迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

いじめられっ子よ、胸を張れ!!

毎日の生活を、それとなしに振り返ると、単調な日々でも、同じ事はない。ただ、忙しさに負けて、自分自身が気付いていないだけの話である。逆に言えば、その単調な日々をいちいち憶えてる必要がない訳なんだが、それをこまめに憶えているという事は、それだけ分、丁寧に生きて来た“証”である。つまり、ボーっと過ごして来た訳じゃないという“目に見えぬ証拠”が、いろんな経験値として積み重なっていて、コレが、時として役に立っていると、その経験は、決して無駄ではなかったという事になる。

しかし、大人になると、そういうのを忘れて、ついつい自分至上主義的な行動を起こす事が多くなる。ま、ぶっちゃけた話、オイラの上司が、この典型的な“ダメ人間”の部類であり、日本人特有の“他力本願de無責任”極まりない性格なのであるw
つまり、オイラの経験上、作業の安全性と効率を考えて整理整頓してても、それを“時間のムダ”と言って、他の作業をしろと要求する訳である。で、それで労災が発生したら、オイラのせいにする訳である。まったくもって、現場の危機管理がなっとりませんわw
しかも、こういう輩には、実は“想像力”そのものが欠落してるというか、いわゆる“危険予知”の概念がない。つまり、行き当たりばったりなのだ。それは、一緒に仕事をすれば、一目瞭然。ついさっき、自分が出した指示を、まったく憶えていない事が多いのだ。これじゃ、現場の人間が混乱して当たり前であり、現場にいながら“何も見てない”のと同じである。本当の意味で“仕事のできる者”とは、自分の立場が、どんなに役立たずな部署の様に感じても、実は“重要な役割を持ってたりする”という概念の下で取り組める人である。逆に、他人が騒ぐ程重要な案件でも、実は意外と他の事案で応用が利く事もある訳である。
三波春夫の“お客様は神様です”という言葉の本意は、オイラから言わせれば、どんなクレーマーも、芸を磨く上では重要なヒントであり、普通に笑ってくれる者を相手にする必要はない…つまり、演芸場に100人の観客がいて、99人笑ってくれても、たった一人が悲しい顔をしてるのなら、そのネタは失敗作であり、逆に、その“たった一人”の為にネタを考え、それを実践し、“本当の笑顔”を取り戻せたら、たとえ他の人が笑わなくとも、そのネタはネタとして“成功”なのである。それは、どんな客商売でも同じ。スーパーのバックヤード人間でも、利用客の利便性や安全性を考えて行動してるのなら、それは利用客の目に触れる事のない部分でも、とても重要な心構えであり、店舗の内装やレジ要員の見た目ばかり気にする等の表面だけ取り繕っている店舗は、廃れるのも早い。
つまり、真の意味で“誠実な者”とは、どんな事にでも対応できる器用さよりも、自分にできる範囲での良識に基づいて行動できる人であって、そういう人の下には、必ず味方が増える…そう、どんな敵でも、“この人には敵わない”と思える者に対しては、その死後、自ら哀悼の意を表する。それだけ、人望が厚い人は、敵をも味方に変えるチカラ…つまり、見えない部分で不軽菩薩の行を実践し続けてきた功徳を得てる訳である。誰からも評価されなくっても、そんなのはどうでもいい。むしろ、自分の人生そのものに、嘘をつかなかったらそれでいいのだ。