迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

論破の“論破w”〜オレオレ詐欺とその対策〜

今に始まった訳ではないが、ここんトコ、金銭絡みの話題が多過ぎて、オイラ的にウンザリしております…(いやなに、今月末までに収めなアカン税金があったりすんだけどw)特に、いわゆる“オレオレ詐欺”ってヤツに関して、いろいろ防止策等が報じられている訳だが、根本的な事を考えれば、実は親族としての絆を逆手に取った犯罪であると同時に、お金の価値観をどう捉えているかによって、その犯罪を未然に防ぐどころか、本当に“寂しい老後”を送ってるのでは…と危惧せざる得ない状況とわかる。

巷で流行っているマンガに、闇のギャンブルを取り扱っている“カイジ”ってのがあるが(てか、作者の福本伸行って、なにげにこういうネタ好きだよなぁ…“金と銀”といい“アカギ”といい…)、終始金銭絡みの、命懸けの勝負事が描かれている。もちろん、内容としては仲間との絆と、闇社会に蔓延る拝金主義の世界観なんだが、終始出てくる問題が“人間の命よりもカネの方が重い”という部分。確かに、懐の金銭がなければ、今日食べるご飯も、暖をとる部屋も、こ綺麗な服も買えませんな。もちろん、怪我や病気で診療を受けるにしても、快適なドライブも…しかし、そんな“万能選手”であるハズのお金だって、唯一“買えない”モノがあります。それは、“ココロ”…つまり、精神的な“何か”です。
確かに、日本は物質的には(被災地はともかく)豊かですが、何故か生活が苦しいですよね?それは何故だかわかります?すっごく簡単な事なんですが、実は、誰も気付かないというか、本当に“それ”が“当たり前”過ぎる為に、わからなくなるんです。そう、常に“誰か”がいて、“自分”という明確な存在を実証してくれる事…ぶっちゃけた話、“誰か”に認められたいからこそ、アレコレと頑張れる訳であり、また、自分自身が納得するまで様々な技量を身につけようとする事は、普通に考えて当たり前な事です。が、その価値観をドコに求めるかを間違えると、それ故に苦労する事になるのです。つまり、経済の困窮の“原因”そのものが、実は自意識過剰な賃金体系なのです。もっと酷い事を言えば、競争する“相手”を間違えているからこそ、経済そのものが疲弊して、市場が回らなくなっている…と言っても良い訳です。
休話閑題、では、なんで“オレオレ詐欺”が無くならないのか?答えは簡単、子孫に対する“価値観”そのものが、金銭なのか絆なのかの差なのです。つまり、詐欺に引っ掛かる高齢者の殆どが、自分の子どもや孫と接する時間や行動そのものが少なく、また、近所付き合いもヘタクソですw つまり、自分の世界に引きこもり、他者との交流を“面倒臭い”の一言で片付けてしまっているからです。そのくせに、“誰か”が自分のトコに来てくれると、とにかく話を聞いて欲しいあまりに、そして、もっと交流を持ちたいと欲するあまりに、ついついダマされる…という訳です。ただ、その“接点”となるツールこそが、一人では使い切れない程の“大金”という訳ですから、当然の事ながら、自分の“孫”だと名乗り出た“他人”に対して、何度でも自分の居場所に来て欲しいと思うからこそ、お小遣いと称して金品を渡そうとする…だから、自分の子どもや孫が金銭的にピンチだと思えば、無理してでも“救済”しようと奮起してしまう訳です、普通の高齢者の場合w
しかし、そういった“オレオレ詐欺”に引っ掛からない一人暮らしの高齢者がいたとすれば、大まかに二つのケースが考えられます。ひとつは、兄弟や子孫達と頻繁に連絡を取り合い、近所付き合いが上手い人。もうひとつは完全な“人間嫌い”です。つまり、前者は“一人暮らし”と言えど、常に家族と“同居”してる様なモンであり、また、社交的であるがために、寂しさを感じない人です。が、後者はその正反対にある存在で、家族や近隣から嫌われている存在です。が、当人自身は人間の…否、自分自身の生命よりも、自分が持っている資産が大事だと考え、むしろ嫌われる事によって、自分自身の存在価値を金銭的な部分で見るクセが付いちゃった人です。もっと言えば、前者は、過去に金銭的な事で家族を失った経験があるからこそ、金銭に“縛られない”生活を選んだ人であり、後者はむしろ、金銭に縛られ、“生命だってカネで買える”的な部分があります。
つまり、本当の“寂しさ”を知っているか否かの話なのです。だから、後者の場合、孫が遊びに来ても、まったくもって“いい顔”をしません。なんせ、その度にお金が減りますからねw 前者は逆に、お金よりも自分の心が癒される事を優先にします。だから、一見すると詐欺に引っ掛かり易そうですが、常に近隣から声を掛けてもらえる立場ですから、自分の見知らぬ相手に対して多少の警戒心があり、しかも知り合いに警官だの弁護士だのと交友関係も広いんで、そこから“相手”を見破る術をも持っている…という訳です。逆を言えば後者は、守銭奴であっても、寂しさを感じたとき、そして金銭だけではどうにもならない事を経験した者は、財布の紐も緩み易くなる訳です。
もっとも、経済が疲弊し、現在の通貨そのものが価値を失えば、どんなに大金を持っていても、虚しいだけです。それに似合うだけのスキル…例えば、農家であれば作物を作るだけでなく、それを加工する技術があれば、商売だってできるし、林業をやっているなら、ただ材木を切り出すだけでなく、間伐材で炭や割り箸といった日用品を作る事だってできるし、漁業だって魚礁の位置を地形的な事を考慮してやっていれば、ヘタな防潮堤を作るよりも津波や台風による被害を最小限にする事だってできる…ハズ。つまり、そういった部分に対して、自分も、そして科学者や専門分野のオーソリティ達が見逃してきたからこそ、その重要性に対する評価が甘くなるのです。だからこそ、考えるべきなんです。本当に大切なモノがわかる人程、詐欺に引っ掛かり易いという事を…
教訓:モノの価値観が違えば、どんな財宝もゴミになる。でも、自分が本気で“大切なモノ”と思うなら、たとえ他人にとってゴミみたいなモノでも“財宝”となる。