迷馬の隠れ家 はてな本館

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もしも全ての原発が廃炉になれば…

Twitterの方にも書いたが、より詳しく…東電福島第一原発の事故以来、急速に“脱原発”を標榜する動きが目立っているが、そんな流れで中部電力浜岡原発が、防潮堤拡張を名目に、全ての原子炉を止めるという話になった。ま、問題の多いトコだけに、“脱原発”論者としては、このまま“廃炉”となって欲しいトコだろうが、ちょっと待てや。仮に、関電から融通してもらうとしても、現時点では、美浜原発大飯原発、ほんで高浜原発も、政府…というより通産省から“使うなw”という通知が来てたりしてる訳であり、現状でカバーできる訳がない。「“電力不足”って言うが、本当にそうなのか!!」と声高に言ってるバカが多いんで、ちょっと荒っぽいが、極論だけ言わせてもらう。今の状況で電気が止まれば、真っ先に困るのは、自分自身だよ…って事だ。

震災直後に首都圏が体験した“計画停電”の例を挙げるまでもないが、電力不足から招く、経済や社会生活での混乱は、避けようがない。なぜなら、大阪万博をやった1970年と今とでは、発電量と消費量が桁違いだからである。それもそのはず、40年前でも、火力主流で発電をやってたけど、工業生産は当時、殆どが手作業で仕事をやっていて、空調も個別で調整できる様なモンじゃなかった。そして、冬場は石油ストーブが、夏場は扇風機が空調の主流であって、エアコン…というより、当時は夏場の暑さ対策に特化したクーラーを付けている家は、それはそれは“お金持ち”の象徴だった。だが、今はどうだろう。エアコンは各部屋に“標準装備”だし、テレビも各家庭2台以上(ワンセグ含む)が当たり前。尚かつ、PCとプリント複合機は普通だし、部屋中に電話の子機があって、洗濯機も全自動。冷蔵庫は大型化し、電子レンジやオーブンは当たり前…ここまで書けばお気付きかと思うが、たった40年前なら、それらはアナログな手法でこなさなければいけなかったのもが、それだけ分、便利な家電に囲まれた生活に移行してしまった事を意味してるのだ。
つまり、その分だけ一般家庭でも、電気を“浪費”しているのであって、いくら“省エネ家電”といえど、塵も積もればなんとやらな話、電気料金以上に電気を使う機会が増えてしまったのはいうまでもない。まして、携帯電話が普及している現在、その電波を発する基地局への送電も必要であり、都会を走る電車の本数も、大阪市営地下鉄御堂筋線の朝ラッシュ時の梅田〜天王寺で実際にある“1分30秒ターンでの運行”をやろうとすれば、いくらアルミボディの車両(21系)と言えど、10両編成で超満員だと、その分だけ電気を喰う。そして、阪大病院や国立循環器病研究センター等で待機している心臓移植希望者が、その延命措置として装着してる補助人工心臓の電源も、数多くの人工透析が可能な病院でも、そして未熟児としてこの世に生まれた“新しい生命”も、電気によって“生かされている”存在である。“五体不満足”の乙武洋匡と同じ様に、電動車イスを利用する人にとっても、そこんトコは同じ。
そして忘れてはいけないが、同じライフラインとして使われている水道やガスも、ポンプで配給してる以上、電気とは“無関係”とは言えない。(とはいっても、プロパンガス利用者や井戸水で生活用水が賄えるトコも多いがw)つまり、都会…特に都心や大阪市内等に住んでいる場合、何をするにも電気は不可欠であり、それ故に原発以外の発電所では賄えない…というのが、原発推進派および、大口利用者の意見である。こういう人達の意見を無視して、ただ単純に廃炉を訴えるのは、ある意味“勉強不足”である。なぜなら、代替エネルギーがあるとはいえ、今の段階では、原発の代わりに使うには、原発以上の敷地面積と、電気への変換率が高い発電機の開発が必要であり、それを作るにしても、その素材を使うのに、やはり大量の電気を喰うという“矛盾”を孕んでいる事に気付かなければいけない。
だから、早急な原発依存からな脱却を求める前に、まずは自分の生活を見直す事から始めよう。以前にも書いたが、極論から言えば、日本中が江戸末期頃の生活に戻れるなら、原発どころか全てのダムだって排除する事が出来る。しかし、人口が多過ぎる上に、まず、農耕地や漁港が足りない…つまり仕事そのものがないから、多くの人が貧乏生活を強いられる事になる。今の様に、第一次産業(農林水産業)以外の職種があって、各々の役割がある事は、それだけ分のエネルギーを必要とする事だって事に気付いて欲しい。そして、原発付近に残ろうと言った、身障者や身寄りのない高齢者の“気持ち”を察してくれ。何をするにしても、それを動かす力が必要であって、人間がいない分、それをフォローする機械は、ゆえに電気を消費するのだと…だからこそ、原発に関して言えば、今までの発展を支えてきてくれた事に対する感謝を忘れてはいけない。その上で、新しいエネルギーの開発を進めながら、徐々には廃炉に向けた準備をするのがスジであって、“重大事故が起こったから”という理由だけで邪見に扱うのは、単なる我侭である。ともかく、自分の立場がどういう存在なのか…もう一度考えてみては如何だろうか。