迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

競馬旅館 天松楼2012 3泊目w

ノブ(以下ノ):去年の今頃は、春のG1戦線を占う、様々なレースのデータを収集し、さていよいよ…という状態やったな。
オグりん(以下栗):そうそう、ボクちんも予想参加できるとワクテカしてたんだけど…まさか、あんなことが起きるとはね。
ノ:そやなぁ…東日本大震災が発生してもうて、西日本では軽微な被害で済んだんやけど、東北3県…特に福島がなぁ…
栗:そうなんだおな、ボクちんお気に入りの温泉施設も被災して、しかも原発事故で…場所が場所だっただけに、心配だったお。
ノ:そやったな。JRA総研常磐支所は、福島第一原発から南に60km程離れてるけど、風向きや状況によっては、放射能拡散が心配されとったからなぁ。
栗:それ以上に、道路の寸断や津波で多くの田畑と漁港が壊滅的になったんだお。だから、多くの仲間が犠牲になったんだお。
ノ:双相地方は、相馬野馬追で有名な位、馬と所縁ある地域…沿岸部を中心に、多くの馬達が津波に飲み込まれ流されたと聞いとる。それでも、今年は例年通りの祭をやろうと、地元の人達は懸命や。そんな人達を、直接関係ないモンが愚か者と罵ったらアカン。住み慣れたトコを離れて避難する者も、放射能被曝の恐怖に駆られながらもその地に残る者も、各々の人生やさかい、誰一人として見下したら、自分が同じ立場になった時、もっと絶望的な状況に追い込まれる事になるで。

マーティ(以下テ):そっか…もう1年にもなるんだね。
ノ:お、マーティやないか。ようおこし。
栗:いらっしゃいませ…
テ:報道では、どうしても被害が大きかった沿岸部を中心に報じられがちだけど、実際問題、被害のなかった…というよりも、軽微だった地域に関しての情報が、あまりにも少な過ぎますね。
ノ:そりゃ…そっちの方がネタとして取り上げ易いし、何と言っても沿岸部の集落では、絵的に“壊滅的被害”を訴えるにふさわしい状況やからなぁ…17年前の阪神大震災の時もそうやったけど、酷いトコは報道陣が大挙を成して取材すんやけど、実害が殆どなかったトコに関する情報を、一切触れへんかったのも事実や。
テ:マスターは、当時は大阪府南部…というか泉州エリアだったから、街全体が被災したという感覚は、駅前のビルの一部が、窓ガラス全損という程度だと言ってましたが、大阪市内を北上するにつれ、そして、兵庫県に入って行くと、どんどん酷くなっていく…といった状況だった様です。ただ、本当に酷かったのは淡路島と神戸市内でも海側…それも元々地盤が弱いエリアが中心で、長田区の場合は、新長田駅周辺の商店街で火災が発生した事で、甚大な被害を受けた様に見えますが、本当に大変だったのは、むしろ交通手段が絶たれた、六甲山の裏手…つまり北区や西区の人々だったんです。
ノ:そやそや。確かに、実害的な部分では、東灘区や中央区の埋め立て地(六甲アイランドポートアイランド)に住んどった人らやろうけど、交通手段がのうて難儀したんは、神戸市全域やったからなぁ…
シン(以下シ):それどころか、西宮や芦屋も、山手側の交通網がズタズタだったから、大阪に出るのもままならない状況でした。
栗:あ、シンは当時、東灘区に住んでたんだっけ。
シ:阪神高速は、3号神戸線が魚崎付近で道路を支えていた柱が根こそぎ倒れ、5号湾岸線も、西宮浜付近で橋梁が落下する事態でした。また、国道171号線の高架が落下したせいで、阪急今津線がほぼ全面運休という状態…だけど、俺や当時大阪支社所属だった小林の場合、その“被災地”から京都競馬場へ実況の為に出れ来なければいけなかった。だから、通勤に苦労したんだ。
テ:あ、そうか…震災の翌週には、競馬が再開された為に、仕事の都合で瓦礫撤去だの何だのって、言ってられなかったんだ。
ノ:そやそや…去年の場合かて、西日本は被害がのうて開催可能やったけど、関東はそれどころやなかったからなぁ。特に高速道路が緊急車両優先やったさかい、馬運車もままならなかったんや。
シ:それで、いち早く復興を成し遂げるには、交通インフラの復旧が先だと思うんです。
テ:そうだな。事実、神戸の復興が早かったのは、主要幹線道路の復旧と、たまたま、高速自動車道の殆どが、六甲山の裏手を経由してた為に、最悪の状況を免れた…という部分がある。確かに、阪神高速は2本とも被害を受けたけど、湾岸線の方は、基礎部分に重大な破損がなかった事で、震災から2.3ヶ月で復旧する事ができた。だから、沿岸部の工業地帯での交通網は、そこを中心に急速な回復をしたんだ。
ノ:鉄道に関しても、JR西日本は貨物輸送の関係もあって、いち早く復旧に漕ぎ着けたんやけど、阪神は被害が尋常やなかった。そやけど、甲子園球場でのセンバツプロ野球を円滑に行える様にする為に、梅田から甲子園までの部分だけ、先に復旧させて、残りは9ヶ月もかけて作り替えた…阪急は阪神やJRよりも山手にあったさかい、被害が軽微に見えるけど、実際は、神戸線の支線…伊丹線今津線の被害が大き過ぎて、完全復旧に時間が掛かったんや。
シ:伊丹線の場合、駅の構造が高架にしてた事が仇となり、あの揺れで駅舎ごと落ちましたからね。
テ:あれ…本当に、よく復旧したよね。
栗:んでも、それらが復旧しないと、みんなの生活が不便になるって事だおね。
テ:そうなんだよ…一見、平穏な生活ができているのは、こういった部分がキチンと整備されてこそなんだ。ライフライン復旧も、その為の資材を運ぶ手段がキチンと整備されていないと、結局、必要な物資が届かないままで終わる。
シ:特に、原発事故が原因で、福島県浜通りの広い範囲で、瓦礫撤去も道路の復旧もままならない…
ノ:そこんトコを確かめる為にも、やはり現場に行くのが一番…やな。
テ:単なる野次馬じゃなく、実情を知ってもらう事と同時に、何度も足を運ぶ事で、その変化を実感する事ができる。それが本当の復興へのアシストだと思うな。
栗:産業を盛んにするには、交流を続ける事…だね。
ノ:そやろなぁ…