない”から、どうしても溜め込むのです…虚しさをなんとかして埋め合わせようと。それ故に、たとえ地元地域が甚大な被害に見舞われようと、一銭も金を出さずに遠方へ逃げたり、敷地内に避難しようとした人を排斥したり、避難所の配給される食糧を独り占めしようと躍起になるのです。当然ですが、こういう人程、自衛隊の救援が遅いと文句言うし、税金払うの渋るくせに河川の氾濫を“行政がお粗末だw”と罵るし…

 

 

 

 

 

 

そんな“世間知らずな金持ち”が世界中に蔓延ってたら、そりゃ、誰も彼も、世界中どこでも“大貧困”ですわw 何度も言いますが、親政(独裁)政治を布く国であっても、分相応に民衆の“生活を守る”為に散財してたら、誰も文句言いません。社会共産主義でも、宗教倫理に基づいた国家運営をやってるのであれば、多少の齟齬があっても、社会を支え合う基盤が崩れる事はありません。しかし…歴史上これらが“否定”された背景にあるのは、すべて“心か貧困”だからこそ、民衆は暴挙に出て、“自らの意思”で破壊したのです。その上で“新しい国のあり方”を模索するうちに疲弊し、元の木阿弥に堕ちる訳であり、いつまで経っても“恒久平和”の実現ができないのです。何故なら、“豊かさ”を求めるうちに、充足感が麻痺し、本当の“幸福”そのものを、いつしか捨て去ってしまってるからです。だからこそ、少し立ち止まって考える事も、その為に心身共に休む時間も必要なのです…そこに気付かせるのが、宗教の本意の一端であり、その哲学に立脚した概念がある人こそ、本物の“大富豪”なのです。まさしく『蔵の財より(中略)心の財第一なり』なのです!

皇室は“独裁者”ではなく、日本国民の“あるべき模範”です。

今月22日に行われた天皇即位の儀式、SNSでのTLを散見すると、とんでもなくファンタジーな現象が起きたと、軽く明るい話題があった訳だが、日本がこういうノーテンキな国でいられるのは、天皇という存在に対する根本概念自体が、政治とは全く“別なモノ”として捉えてる部分があり、また、国という組織そのものを“宗教”として考えると、その頂点に据えられた存在は、“神の化身”であると同時に、国家安寧に不可欠な“生贄”という位置付けだからこその“奇跡”とも言えるかもしれない。つまり、古来より国を司る“神聖な人柱”である事が、皇室の長とも言える天皇のあるべき姿であり、故に、現代社会に於いて、政治を国民に信託し一線を引く事で、日本は“民主主義国家”として成り立ってると考えた方がスマートと言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

さて、皇室行事に対し、一定数の批判的意見も散見される訳だが、こういう意見で目立つ“税の無駄”という意見は、正直いえば完全に的外れだし、宗教儀式に政府官僚や大臣が関わるのはよろしくないという批判もまた、憲法が定める“信仰の自由”そのものを履き違えてると言わざる得ない。ま、宗教関連については後日、学会員の立場として纏めてやるとして、所謂“人民解放革命”と表して皇室行事を批判する連中に対して斬り捨てる話をやっておこうと思う。それは、世界中の絶対王政、あるいは立憲君主制国家とは、大まかに2つの姿があって、一概に“王に隷属”という考えは間違いだって話である。独裁政治とて、成り行きでそうなっちゃったトコと、当事者が単に支配欲が強過ぎて拗れたのとでは意味が変わってくる。

 

王侯貴族による統治が行われてきた国には、日本や英国王室の様に、政治に関しては国民に信託し、基本は国際交流の場や有事の際に表舞台で民衆を鼓舞させる位に留めるトコもあれば、中東諸国の様に直接政治に手を出して、民衆の生活や安全を守る為に奮闘するトコもある。当然、最高責任者の地位が、国によって(価値観も含めて)差異があるが、根本的な部分はほぼ同じである…が、問題は、王室(皇室)や責任者が本当に“悪の権化”ではないのに、不平不満をブチ撒ける標的にして、それを倒す(あるいは消滅させる)事を主眼に“革命”を叫ぶ人が、実力行使の名の下に暴力を振るう事である。確かに、フランス革命ロシア革命は、最終的に皇帝貴族を“公開処刑”して民主化共産国家へと変貌したが、コレは、その前提として王侯貴族や一部の官僚による横暴な政策によって民衆が苦しめられた…という“前提条件”が存在し、この件においては、古来に日本(てか大和朝廷)でもあった話であり、崇峻天皇もそれが理由で家臣に殺害された訳である。

