迷馬の隠れ家 はてな本館

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映画“人間革命”と“大霊界”の話w

今、ラジオ朗読“新・人間革命”は、第18巻の“師子吼の章”をやっている訳だが、内容としては、映画版の“人間革命”の製作秘話的な部分の話である。実はこの映画、製作にあたっては、東宝のスタッフから“人間革命”を読んで、その内容に感銘を受けて、学会側に打診した…と、“新・人間革命”では紹介されている。(てか、阪急阪神東宝グループって、意外と宗教関連のネタに関して、寛大なトコがあるよな…w)でも、この映画製作が無かったら、今は亡き丹波哲郎の“大霊界”というネタは、表舞台に出てくる事等無かったと言えば、創価学会の理念…というより、牧口常三郎の“創価教育学体系”が、如何に“カルトな理論w”だったかを論ずるバカが出てきても、仕方なかったのかもしれない。(学会員がこういうのを言うのもなんだがw)しかし、それは、俳優としての生命が、一瞬だが“銀幕の戸田城聖”を自らの意志で昇華させた姿であり、そこへ導いたのが、結局“人間革命”という原作自身だった訳である。

ま、映画の内容については、原作の小説を読んだ後に観ると、結構理解し易いと思うが、要するに、学会が…というより、二代目の会長だった戸田城聖自身の“生き様”を軸に、仏法や創価教育学体系について、“物語”として映像化した訳である。当然だが、戦時中の不当逮捕・投獄から、戦後の復興を、十界論等の様々な仏法用語をシンクロさせながら進んでいく訳だから、アンチが観ても、純粋な映画好きが観ても、ある程度わかり易い様にストーリーを描いている訳である。ただ、原作を丸々映像化すれば、完全に“勧誘映画”になってしまう為、かなりイジっている様ではあるが…
で、なんで丹波哲郎は、学会の思想を、“勝手論”でカルトな方向へと向けてしまったのかと言えば…これも当時の芸能界の“悲しき性”ってヤツで、いわゆる“学会員宣言”を世間にブチかますと、その時点で“危険思想の持ち主”的な扱いを受けた訳である。今でこそ、学会員である事を公表している芸能人は増えたけど、映画製作時において、それは、言ってみれば“気持ち悪い”訳である。だから、学会員になりたくても…否、学会をもっと理解してやりたくても、世間的に“存在悪”である学会に対して、真っ向から付き合う事は、本人が否定しても、勝手に“カルト教団wの一員”扱いされてしまう訳である。故に、それを隠すには、ワザと“変態”にならざる得なかったのだと思う。それが、結果として、俳優として成功したのを機に、自分が考える“あの世”とは…という考え方を“映像化”するという暴挙に出たって訳である。でも、それがバブル期の頃の話だから、一流の俳優が大枚叩いてやらかした“ギャグ映画”として人気を博したモンだから、調子扱いて続編を作っちゃったのはいうまでもなく、それ故に、亡くなるまで“不思議キャラ”を演ぜざる得ない状況だった訳である。そういう意味では、学会の存在によって“人生が狂った”被害者なのかもしれません。