My favorite announcer vol.60
足掛け5年、月イチで更新してきたこの“My favorite announcer”も、今回で、一応の“区切り”です。ネタができ次第、随時更新しますが、しばらくは“不定期更新”扱いになります。
さて、今年の、そしてレギュラーでのラストバッターは、QR文化放送の吉田照美アナの話です。関東のラジオヲタなら超有名ですし、“Qさま”とかにも出てるんで、顔や名前ぐらいは知ってる人は多いと思う。が、元々、歴とした局アナであった事は、案外知られていない。ま、ぶっちゃけ、局アナ時代からあんな感じなんですが…w
テレビでは眼鏡をかけているんだが、ラジオの時には、何故か眼鏡をかけてない…ま、QRからフリーになったアナって、やっぱ平川アナの影響が大なり小なりあるらしいw とはいえ、元々ルックスがロバ面で、しかも名前がなまじ女の子っぽい事もあって、学生時代には相当イジメられたらしい。だからこそ、テレビよりもラジオという考えがあったのだろう。アナを目指した理由が、やはりスポアナ…特に相撲実況がしたいという事らしく、QR入社後は、主に相撲ダイジェストの取材をやっていたとか。だが、元から人手不足…といってはなんだが、スポーツアナとしての活躍よりも、DJとしての度量を要求するQR故に、徐々にだがラジオパーソナリティーとしての仕事の方が増えていった訳である。で、レギュラーとして初めて担当した番組が、伝説の“セイ!ヤング”という訳である。
この“セイ!ヤング”という若者向け番組、その初代こそ平川アナであり、その後御法川アナが受け継いで、照美さんにスイッチする訳である。(ガノタ的表現をするなら、ZZの初期のOPみたいな感じだと思ってくれると結構w)ただ、水曜日担当を受け継いだ当時は、裏のLFニッポン放送では“オールナイトニッポン”の担当がタモリだった事もあり、“どうせ聞いてないだろう…”という気軽さで番組を進行してたらしく、それが却って人気を博するきっかけとなる。そして、そのリスナー達は、照美さんを追いかける様に“流浪の民”と化していて、現在でも、朝の番組“吉田照美ソコダイジナトコ”に常連として投稿する人が多いとか。
確かに、照美さんの喋りはいかにも“ラジオ好き”には堪らない口調である。だからこそ、若い時代に“セイ!ヤング”を聞いていた世代のファンは、昼間にやってた”やる気MANMAN!”でさらにハマり、そして“ソコトコ”まで付いてきたという訳だ。ま、オイラ世代だと、“てるてるワイド”をギリギリ知ってるかどうかだろうけど、とにかく下ネタ系を上手い表現で言うモンだから、リスナーを笑わせる技術は、相当高い。しかも、昔は相当なイタズラを番組中にやってた様で、それが原因で、相撲スタッフから外された…という話もある。
テレビに出る転換期は、いわゆる“第二次アナブーム”…要するに逸見アナに触発されたフリー化の波に乗った訳である。ぶっちゃけた話、QR自身、この時らへんにアナウンサーの部署を潰した…というのがきっかけらしいのだが、実のトコいえば、ラジオだけでは正直、活躍の場が限られてきた事を受けて、テレビへの進出を考えての結論が、フリーという道だったという事だ。フリーになってすぐに、“夕やけニャンニャン”のMCを担当する様になり、ここから全国的に顔と声が知られる様になる訳である。ただ、コアなラジオリスナーに言わせると、テレビのときの照美さんは、ネコを被ってるらしい。当の本人に言わせると、“テレビとラジオじゃ、勝手が違うから挙動不振になるんだよ!!”との事w でも、流石先輩が先輩だけに、流れさえ掴んでしまえば、テレビでもマイペースで進行できる器用さはある。同じ時期に、LFから出向のカタチでCXにいた上柳昌彦アナが、テレビに馴染めないまま苦戦してるのを尻目に、どんどんその活動範囲を広げていったのは、ファンなら理解いただけるだろう。
そんな照美さんの意外な趣味が、油絵である。4年程前から本格的に画家としての活動を始めていて、今年に入って個展も行ったそうな。