 

しかし、それで“民衆解放”となったかと言えばそうじゃなく、単に支配階級が変わっただけで、庶民が本気で求める“解放された自由な社会”とは程遠い、政治的混乱が余計に酷くなったのは、歴史の流れ上、毎度の如く発生してる訳で、そこからやっと、“自由”の本意に気付いた民衆が、自らの襟を糺し、あるべき国家運営の模範を築いてきた訳である。つまり、支配者となるべき人物が抱える、本質的な“欲望と闇”を、いかに見抜いてコントロールするかが、親性王政(王室の気分次第で行う政治)から脱却を図る民主国家の課題であり、また、社会共産主義国家でも、同一の問題があって、そこんトコで一悶着があった訳である。故に、“マルクス・レーニン主義”を標榜しソビエト連邦を纏めたスターリンは、事もあろうにレーニンを神格化して、その“正統後継者”と表して、反対意見を唱える他者を次々と“始末”した訳であり、その範に習って同じ事をやったのが中国の江沢民毛沢東の意思を継いだとしてやった“文化大革命”なる暴挙であり、カンボジアポル・ポトとその一味がやった大量虐殺である。(で、そこに便乗して問題を起こしたのが金日成であり、朝鮮半島の歴史問題において日韓関係が毎度拗れる背景にあるのが、実はここだったりする訳である。)

 

“親性”という言葉が出てきたが、コレは最高責任者…国家元首による独裁の言い方を変えたモノであり、要はトップダウンで物事が決まる、議会や家臣の忠義を全く無視して、“最高責任者”という権限のみで傍若無人な政治をやる方法ではあるが、何もそれ自体が“悪”であるとは限らないのであって、有事の際…特に大規模自然災害(今年の台風19号による広域での大水害や、東日本大震災の様なケース)が発生した時に、チマチマと議会を招集して討議するより、一発号令で救援や復興に予算や専門家を派遣する分には有効な手立てである。状況の把握に時間を割くより、とりあえず被災者救助の為に軍隊(日本の場合は自衛隊)の派遣と、生活再建に必要な最低限の“見舞金”支給を、財政に構わずやれるのが“良き独裁者”とも言える訳で、その際に自分に不都合な存在を排斥する行為をどさくさ紛れで行えば、そのツケがどっかで生じる訳である…今日のドイツでヒトラーが嫌われる最大の理屈がそれであり、特にユダヤ人差別のみならず、LGBTに対しても批判的で排除対象だったのはいうまでもなく、先天性の身障者も、有無も言わさず“処分対象”となったのは、あまり知られていない“闇”である。

 

 

 

 

 

話があらぬ方へと吹っ飛んだんで、日本の皇室批判に対する勘違いを一言で斬り捨てると、今の皇室は室町時代(てか、南北朝時代)以降、殆ど“御飾り”状態であり、国家元首という意味で、自らの意思で政治に関与した事は、全くと言ってない。昭和天皇ですら、結局は当時の軍部や政治家に立場を(大日本帝国憲法に基づいて)利用された訳であり、むしろ終戦後にGHQ相手に、戦争責任として命を抛つ事を厭わなかった…つまり、“民のため”という一言をもって“A級戦犯”として処刑される事を望まれた訳であり、それを止めたのが、英国王室と国家だったのはいうまでもない。(ま、その裏に、ソ連の思惑を牽制する、アメリカの策略もあった訳だが…)そういう事も知らずに、皇室を批判するのであれば、日本で生活する分には別に放っておくが、それを理由に暴力を振るい、巻き添いで無関係な民衆を一人でも傷付ける事は、日本国民として絶対許してはならない…日本国民は誰一人として、皇族に隷属してるのではなく、“対等な存在”として認めているからだ。

