迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.58

さて、1日遅れながらも、このBlogの恒例、“My favorite announcer”更新です。今月はちょっと“変化球”でも投げますか…てな訳で、TBSの“鉄人系”のひとり、鈴木史朗アナの話です。ぶっちゃけた話、おそらくWikiにも載ってる様な内容になっちまう訳なんだが、アナウンサーとしては、かなりの苦労人でした。とにかく、派閥と出身地差別が激しい職場で、それでも健気に定年まで勤め上げ、現在でも慕われる存在である彼に関して、オイラなりの話を…

史朗さんぐらいの年齢のアナ達には、大なり小なりの“派閥”があって、その殆どが出身大学による“分類”であるといっても良い。特に、早稲田大学はその中でも“大所帯”といっていい程の大派閥であり、現在でも多くのアナ達の履歴で多い出身大学である。(ちなみに関西では、関学がトップw)プロフを見てもわかるが、早大出身という事は、なるべくしてなった様に思われがちだと思う。でも、そこには“ウラ”がある。高校時代に陸上部だったことを考えると、おそらく“スポーツ推薦枠”というヤツだと思われる。これは私学の大学に多いパターンで、以前紹介した道上アナと同じケースだ。それは逆を言えば、他の学生から反感を買うのに十分なきっかけであり、尚かつ出身が京都とあって、関西弁(京言葉)を話す事は、東京のアナとしては“最低”のレッテルが、デビュー時から貼られる事になる。こうして、若き時代は、その殆どをマイクの前で喋らせてもらう機会を奪われ、ついにはアナウンサーという“肩書き”を強制的に剥奪されるという憂き目に遭うのである。(Wikiでは、もっとヒドいエピソードが載ってるが…w)
でも、見てる人は見てるモンで、大凡仕事とは関係ない理由で、強制的に異勤させられた史朗さんに対して、“ある条件”を呑んでくれたら、ナレーション程度の仕事を回してやるよと言ってくれた上司がいた。その方は、肺結核で長期休養を余儀なくしてて、復帰後も体力に自信がなかった。そこで、基礎体力の強化と今後の健康維持のために必要なトレーニングメニューを、陸上部出身で、しかも古式泳法の免許皆伝という史朗さんに作ってもらおうと思いたった訳である。ちなみに、70歳過ぎた史朗さんだが、今でも体力は50歳代ぐらいを維持してるらしく、現役時はデスクの下に20kgダンベルが転がってたという“武勇伝”があるw ま、そんな訳で、仕事を回してもらう代わりに、その人の体力に合わせた筋トレメニューを考える…という時期があった訳で…。そしてそんなやりとりは、後に人事が知る範疇となり、45歳で“現役復帰”となった訳である。
ここからが、実は史朗さんの“快進撃”であり、世はまさに“第二次アナブーム”に突入した頃でもある。(もちろん、その“火付け役”はあの人ですが…w)丁度TBSには、そういった“個性派”がいなかった(久米アナはフリーになった後だし、大沢アナは“表舞台”に出たがらないし…榎さんはともかくw)事もあり、見た目が真面目そうで、しかも滅多な事では表情が変わらないというのがウケて、一躍有名になっていく事に。そして“さんまのSUPERからくりTV”の一コマである“ご長寿クイズ”で、更にブレイクした訳である。そして定年を迎えた頃には、“尊敬される先輩アナ”のひとりとして、紹介される存在になっていた。それは現在でも同じで、有名なトコでは絶叫マシーンで絶叫しないという事や、番組の謝恩会でスタッフからもらったゲームにハマって、今じゃ“最強のハザラー”だったりしますw(いや、マジで“バイオハザード”シリーズやってる最中は、完全に関西人に戻ってます、アレはw)