迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その34(ラジオスター達の逆襲?!)

MBSがラ・テ兼営局だというのを知っている方ならわかるが、時々ラジオスター達が、番組のCMも兼ねて“あどラン”に登場する事もしばしばありまして、その度にトラブルも続発しておりました。なにぶん、昔は同じ放送局でやってる番組といえど、ラジオとテレビが“喧嘩”する事ってしょっちゅうあった訳で、場合によっては“あどラン”も昼間のラジオ番組出演者に“乗っ取られる”というハプニングもしばしばw 当然だが、リスナーズウィーク(聴視者週間)期間中は、通常のコーナーを休止してまでのCM合戦となったのはいうまでもなく、特に“ありがとう浜村淳です”vs“ごめんやす馬場章夫です”のバトルは、かなり激しい攻防戦であった訳で、コレに“諸口あきらのイブニングレーダー”や“おはよう川村龍一です”も絡んで、かなり激しい“あどラン枠争奪戦”が番組内で展開されたのです。

特に、浜村淳とバンノココンビ(馬場章夫とノコさん)は、“あどランクラッシャ−”の異名があり、登場する度にこの3人が脱線モードで暴れるため、なかなか他のラジオ番組が紹介できず、半ば“強制終了”でコーナーを打ち切らざる得ない事もしばしばだった。
が、当然ながら“あどラン”流の逆襲をやる場合がありまして、例えば年に一度程発生する“うるう秒”を狙ったラジオCMを該当番組に無理矢理捩じ込んだり、ゼンバツ休みでも大会が“雨天中止”時の留守番にかこつけて、“あどラン”のCMだけで番組自身を破壊しまくったケースもあったw 
ただ、こういう事が激しくなったのは、実は茶屋町移転以降の話で、千里丘時代では、双方が番組を荒らす様なマネをする傾向はなかった。その証拠にバンノココンビは千里丘時代の“よってたかってインタビュー”に2回(1986年10月と1990年6月)登場しているし、浜村さんも実は初期の頃に1回(1984年6月)に登場している。が、茶屋町移転後は事ある毎に浜村さんの“口撃”のマトになったのはいうまでもなく、震災以降バンノココンビが解消(ノコさんが神戸市議会議員になったため)後は馬場さんが完全に暴走し、ノコさんの後継パートナーだったむっちゃんが呆れ返った訳である。