財政とインフラ整備の板挟みな話…

まず先に、今年の台風15号、および19号で被災された方にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方に哀悼の意を表します…今回の場合、特に農作被害が尋常ではない件に関し、同じ農家の者として、非常に心を痛めてます。

 

 

 

 

さて…今回は前回のネタで、地方自治体が抱える共通問題の“インフラ整備”と、防災意識は時として、“二律背反”な話になりやすい件について。北陸新幹線長野車両基地が水没して、ツラちゃん…もとい、E7(W7)が一部廃車になる事態となってる訳だが、コレに関して色々意見が散見されるものの、明確な決定打、解決策は残念ながら“存在しない”としか言い様がない。なぜなら、交通網整備事業や通信環境、利水・治水事業の多くを“税金の無駄”と言って切り捨て、財政改善策ばかり求めたからこその“結果”として、甚大な災害が起きた途端に生活基盤そのものも潰された訳であって、それを“選んだ”のは“自分自身”だという自覚そのものが、国民の意識に全然ないから、ついつい政府や自治体、挙句は警察や消防、自衛隊のせいにして文句垂れる訳である。だったら、もう一回社会科…主に近代・現代史と地理、公民を履修しろやと小一時間(ry

 

それはさておき、インフラ整備と防災がなんで二律背反になるのか?その根本原因を精査すれば、“何のための開発整備”という概念に、ズレがあるからこそである。つまり、都市部と田舎で“モノの価値観”そのものが共有できてない事が根底にあり、また、土地開発事業の多くは、旧来の集落住人に対し、立ち退き(移転)も含めた協力が不可欠だからである。しかも“開発反対”の理由が千差万別で一概に言えないから、非常に厄介なのである。

 

もっと言えば、防災のために移住しろと役人に言われる事に対する反発の多くは、“自分に無関係”という認識があって、しかも居住地が現行の地に、先祖代々から住んでて家督を継いだとなれば、その意識故に“ナンデヤネン”ってなる訳である。

 

しかし…物事を冷静に郷土史を精査したり、土木関連学を調べ直すと、自ずと行政からの指示に納得できる話であり、また、計画の内容に意見する事もできるようになる。何故なら、過去の地名の由来や河川(治水)自行の変遷、更には物流に関わるインフラ整備の多くは、地形や地質的特性を活かした上で計画されているからであり、高度成長期において、そこんトコを無視した開発が行われた事情として、急速な戦後復興を求めたが故の弊害が、今頃になって…正確には老朽化による脆弱性が露見する様になったに過ぎないからである。つまり、開発事業の一部は、既存の設備では対応し切れないほど老朽化していて、更新を行う必要性があっての話だし、その為の公共事業を“税の無駄”として切り詰めた結果、憲法が保障する国民の財産保持と生存権が蔑ろになる事態に陥った次第である。もっと言えば、国民自身が目先の金銭問題のみで騒いだ結果、国として保障するとした全てを“無駄”と言って廃棄を求めたのは、皮肉な事に国民自身なのだという、民主国家故のジレンマが見え隠れしてる訳である。

 

 

 

 

 

 

 

ここを踏まえた上で、オイラ流の暴論を言えば、土木・建設業が活況じゃなければ日本の経済そのものがオワコンだって事になる…つまり、公共性に高いインフラ事業を国が発注しないと、土木従事者の人材確保もできないし、品質の良い建設部材を仕入れる事も、新素材を開発するにも、更には原材料となる資材や作物を供給する事も“できない”って話であり、土木以外の職種なら引く手数多といっても、特殊技能が必須だと、結果、それ故に費用がかかる…主たる収入源が枯渇してるのに、賃金を上げられないと言い訳すれば、当然、誰もやらなくなる…といった悪循環を繰り返すだけである。しかし、それを“望んだ”のは国民自身…社会科を疎かにして、暗記や一夜漬けを美德にしてきた教育の堕落による結果であり、不平不満を役人や政治家に言ったトコで、何の解決策にもならない。むしろ、この機会だから、一度腰を据えて、社会科全般を学び直すべきではなかろうか?

