迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ラジオとテレビと阪急電車w

上記タイトルとカテゴリー表記を見て、何の話かわかる方は、相当な常連さんですw という訳で、“関西の放送局と鉄道会社”の意外な関係について、“われラジ”の特別編としてお送りしようと思う。
昨日の話題で、ノブさんとヒデボーがちょこっとだけ解説していた話を詳しくやると…

実は、阪急電鉄…というより、小林一三が“どんだけぇ〜w”と思う程貪欲に、しかも“如何にして関西をメジャーにするか”に心血を注いでいたかという事に気付くだろう。その一端が、コレなんだが、当時は、CRKKTVは“同一会社”にするつもりでCRKは社名変更や人員の割当を決めていた訳であり、KTVの運営そのものが軌道に入り、安定したトコで合併をするつもりだったのだが、ここで産經新聞社…というより、創業一家である鹿内一族が本社移転問題(大阪からCRKがある神戸へ移そうとした事)にダダ捏ねて、更に読売新聞社プロ野球ジャイアンツ戦に関して、“ホームゲームは、民放ではNTVとRF以外では放送させない”という通達を出したモンだから、NRN加盟局…ま、ぶっちゃけ、殆どの放送局が不利益を受けるハメになった訳である。(後に、ラジオの規制は緩んだが…)コレに慌てた当時のCRK経営幹部は、思わずRFラジオ日本との中継契約を結んだ為、NRNからの脱退と、KTVとの合併話が御破算となっちまった訳である。
で、MBSの場合なんだが、実は開局にあたって、スタジオをどうするかで相当モメたわけである。しかも、当時は1952年4月1日付けで全国一斉開局…という約束事があったにも拘らず、それをCBC中部日本放送が先行した訳である。で、その“対抗馬”としてMBSの前身であるNJBに、同じ日に開局する様に仕組む訳である。が、送信所と本社はともかく、スタジオそのものを建設する余裕等なかった訳で、9月1日の予定日に間に合わない…そんな時に、NHK大阪放送局の事例(今は無き北浜三越の屋上にスタジオを設営した)を踏まえ、本社にも近く、機動力で勝負できる様に、阪急百貨店の屋上に設営したのである。もちろん、その提案をやったのは、梅田の一等地の“持ち主”で、阪急の所有する建物を一時的に借りたのである。(その後、OTV絡みのトラブルがあって、千里丘へスタジオを引っ越すんだがw)