迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

アナと落語の話w

今週のJRA-VAN携帯サービスでのコラムに、白川アナが興味深い話を書いてます。それは、この夏競馬の期間中、各開催競馬場(@東日本)へ向かう新幹線の道中で、おそらくiTunesストアからダウンロードしておいた落語を、iPodに入れて聞いているんだそうな。てのも、昭和の“名人芸”には、実況アナとしてのスキルをアップさせるヒントがあるのでは…という事らしい。還暦過ぎてなおも現役で実況している、白川アナらしい話だ。実は、競馬実況アナに限らず、多くの局アナに共通する“参考資料”がある。それは、“話芸の勉強”である。特に、その教材としてピッタリなのが、実は落語の“傑作集”なのだそうな。

“傑作集”と言っても、演目の話ではなく、それをやってる落語家の話だ。特に、過去に於いて“名人”といわれた落語家の噺は、坦々としたリズムと声の強弱、そして高低差を自在に操って、噺の登場人物すべてを演じ分ける。言ってみれば、“言葉”だけでいろんな描写を的確に行える“技術”がある訳である。そのため、この表現力の差が噺家の“腕”の差となる。同じ演目でも、真打ちと下っ端では雲泥の差であり、当然ながら場数を踏んだ噺家ほど、特色ある表現力を魅せる。また、同じ落語家でも、東西でその演じ方は違ってくる。人間国宝でもある上方落語の重鎮、桂米朝と、天才的な噺家とも言われがちな江戸落語の名手、三遊亭円楽とでは、それぞれのジャンルが違うために単純な比較は不可能である。
上方落語江戸落語の大きな違いは、高座に演台があるかどうかと、いわゆる“鳴りモノ”を使うかどうかである。つまり、上方の場合は講釈師に近いスタイルが基本であり、更には楽器を使った演出を必要とする演目があるのに対し、江戸の場合はそういったモノを廃除して、よりシンプルな“語り”だけで勝負する。また、上方演芸全般に言えた話なのだが、オーバーアクションでのジェスチャーが多いのも特徴で、江戸の寄席とは雰囲気が違う。元々演芸場の規模そのものが違うためそうなったのだろうと思われるが、大きなホールで話すのと、こじんまりとしたライブハウスでやるのとでは、スタイルが変わるのと同じである。ただ、最近では“笑点”等のテレビ番組での露出が多い関係で、江戸だの上方だのという隔たりそのものが薄れていき、上方落語でも、江戸落語と同じスタイルで演じる事もある。それともうひとつ、上方落語の場合は、自分でネタを考える創作落語のレパートリーが多い程人気が高く、逆に江戸落語は古典ネタで勝負できてナンボな部分がある。故に、上方落語の中には、英語や韓国語訳されたネタもあり、落語家によっては実際にそれで演じる方もいる。
で、それのドコがアナウンス技術と結びつくのかといえば、落語家はどんなメディアにでも対応できる“話芸”を持っているという事だ。つまり、“話のプロ”がその“お手本”として用いるのが、過去の名人芸として残っている落語のアーカイブである。また、中堅〜ベテラン級の局アナの多くが、学生時代に落語研究のサークルに所属していた事でも解る様に、“正しい日本語”を学ぶ“音声テキスト”として一番身近で研究しやすいのが、実は落語なのである。観客を笑わせるタイミングや話の流れ等、絶妙なバランス感覚で描写する技術は、時としてニュースを読む時の間合いや、スポーツ実況での瞬間的な判断力に結びつく。そのため、最近の若手によくある“描写よりも絶叫”という実況でも、そのタイミングの良さが目立つ。
だから、アナウンサーの中には落語が好きで、仕事以上に没頭し過ぎて、“余興”として高座に上がるアナもある訳である。