 

何故福井県に原発が集中してるのか?な話

政界スキャンダルに発展する勢いで発覚した、高浜原発絡みの関電汚職…そもそも、何で福井県の嶺南地方に関電の原発が集中してるのか?それは地形や気候条件、更には京阪神に程近い立地条件といった、表向きの理屈がいくつも存在する訳だが、それは裏を返せば、この地域に主だった産業が、第一次産業農林水産業以外が乏しかったという、世知辛い話が根本にあり、また、工場誘致を行うにも、交通インフラの整備が遅れてて、物流面でのハンデが大きすぎるという事情が介在する訳である…つまり、公的企業であり、大都市圏のエネルギー事情を下支えしてる企業である関電の施設を誘致するのは、若年層の雇用促進と、それに伴うインフラ整備の資金稼ぎにうってつけだった事情があっての話である。

 

 

 

 

 

 

が、なんで高浜町の元助役が、所謂“原発マネー”を関電上層部に事実上のキックバックを繰り返したか?その背景にあるのは、要は“手柄の欲しさ”ってのが、関電上層部と元助役、更には福井県選出の国会議員にあって、更に、国や県としても“弱味”があっての話であると推察すれば、自ずと答えは出てくる…つまり、公共事業の発注を我田引水したい元助役(正確にはその幕下の建設会社)と、遅々として進まないインフラ整備をどうにかしたい自治体と、如何にかして国税の余計な歳出を抑えたい国の利害が一致しての話が裏にあって、その中心に元助役がいたという図式で踏まえると、大体の話が読めてくる訳である。これ…実は多くの地方自治体が抱える“闇”の部分であり、もっと言えば、元々電気の配給は民間企業がやってた事を、国がエリア別で統括し、管理運営を一括化したことから、色々と“不具合”が出てきてる訳である。

 

脱線話をここでやっておくが、そもそも、電力供給事業は、戦後しばらくまでは、鉄道会社や重工業地帯の事業所が請負ってた事業であり、故に、京阪神はもとより、路線網がある沿線地域に小売りもやってた訳である…その証拠に、今でも阪急の文庫には、当時の事業広告が残っていて、沿線住民はもとより、町工場での需要に応えようと、発電所の増設(主に水力)とかの計画があった程である。しかし…それ故の弊害として、沿線から外れた地域との格差が酷くなった訳で、これでは余計に都心(私鉄沿線)に人口が集中すると考えた国は、その是正策としてエリア別の公共事業者として、それぞれの地域の電気事業者をエリア毎に統合したのが現在の電力会社であり、21世紀になって以降、電力の自由化が解禁されるまで、事実上の“国営企業”として発電と供給を一括して行なってきたのが、東電や関電といった電気事業者って訳である。だから株主も地元自治体や国だったりする訳であり、電力会社の株価が安定してるのも、そういう一面があっての話である。裏を返せば、電力事業でスキャンダルは、場合によっては当該地域の自治体の財政そのものがぶっ壊れる事態でもあり、国の損益も増税の一因になりかねない事態でもある訳だ。つまり、東電福島第一原発の事故によって大損こいたのは、福島県だけでなく、首都圏の各自治体および国自身だって話にもなる。(その要因になってるのは、この場合は津波の被害後に冷却水の循環を復帰させようと躍起になってた現場を止めさせた、能無し指揮官だって事は、改めて強調しておく)

 

で、何で福井県原発を嶺南地方に集約する格好で受け入れたかを踏まえると、一番の要因は“富山の成功例”である…というと語弊がありまくる言い方にはなるが、要は関電の“大型事業計画”によってもたらされる事業資金と、就労者が現地(正確には宇奈月温泉近隣)で賃金を消費する事で生じる小売業者などの法人税や各種の間接税(この場合、消費税がなかったから、酒税やタバコ税、宿泊に係る諸税が主だった)の収益が半端なかった訳であり、事実上は国から富山県や長野県にダイレクトに資金が流れた訳である…そう、黒部ダムの建設である。つまり、この“旨味”は、大都市圏から離れた地域にとっては、今後の自治体運営をも左右する話であり、しかも事業者が公共事業者(=国)であれば、巨万の富が、その事業のために集中して使われるから、非常に“有難い話”な訳である。

