迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ある夫婦の物語〜17年越しのI LOVE YOU〜

ま、タイトルを見て、何が言いたいかを察してくれるとありがたいのだが…そういう夫婦のあり方ってのも、オイラとしては理想的な訳で。てか、本当にいろんな意味で“幸せな夫婦”とは…と考えさせられた。そういう愛され方をされた相方は、多分、あっちでも夫婦になれる…というか、再びめぐり逢えてると、オイラは信じたい。

あの訃報をテレビでチラっと知って、新聞やWebの情報で確認して、それでオイラなりに出した結論は、どんなに時間が掛かっても、本当に愛し合っている仲である限り、夫婦は必ず添い遂げるモノだという事…もちろん、再婚されたり、離婚してそのままってのもいるけど、本当に相手を愛していたのなら、それに尽くし応えてやる事が、一番の供養じゃないのかな…って思う。そして、自分が天へと召される時に、その“お迎え”が、先に逝った伴侶を望むなら、どんなに長い時間離れていても、きっと叶うと思う。だって、その胸元に伴侶の遺影を抱えていたのなら、なおさら、その方が幸せだと思う。
残された子どもは大変かもしれないけど、夫婦が“夫婦”であった証である以上、その血脈を受け継ぎ、守り抜く事も、子どもの“使命”だと思う。いや、宿命なのだと思う。だからこそ、家長となる者、その覚悟と決心は揺らいではいけない。そして、その兄弟姉妹は、何時、如何なる時であれ、励まし支え合う存在でなければ、必ずその家系は崩壊する。自分の父母の死を乗り越えて、そして未来へ繋ぐ事が、“子ども”として生まれし者の“本懐”なのだと肝に銘じてこそ、その人は親となる資格を持つ。逆に、自分の欲求を満たす為に、伴侶を蔑ろにしたり、自分の子どもの生命を奪うバカは、既に親ではない…否、親としての資格など有するべきではない。
だからこそ、親より先に逝かれてしまうと、途方も亡い悲しみに暮れる。恐らく、彼の両親もそうだったと思うし、彼女の方も…である。ただ、大病を患い、最期まで諦めずに頑張った事に対しては、誰であれ、“よくがんばったね、おつかれさま…”と、別れ際に褒めてやれば良い。そこに込める思いは、“ここから先は、私達が引き受けます…”という誓願のみ。見守って欲しいとか、逝かないでと泣き叫ぶのは、却って彼の魂を穢す。だから、笑って…最後まで笑顔で見送ってやってこそ、最高の謝辞だと思う。


晴恵さん…お疲れ様でした。政孝さんとともに、永遠に… 南無。