迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

医療や技術は“見切り発車”の連続ですw

原発事故を語る時に、一部の技術者が“見切り発車だった”という発言を、目にする事が多い。しかし、インターネット上のサービスにしろ、最先端医療にしろ、それらも結局は、多大な“犠牲”の元で培ったデータがあってこそ、初めて一般的なモノに進化するのであって、事故発生後や再稼動問題で“やめるべきだ”等と批判的な事を言ってる科学者は、故に、これ以上の技術開発も、まして、安全対策を考える事等“不可能”であり、失敗を恐れる姿を子供に見せているモンだから、昨今の若年層の自殺…それも就活失敗を理由に、簡単に命そのものをポイ捨てするというケースが増えている。そう、大人が失敗を恐れて、そして責任逃ればかりをやっているから、子供達もそれを真似て、そして勝手に絶望してるという訳だ。

ちょっと面白い話をしておこう。例えば、原付自転車…ま、ミニバイクに関して言えば、日本においては本田宗一郎が戦後、普通の自転車に耕耘機に使われてる様な小型エンジンを取り付けて、発売したのが始まりであり、コレが今の“カブ”の原形である。つまり、水冷エンジンだと自転車に取り付けたくても、当時のモノは構造そのものが大き過ぎて、自転車のフレームが振動に耐えられないから、空冷式のエンジンに目を付けて、小型化に成功した訳である。後にそれは、四輪の世界でも応用される事となり、その実験の場をF1に求めた…という本田技研らしいエピソードがある。同じ理由で、井関農機も一時期、自分トコで開発したエンジンの性能をチェックする為に、GTレースに参戦していた時期がある。(理由として、イタリアの農機具メーカーであるランボルギーニが、自動車メ-カーのフェラーリがバカにしたのを受けて、あの名車“カウンタック”を世に出した経緯を、日本でも…と思ってたらしいw)こういった事があって、現在の技術に結びついているのであり、当時はバカにされて当然だった…そう、技術開発とその検証を、商品を買ったユーザーに委ねて、トラブル発生の度に“無償点検”の名を借りてデータを採取して、それを基に新しい技術を構築していった訳である。マツダロータリーエンジンも、そもそもは、現行のレシプト(ピストン式)エンジンの複雑な構造故の修理の難しさを解消する事と、低騒音でありながら高出力である事に着目し、また、燃料の質を選ばなかった事から、スポーツカーを中心にした開発を進めていった訳だが、それが今年の8月で事実上“撤退”するのは、惜しい限りである。(ま、水素を“燃料”にする様になったら、また復活するだろうけど…)
何がいいたいかと言えば、昭和の…しかも戦後早々の技術者は、どんな失敗も恐れず、むしろそれを糧にして技術を磨き、そして世界的なブランドへを導いた。しかし、今の技術者は、その栄光に驕れ、過度に失敗を恐れ、そして技術開発を簡単に諦めるバカが増えた。その原因は、そういった開発費を捻出してくれるスポンサーがいなくなった事もさることながら、海外に技術特許を奪われる事を嫌い、日本国内でスポンサーを募っているからである。もっとも、その最たる“スポンサー”であるハズの日本の政府が、そういった開発費を“財政難だから”と言って“事業仕分け”する様な状況だから、優秀な開発エンジニアが海外に活路を見出して、出て行く訳である。なんせ、アメリカはそういうのに対しては、国民の不満を無視して多額の税金を投入する気前の良さがあり、ドイツでは共同開発の名の下に技術者を集めるだけでなく、研修を受けたい学生を受け入れては育成する土壌がある。また、フランスも原発の将来を考えて研究をやっているし、ロシアの宇宙開発に関する技術の高さは、かつての冷戦時にやっていた長距離弾道ミサイル開発の応用であり、そういった事を複合的に考えれば、むしろ“見切り発車”でいろんな不具合を見つけながら、今日の技術向上に至っている事は明白である。(とはいっても、実際は不都合なデータを握りつぶしてやってる部分を多々あるがw)
逆に、開発時に完璧を求めれば、それ故にトラブルが発生した際に対応できなくなるのであり、最初から不安定な状態であれば、そこから開発の余地が生まれるというモノ。つまり、最初から“答え”が出てるモンであるなら、検証やデータ採取なんぞ誰もやらないのであって、そこでの失敗や不具合があるからこそ、それをどう克服するかを検証し、再び開発を進める事ができるというモノ。もっと言えば、トヨタの86(かつての“トレノ&レビン”の後継車種)も、フル装備の車体に手を加えるのはもったいないが、最低限の装備しか積んでいない車体は、そこからのオプション次第で、フル装備以上のレスポンスを求める事も可能である。コレと同じで、パソコンの世界でも、OSに不具合があると、それ専用のアップデートパッチが提供されるのは当然であり、最初から完璧なプログラムであるなら、とっくの昔にスティーブ=ジョブズもビル=ゲイツも、初期型のOSだけで満足してしまって、一般に普及する事なんぞなかった訳である。当然だが“ニコニコ動画”も、最初はYou Tubeの投稿をパクった(転載した)モノだったのが、今では様々なコンテンツで溢れかえった、日本で最も有名な動画サイトになったのは、初期から利用してるモンなら誰もが知ってる事である。
本当の意味での“完璧”なるモノとは、それは得てして死を意味する。つまり、成長しない事は衰退でも劣化でもなく、機能停止…そこで“終わり”なのである。人生においても、年齢的に老いたとしても、学びたい事、知りたい事がある以上は、その知識や技術は向上するが、それで満足すれば、たとえ年齢が若くても、それ以上の成長は見込めない。つまり、自分で完成したと思った時点で、その役割も終わるのであって、そこで立ち止まった途端に、その技術は“死亡”したのと同然となる。このまま原発の開発を放棄するなら、チェルノブイリや福島は、いつまで経っても報われない。今の状況は、将来的に原発を利用する上での“最終処分”のあり方を学ぶ機会であり、それが構築できた時、より安全で、万が一の事故でも被害を最小限に留めるきっかけになる。それをも否定するなら、それは“見切り発車”ではなく、単なる“現場放棄”という名の責任逃れだ。