 

これは何も、原発のみならず、整備新幹線事業でも同じ話で、北陸新幹線整備事業で滋賀県米原経由ルートにこだわる理由にしろ、九州新幹線長崎ルートにおいて佐賀県がイチャモンつけてる理由にしろ、実は“国家計画”という特性故の話だからこそである。(事業主自体、既に民営化したJR各社であって、国自身はノータッチな話になってるのに…である。ま、建設許可出すのは国交省ですが…w)

 

方向音痴になる前に話を戻すと、そもそも原発が“必要”となった一番の要因は、阪神間での大気汚染…高度成長期に電力消費が激しくなり、大阪湾一帯にも大型の火力発電所を構えたは良いが、その代償として、待機中のNOx濃度が高くなり、主に小児の気管支喘息が一気に増えた訳である。特に有名な四日市喘息も同じ理屈で、四日市市内の重工業(主に石油化学)が盛んで景気が良くても、土地柄大気が滞留しやすかったのが仇となって、化学物質系気管支喘息患者の増加が問題となった訳で、経済発展とともに、広域公害として問題になった訳である。そこで、大気にNOxを撒き散らさない、ダイオキシンや粉塵を出さない発電方法として、水力と原発が注目されたんだが、大型の水力発電所を設けるには、急峻な山岳地帯にダムを作る必要があり、しかも、必要な貯水量を維持するには、予定地はもとよりダム下流の集落にも(万一の事故での被害を最小限にする為に)立ち退きを要求せざる得ない訳で、当然、河川の上流部が(利水と治水の為といえど)堰き止められることによる、流域住民の生活(特に農業)への影響が大きいとして、市民団体から反発が出た訳である。故に、小規模でも高出力で半永久的に使える原発の方が、優位にな格好になってしまった訳である…当然、放射性物質の取扱い次第でエラい事になるのは、広島と長崎の原爆と第五福竜丸事故(ビキニ環礁付近で操業してたマグロ漁船が水爆実験に巻き込まれて被曝した事故)で世間から知られてはいたが、電力不足では産業そのものがどうにもならない関西圏では、背に腹は変えられない状況だった…だから、国からの研究機関との共同で関電は原発の運用と設置を決めた訳であり、しかも京阪神近郊から大反発があって、福井県に打診したら快諾した…という経緯がある。

 

 

 

 

 

 

つまり、この経緯からの“腐敗”って訳である。大阪湾に福島第一原発事故の処理済み汚染水放流を(条件付きで)受け入れるという松井一男大阪市長の発言の裏には、都市部の人間が弱小自治体に押し付けた厄介事に対して、全部責任を負うべきだという意図もある訳で、当然だがそれは、国民全体が考えないといけない問題である…綺麗事のみで片付くのであれば最善かも知れないが、結局はそういう“汚れ役”を他人に押し付けて逃げる行為でしかない。そして、腐敗の原因が、国の政策の多くが“国民の総意”の名の下で行われている事業そのものであり、仮に民主党政権下のように全廃すれば、却って災害発生のリスクが高まって、憲法が保証する“生存権と財産の保護”が出来なくなる…正すべき事はやるべきであっても、だからと言ってそこを利用して政権批判は別バナであり、当然、現政権に対する退陣要求は的外れである。ま、しばらく関電が東電以上に叩かれるのは仕方ない話だが、東電と違って実態が伴う被害は一つもない時点で、本当に叩かれるべきは、旧態依然で取引やってる、自治体と企業の金銭感覚ではないかと…

劇場版シンカリオンはシン・エヴァの露払い⁈

まずは、この映像から見てもらおう…

 


劇場版『新幹線変形ロボシンカリオン未来からきた神速のALFA-X』予告映像解禁!

