迷馬の隠れ家 はてな本館

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あどランアーカイブ その52(深夜に素敵なドキュメンド?!)

実に久々な“あどラン”ネタであるw 去年の秋改編以降、デジタル対応等で経営赤字に転落する放送局が続出するモンだから、くだらないバラエティーよりも、ドキュメント番組の方が数字か良いからと鞍替えする傾向にある様だが、マーティに言わせりゃ、
「真実と異なる事を、まるで本物かの様に見せる“やらせ”が横行しかねない!!」
と、憤っておりますw
それはともかく、“あどラン”は実に自由奔放な番組である反面、課題に挑戦するアナに対して、真剣なまでの“ドキュメンタリー”を作る側面もありました。以前、森本アナ薫兄んトコ等でも書いたが、企画発案者にして実行者に対し、その出来事の一部始終を紹介するだけでなく、そこへ行く着くまでの経緯も紹介する事がありました。

番組のコンセプト上、アナ達の“素顔”もネタになる事が多く、その結果、ドキュメンタリーとしての要素を含んだ内容に発展して、人気を博した訳です。それは、時代劇or新喜劇シリーズでも、通常の特集でも関係無く、番組として“放送してみたい”と思った内容に関しては、撮影スタッフが対象となるアナに、トコトン付いて行ってカメラを回している事もしばしばありました。その結果、ただ単純に参加したイベント等の紹介ではスカスカになりかねない、コーナーの中身を濃くする効果が出たのです。また、“ウラ話”をやっておく事によって、これから始まる企画に対する“真剣さ”が裏付けされる事になり、より番組の“視聴質向上”に貢献したのはいうまでもありません。
番組の性格を捉え、出演者や登場人物の個性を如何なく発揮させる工夫があったからこそ、視聴者も楽しめただけでなく、出演者自身も楽しんで番組制作に勤しめた訳です。また、企画者本人が真面目に取り組んでやってる姿は、見ているこっちも思わず“頑張れ!!”と声をかけたくなるからこそ、番組として成り立ってた訳であり、それができていたのが千里丘時代という訳です。逆に、既に番組が“放送されて当たり前”状態になっていた茶屋町時代だと、どこまでが真実で、どこまでが“演出”なのか線引きがあやふやなドキュメント増え、それが却って番組の質を落としたと、今にして思えば当てはまるんです。さて、明日は“あどラン”が放送開始されてから、四半世紀が経過する事になります。考えようによっては、番組そのものがMBSアナウンサー室の“ドキュメント”だったのかもしれませんねw