迷馬の隠れ家 はてな本館

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実況アナの本分は?

ちょっと、今週の“週刊競馬ブック”のリレーコラムで、ニャオキが珍しく、実況に関する話を書いている。それは、ラジオの競馬アナとしての経歴故の苦労話であると同時に、今のテレビを意識した実況スタイルに違和感みたいなモノを感じている旨の話。(ま、実際の記事を読んでもらうのが良いんだがw)そのシメに、こんな事を書いている。

(前略)今はレース実況の新しい方向性を探ってる時期なのかもしれません。あと何年かすると我々の実況もすっかりテレビの実況になっているかもしれませんし、あるいはラジオの描写が盛り返してるかも。私個人的にはできれば自分の会社(ラジオNIKKEI)だけでなく、他局のアナウンサーにもキメの細かい描写の実況をずっと続けて欲しいと思っています。それがファンの皆さんに感動を与える実況だと信じていますから……。
(by:週刊競馬ブック2月22日発売分“こちらラジオNIKKEI放送席” )
この事について、実のトコ言うと、きよぽんやノブさんの“生前さん”も、ある意味、同じ事を言っている。

最近のスポーツ中継が“つまらなくなった”最大の理由は、恐らく、競技者のレベルの低さや視聴者の関心度よりも、実況アナ達の“実況レベル”そのものが低下してる事だと、オイラは思っている。てのも、昔のアナ達は、大なり小なり研修時にラジオ局のスタジオで言葉の描写力を上げる訓練を受けている。特に、ラ・テ兼営局であるMBSやABCの場合、ラジオでの野球実況で実況経験を積んだアナが、全国放送になりやすい甲子園でのTG戦テレビ中継の実況を任されていた。また、KTVでもCRKとの関係が深かった頃は、須磨のスタジオで研修を受けたと社史に記載がある。つまり、ラジオでの実況技術だけでは補えない部分を、テレビカメラが映す…というスタイルこそが、スポーツ中継での基本ではないかと思う訳である。
この件に関しては、きよぽんのエッセイ本“あなたのそして私の夢が走っています”の中でも、ノブさんの“生前さん”と、当時の中継担当プロデューサーが喧嘩に近い激論を、中継終了後の反省会で毎回繰り広げていたと記載している。だが、それに対する“結論”を、きよぽん自身は、自分の実況での失敗…今から37年前の春天で、外から追い上げてくるタイテエムを見失うという出来事があって以降、カメラマンとの連携プレイによってテレビ実況は成り立つという事で、実証したのである。
しかし、最近のスポーツ中継では、視聴者が一番見たい場面で、中継とは関係無い番組告知や、競技の事に詳しくないタレント等をゲストに呼んで、雑談する様な形式が増えた。いくらスポンサーの都合とはいえ、メインはあくまで目の前で展開される試合であって、雑談や誇張する様な演出は邪魔である。そして、ただ吠えればいいという、勘違いな実況が多過ぎるのも頭痛のタネである。なんでニャオキがテレビの音を消してまで、ラジオの実況とシンクロさせながらテレビ画面を見るのか…それは、こういった事が大きい様に思える。
ぶっちゃけた話、文章の中には書いていないけど、そこには今は亡き菫華の君の実況に対する姿勢そのものを、どんなカタチでも良いから受け継いでくれる実況アナが出てきて欲しいと、ニャオキ自身が心から願っているからこその“提言”である。だからこそ、もう一度、ラジオという“音声メディア”を見直して欲しい。真の意味で“名人芸”といえる実況をやってくれるスポアナが、その修行の場としてラジオで実況してくれる事を、オイラも折に願う。