 

 

これは、10月1日に解禁された、劇場版“新幹線変形ロボシンカリオン”の予告なんだが…よく見ると、500TypeEVA と、碇シンジ(シンカリオンバージョン)の姿も登場している。また、この件に関して、シンジ役の緒方恵美さんのTwitter垢にも、正式アナウンスされている…

 

 

 

 

 

テレビ版でもそうだったが、当初はJR西日本で運行してた500TypeEVAの運行終了に伴う特別企画と、夏休みコラボとして物語上、夢オチ的なノリで登場してた訳だが、まさか劇場版でも その勇姿(と、本家では有り得ない頼れるシンジ君w)が拝めるとは、恐らくEVAファンは予想してなかったと思われる。また、公開のタイミングから見て、正月興行である事を踏まえると、あのコラボがきっかけとなって、“シン・エヴァ”の露払い的な扱いになるのではとも推測できる…っというか、そう言わざる得ないポイントがいくつかある。

 

 

 

特に注目すべきは、劇場版シンカリオンの配給元が東宝である事…新劇場版エヴァも、東映東宝のW配給である事を踏まえると、あながち不思議ではない訳で、恐らくTOHOシネマズ系での公開である以上、シンカリオン本編上映前に、エヴァの最新情報(予告編?)が流れる可能性がある。既に15秒程度のはWeb上でも公開されているが、子供向けアニメ作品でアレが流れる可能性が低いと思って油断してると、多分、イタい目に遭うと覚悟してた方がいいだろう。

 

もう一つは、そもそも500TypeEVAの運行は、去年5月13日で終了してるにも拘らず、今作品に登場してるという事…もちろん、実際の理由としては、元々シンカリオンプラレールシリーズの一つであり、その中に500TypeEVAも含まれてると考えると普通なのだが、実は、テレビ版の最終章(キリンBSオーガ編)で早杉ホクト(主人公ハヤトの父親)の搭乗機が500こだまから923ドクターイエローに変更されている…つまり、この時点でアルファエックスのシンカリオンに、何らかの格好で搭乗するという伏線が見えてくる。そこから推測し、500こだまに搭乗する運転士が空座になる訳で、そのリカバリーとして、500TypeEVAが登場するとなれば、必然的にシンジ君が乗り込む格好になる。大方の予想では、500ハローキティシンカリオンで上田アズサが運転士になって踊るのではと思われただけに、これは嬉しい誤算ではなかろうか。(てか、キティちゃん、ガンダムとガチバトルしてるぐらいだから、有り得なくはないんだがw)

 

 

 

あくまで、この2点のみで判断するのは早慶…じゃなく、早計ではあるが、これで劇場版本編でも残テが挿入歌で、あるいはエヴァの楽曲の一部が使われれば、子供と一緒に鑑賞してるリアルエヴァ世代の大人が発狂しかねないw 実際、去年のコラボ企画では、多くのエヴァファンな親御さんがSNSで騒然となった訳であり、土曜日の朝っぱらからエラいことになってたのはいうまでもない…(いや、エヴァ以外でも、クリスマス回は2週連続で“クリスマスイブ”が流れて、多くの山下達郎ファンが騒ついたし、2月下旬の放送では、“Some Day”が流れて、佐野元春ファンが慌てて録画したという噂が出たほどだからなぁ…w)

 

 

 

 

 

ともかく、鉄ヲタを熱狂させ、子供以上に色々とネタが多過ぎて話題となったシンカリオン…この冬、否、年末年始、話の内容以上に鉄ネタ満載になるのは見逃せない。(できればユーミンの“シンデレラエクスプレス”も流れたら面白いんだが…w)

 

さて、今日から消費税率が原則10%になった訳だが…

以前から、このはてブでも解説した通り、今回の消費増税は、大まかに言えば公立学校の無償化と、社会保障…特に18歳未満の医療費助成の財源確保がメインであり、また、食料品と一部生活消耗品に対しては、税率を8%で据え置く事になってるし、キャッシュレス決済(クレジットカードや電子マネー等による支払い)促進の為、各種のキャッシュレス決済方法を利用すると、利用ポイントとして還元されるキャンペーンが行われてる…その補填である。つまり、増税の是非を問う上で、社会保障の“財源”は、どこから出てるモノなのかを論じずに反発するのは愚の骨頂であり、また、一部企業が法人税を“合法”的に納税してないと叩くのも、どっか的外れ過ぎて話にならん。第一、戦前までの国家財政なんて、ほぼ財閥の資金によって賄われていた部分があって、特に交通インフラの多くは、物資輸送の観点からやってたのであり、企業が国や自治体に代わって整備する以上、収益が出ない事業に手を出さなくて当然だった訳である。

