迷馬の隠れ家 はてな本館

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突然の訃報…

放送を通じた国際交流や、大阪の暮れの恒例行事「1万人の第九コンサート」を実現するなど放送界きっての文化人として知られた毎日放送大阪市)元会長で最高顧問の齋藤守慶(さいとう・もりよし)さんが4日、虚血性心疾患のため亡くなった。79歳だった。葬儀は近親者だけで行った。お別れ会は後日開かれる。喪主は妻統久子(とくこ)さん。

 東京都出身。東大経済学部卒業後の1951年、毎日新聞社に入社。大阪テレビ放送を経て、58年、毎日放送に入社。85年に社長、97年に会長。日本民間放送連盟副会長を務めたほか、グループ会社の毎日新聞社アール・ケー・ビー毎日放送(福岡市)でも取締役を兼務、世界放送通信機構(IIC、本部・ロンドン)副会長も務めた。

 「放送は文化であり、視聴者のものである」という持論を、83年から続く市民参加の「1万人……」や、京都や奈良の有名社寺を舞台に音楽を通じて東西の文化交流を図る「音舞台」(89年が初回)などで具体化した。

毎日新聞 2008年6月5日 19時44分

今朝方、掲示板の方に常連さんが一報を知らせてくれたんで、先程ニュースを確認した次第です。“あどラン”を最も愛してくれた、当時のMBS社長。どんな意見でも、“あどラン”に関することは、自社の社員だからといって庇ってくれた理解者にして、最強の視聴者(w)であった方です。むしろ“あどラン”自身、この方とともにあった様な番組でした。

というのも、“あどラン”本3冊のうち、初回の“こちら〜”ではアナ達が勝手に出版した事もあって、増刷分のカバーにこそっと登場する程度だったのが、2冊目の“まるのまんま〜”と3冊目“マイクもたずに〜”では、ちゃっかり2ページ占領(w)して巻頭言を書いてくれた、意外にお茶目な社長でした。(しかも3冊目では、当時新人だった上泉アナと武川アナをエスコートして、役員フロアを案内してたりしますw)
同時に、大阪の…否、関西の芸術文化をなんとか盛り上げようとして奔走した方で、上記のイベント企画や、茶屋町社屋の内装コンセプト(衛星放送を意識して、宇宙をテーマにした)を発案し、広く一般視聴者との交流が深まる様、今までの放送局が持つ閉鎖的なイメージを覆す改革を起こした方でした。しかし、こんな社長の思惑と裏腹に、関西の放送業界全体がベコ凹みしたのはご存知の通りで、とうとう関西文化の隆盛を遠いトコから見届ける立場になってしまいました。
一人の“あどラン”ファンとして、そしてMBSのファンとして、ご冥福をお祈りします。