迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

月刊ヒデボー通信 2010年12月号

チョリーッス、ヒデボーっす。今月もボクの独り言に付き合ってください…っと言っても、この更新が、ボクが担当する“ヒデボー通信”の今年の“筆収め”なんですけどw

そういや、最近、どうもキナ臭い話題が蔓延してますね。尖閣諸島問題はもとより、北朝鮮による韓国領への砲撃…そういえば、南北分断の原因でもある朝鮮戦争は、あくまで“休戦”状態であって、戦闘そのものは、半世紀以上経ったのにも拘らず、今も“継続中”という事になってるんでしたよね。20世紀は“戦争の世紀”ともいわれたぐらい、大きな戦争がいくつも勃発し、それによる犠牲者が後を絶たなかった…だからこそ、21世紀は“平和の世紀”であるべきだと、多くの学者や識者は警鐘を鳴らしています。が、どうも、一部の人々には聞き入れられないというか、わかってもらえないというのが実情な様な気がします。悲しい話ですが、相互理解をしたくても、どうしても“自分に有利”な条件を、相手に求めてしまう傾向になりがちです。でも、それは相手も同じだと思うんです。だって、自分自身にとって、理不尽な条件を一方的に“呑め”といわれて、それを受け入れる事ができますか?もし、その条件を受け入れて自分達の権利を主張しても、相手が受け入れてくれなかったら、自分自身はどうします?
重要なのは、全ての事柄には自分の欲求を満たす為の“対価”を支払うのが義務であり、それは相手にとっても“対等”であらねばならない…とされていますが、その“等価交換”の条件は、時と場合によって違ってきます。本当に必要な“犠牲”だったのか、それともムダな“努力”だったのか…それはその時にならないとわからないモノなんだろうけど、だからといって、無視できる問題ではないと思うんです。
領土問題にしろ、人権問題にしろ、差別された事や戦争で勝った事等を理由に、相手に対して必要以上に自分達が要求していく事が、果たして賢い行動なのでしょうか?本当に大切なのは、マスターが散々言ってる様に“自らの襟を正す事”だと、ボクは考えます。いくら“被害者”だからといっても、加害者を必要以上に追い詰めれば、同じ犯罪を繰り返す要因になりかねないし、場合によっては被害者自身が“加害者”になりかねないと思うんです。それは、人道的支援での部分でも同じ。相手が自分に対して恨みを持つ者であっても、だからといって救助や援護に最善を尽くさない方が、余計に恨まれるだけですし、それに救済の手を差し伸べていても、それを素直に受け取れない様では、同じ施しをやってあげたくても、その前に拒絶されてしまいます。四川大地震の時でも、中国政府は日本の自衛隊を、“軍事機密保持”の名の下に、救援の受け入れを拒否し、その結果、助かるハズの被災者を見殺しにした経緯があります。それはやがて、何らかのカタチで途方もない災難となって、いずれ中国全土に降り掛かるでしょう。でも、その道を選んだのは中国政府であり、その政策に疑問も持たずに縋り付いている中国人自身も、いずれ苦しむ事になります。そう、かつて日本が“大日本帝国”と名乗っていた時にやった傍若無人な行動が、戦後の日本の子ども達を苦しめた様に…
もちろん、それは世界中どの国…否、様々な環境で住んでいる人々も同じです。“動物愛護”を理由に捕鯨に反対するのであれば、同じ理屈で“環境破壊”をやっている自分の行動を改めるべきであり、相手の生活を脅かす行為そのものを止めなければいけません。つまり、“蛮行”をやっているのは自分であって、相手ではないという事…それは、先の戦争での責任問題でもそうですし、自分の我侭で相手を傷付けているという事に気付かなければ、結局のところ、人種差別や人権侵害は改まらないという事です。もっとも、その事を訴えている団体を“カルト団体”と位置づけて侮蔑してる以上、改まるハズもないでしょうけど…

なんか、今年最後の更新なのに、かなりグチグチしたネタになってしまいましたねw でも、来年こそは、こんなひねくれた話題よりも、心の底から喜び合える話題でいっぱいになれたらいいなぁ…って願ってます。では、今月はこの辺で。良いお年を…ノシ