迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite Contents vol.5(ヤンタンvsセイ!ヤング)

先日、MBSラジオの開局記念番組を聞いていて、興味深い話を聞く事ができた。オイラは途中からしか聞いてないんで、詳しいトコはアレなんだが…努兄にまつわるエピソードだ。丁度聞いたタイミングが、ヤンタンの黎明期〜第一次黄金期の貴重な話で、当然ながら桂三枝師匠と努兄が、上泉アナを交えて、当時の様子を振り返っていた。で、そのパートの最後らへんで、70年代の音楽紹介を担当していた近松コンビ(近藤光史アナと松井昭憲アナ)が、努兄にまつわる話を振った訳である。そもそも、努兄はデビュー当時こそ、トレードマークとも言える“もみあげ”は剃っていた訳で、ヤンタンを担当する様になって、髪を肩まで伸ばし、その時にもみあげも伸ばした訳である。(で、“ヤングおー!おー!”降板時に、ファンの前でバッサリと、その髪を切ったのは、とても有名な話である。)

で、その際に、松ちゃんが言ってた言葉が、オイラには引っ掛かった。そう、“東の土居まさる(平川厳彦)、西の斎藤努”という、当時のトレンドリーダーとしての両雄というリスペクトである。でも、オイラにはちょっと違和感を覚えるのである。てのも、努兄は、定年するまでMBSの社員であり、局アナの本分を(若干、局内で寄り道しまくってたが)全うした方であり、平川アナは、途中からフリーになり、奇しくも11年前に亡くなっている。つまり、比較するには、あまりにも違い過ぎるのだ。
第一、深夜の若者向けラジオのパーソナリティーとして先駆したのは、いうまでもなく平川アナの方であって、努兄はどちらかというと、MCという立場で先駆した方である。てのも、ヤンタン自身、元々は公開録音番組であって、“セイ!ヤング”(てか、時間帯からして、“走れ歌謡曲”の方かも?!)の前身ともいえる“真夜中のリクエストアワー”は、スタジオでのトークと、ハガキに書かれたリクエストに答えて曲をかける…日本独自のDJスタイルの番組である。(もっとも、“オールナイトニッポン”の糸居アナは、このスタイルを批判して、“デスクジョッキー”だの、“ディスクジョーカー”だのと相当コケにしてた様だが…)
しかし、番組のスタイルは違えども、双方共に共通する部分がある。それは、ラジオの前の中高生にとって、一番頼れる“アニキ”としての性格の良さである。事実、平川アナも努兄も、自分より若い世代のリスナーに対して、親身なまでに話を聞いたり、一緒になって遊んだりするクチだった。それは、努兄の場合だと、今の大学教授としての姿勢にも出ている部分であり、平川アナの場合でも、芸能界で世話になったタレント達が異口同音に、可愛がってもらった事を今でも憶えているという方が多い。そういう意味では、二人とも“偉大なるアニキ”なのかもしれない。
そしてそれは、放送局そのものの“伝統”をも生み出した訳であり、“セイ!ヤング”に限らず、QFのアナ達は、本名以外に“マイクネーム”を持つアナがいて、“あどラン”以降、MBSのアナ達は、ある意味自由奔放なキャラが多い。つまり、後輩達は知らないうちに、何時しか彼等の背中を追いかけているのである。誰が教えた訳でもなく、先輩格が二人を見て、時に羨ましく、時に妬ましく、だけど追い越したい一心でやっているうちに、いわゆる“劣化コピー”状態になっていた…言い方を変えれば、他にいろんな先駆者がいたにも拘らず、一番目立つ“フラッグシップ的存在”として、平川アナと努兄が、東西各々のメディアに君臨していて、それが何時しか在籍放送局の“基軸”になっていただけの話である。
平川アナと努兄は、直接のカタチでぶつかった事は、オイラの記憶してる範囲には無い。しかし、間接的であっても、何らかの摩擦…というか、刺激は、お互いに何らかのカタチで感じてたとは思う。だからなおさら、平川アナの少し早過ぎた終焉は、11年経った今でも、惜しまれるばかりである。