迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その44(放送業界の変貌を見守った番組…)

今日で“あどラン”が放送されてから、24年が経過した事になる。そして、3月18日で放送終了から10年が経過する事になる。よくもまぁ、放送終了してから10年も経った番組の事をグジグジと話してきたモンである。しかし、MBSの社史から見ても重要な14年2ヶ月だった訳であり、それだけ分、様々な放送業界の移り変わりを見守ってきた番組ともいえるのである。(そういえば、“ちちんんぷいぷい”もなんだかんだ言いながら、放送開始10周年じゃなかったかな?)まぁ、アナウンサー連中も現在では“茶屋町あどラン組”が主軸になってる訳で、中には“あどラン終了以後組”がメインをやるケースも増えてきている。と同時に、“あどラン”で主役だった“千里丘あどラン組”や“あどラン以前組”は、殆どが定年や配属変更で姿を消してしまったいる。(もちろん、“専属パーソナリティー”という肩書きで活躍してる方もいるんだが…w)

放送開始当初は、とりあえず秋改編時まで保ってくれれば良いという安易な思惑で作っていた部分もあったが、その事が却って視聴者にバカ受けしたのは、後に北海道で放送されてた“水曜どうでしょう”の結果を見れば一目瞭然。ローカル番組でありながら、その素朴さとバカらしさが、却って視聴者に好感度を持たせ、放送終了後も再放送や特番扱いでファンを魅了してるのは、“どうバカ”なら理解できる範疇であろう。
それと同じで、いわゆる“ローカル”ならではのアイデアがそこにはあった訳で、MBSの場合はその素材がたまたま“局アナ”だったという事である。しかも、ラ・テ兼営局だから、普段はTVに出ない“日陰のラジオ組”が、この番組では堂々と主役として祀り上げられる訳だから、当然ながら活躍の場を広げる事だってできたアナも多かった。中には、デスク業務の鬱憤をブチ撒ける事もあった訳で、女性アナが公然と男性アナのセクハラをバラす(!!)なんて事も…w ま、しかしその“弊害”として、そういった事を番組内で話す事が“当たり前”な状況にしてしまったのはいうまでもなく、現在の東京キー局のアナウンサー連中の勘違い暴走が横行してる“原因”にもなってる様な気がする。コレも時代の流れなんでしょうか?
また、この番組自体の“良心”ともいえる部分は、番組に占い師を呼ばなかった事であろうと思う。過去のデータ(と言っても、手元にあるのは“あどラン本”3冊と、ストックしているVTRだが…)を見ても、怪しい占い師はドコにも登場しない。まして、ホラー系のミニドラマはやってるものの、霊感スポットや超常現象の特集は、一切やっていないのが救いともいえるであろう。コレもまた、“視聴率はもとより、視聴質を…”と努兄が願ったからこその配慮であろうと思われる。
逆に言えば、放送開始時は珍しかった放送形態も、10年過ぎるとそれが“標準”という考えに変わる。つまり、“そこまでやるのが当たり前”が蔓延する結果となった訳である。だからこそ、視聴率低下もさることながら、マンネリで番組そのものがウザくなる前に“放送終了”となったとなったのであろう。だが、ファンや“あどラン”を知らない世代が何らかのカタチで“復活”を望んでいるのは当たり前だし、その加減が難しいから、再放送もできないのが現実なんだろうと思う。(ま、保存してあるVTRが少ないってのも原因かも…。)