 

 

 

 

経済の基本は、就労者と事業者は“対等”であり、就労者の多くは“消費者”でもある…故に、賃金を上げるには“消費者”が価格改定(=値上げ)に理解を示し、協力してもらわないとダメなのであり、ここを事業者が面倒だとして、やってはいけない“人員整理”に手を出して、それで価格を据え置いてる事に気付かないとダメなのである。つまり、社会保障制度全般を“廃止”すれば、消費税を導入する必要性もなかったし、それがなくても地域で支え合う仕組みがあれば、もっと税金を安くすることができる…という口実で医療制度がボロボロなのがアメリカの社会保障であり、故に、公的機関での予防接種や健康診断をも“金掛かる”の一点で反発して、感染症や栄養失調からの糖尿病が増えてる訳である。(インフルエンザで寝込んで、病院で一回処置しただけで30万円取られる時点で、そりゃ、“風邪で一家全滅”もありうるわ。)

 

何度も解説したが、社会保障は時として、国民全般に重税を課す“代償”として存在してる訳で、特にスイスや北欧各国の場合、医療費や養育費の無償化や徴兵制による国防軍備に充てる訳である。故に、軍事訓練受けたスイス人の多くは、出稼ぎで世界各国の傭兵部隊に属する事があり、紛争地域で幼なじみが銃口向けて…なんてのは日常茶飯事だし、スウェーデンとかで、殺人犯に対する死刑を廃して流刑にしてるのも、犯罪者同士でコミュニティを作って生活させる事で更正できるという確信があるからであり、そこを支えるには国家レベルで運営する“安住の地”を確保すべき…という事で、必要最低限の生活保障と就労をセットで用意してる訳である。つまり、社会的困窮をなくす為の“重税”って訳であり、その事を、就学期の子供達に徹底して教育してる訳である。

 

では、日本の教育現場では、どんな事をやってるかと言えば、ただひたすら“暗記”と“定形”に収まる様指導するのみで、そこに自在性や拡張性はない。つまり、“奴隷は奴隷らしく従え”と教える訳で、故に“学業カースト”が形成され、そこを指摘して改善を促しても、その発案者や報告者を潰して“環境維持”に走る訳である…つまり、教育現場で社会の成り立ちや仕組み、法令による規制や権限を教えず、読み書き計算でも、定型文や単一解答以外“正解”としない、なんとも窮屈な概念で指導するから、学業を終えて社会に出ると、問題行動を起こす、自称エリートが跋扈する訳である。だから、法令違反やマナーレスでも平気だし、自分の意にそぐわない者は、すぐに攻撃対象になる。当然だが、社会常識そのものが、世代によってバラバラなのは、教育の中で社会の基礎そのものを、誰一人として教えてない事に尽きるのであり、大学まで進学できても、労基法や商法、道交法など、生活に直結した法律や条例を理解できてる人など、商工系学校に通わない限り、学ぶ機会は皆無だ。(法学部に進学してると別だが…)

 

 

 

 

 

 

他人のせいにして騒ぐ前に、今一度、小学生向けの歴史教本を読み返すと良いだろう‥重要な部分は、大概の場合、授業では読み飛ばされて、解説もええ加減だが、きちんと精査すれば、実は重要な事が書いてある。だけどそこを取り上げずに授業をするのは、その“重要案件”は、身近な人…家族や近隣住民が教える範疇としてるからだ。だが…限界集落でもコミュニティが崩壊してる昨今に、いわゆる“地域の物知り爺さん”に丸投げするのは、正直、教養育成の放棄と言わざる得ない。その補填としてテレビやラジオを使うのも、昔はともかく、今のは面白くない上に教養そのものが希薄すぎる。インターネット全盛の今、この教養を身に付けるには、却って難しいのかも知れない。