迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

リスクマネジメントは、現場を知ってこそ…

ますは、コレ(全文を読むには会員登録が必要だが…w)を読んでもらいたい。ぶっちゃけた話、今までオイラが話してた部分を、ほぼ集約できてると思う。というか、彼等はあくまで、原発推進でも、反対でもない。まったくの“中立”的な視点で、福島の原発事故を話している。つまり、理化学や医学の分野の連中ばかり目立って、技術者や工学者の“言い分”がまったく報じられなかった事と、安易な原発廃棄論は、却って“安全な最終処分”の為の技術を学ぶ事すらできなくなるという事だ。

今回の事故を改めて見直すと、全ての原因は東電の判断ミスと、余計な知識をバラ撒いたマスコミによる“人災”である事は明白である。前者はともかく、なんでマスコミが…と思われるが、要するに、原発に関する情報を、もっと身近なモノとして報じていなかった事が、却って福島県民を傷付けているという事。逆を言えば、福井県民も、多くの原発を抱えていて、しかもそれらのほぼ全部は関西圏…特に京阪神に電力供給を担っているという“既成事実”がある。そこを無視して騒ぐから、当然ながら反原発脱原発を掲げるモンにとっては、表向きは福井県民を不憫に思いながら、実は“虐めている”事に気付いていないのである。
オイラが原発に“味方”する最大の理由は、様々な問題を抱えているからこそ、それを学ぶには丁度いい“教材”である事と、今まで自分自身が散々電気を安価で“無駄遣い”できたのは、原発が稼動してたからという側面がある事を知っているからである。もっと言えば、大阪の都心部や沿岸地域は、化学コンビナートや鉄鋼コンビナートの集合体であり、しかも大気汚染が酷かった。しかも河川の水質は劣悪で、オイラの実家にほど近い大和川は、今いる場所ならともかく、とてもじゃないが水遊びができる様な場所ではなかった。(なんせ、日本でも一、二を争う“汚い川”ですからw)今の様に、時期によっては六甲山系の稜線が見える程空気が澄み切った状態になったのは、正直言って高校時代位から…それまでは、梅田のビルの屋上から見る事すら、不可能に近かった。それっ位、大気中の浮遊物が多過ぎた。その原因は、さっきも言ったが、工業地帯のばい煙が酷かったからだ。その中には、大型火力発電所から出た、重油や石炭の排煙も含まれている。
大阪南港のほど近いトコに、昔大きな火力発電所があった。(現在のかもめ埠頭付近のアレじゃなくて、平林の貯木場の近く。)今は老朽化とかもめ埠頭に移設した事を受けて、完全に更地になっているんだが、当時からあの周辺の空気は、発電タービンから漏れる放射熱で熱く、しかもばい煙で汚れていた。また、現在休止中の多奈川火力発電所も、その周辺の海水温は冬場でも暖かくて、格好の漁場だった代わりに、若干油が浮いていた。ここの再稼動を求める方も多い事だろうから敢えて言っておくが、あそこを動かすという事は、近くにある関空の離発着に影響が出る事は間違いなく、ひいては隣県の和歌山北部の大気を汚す事にもなる。
今オイラが住んでる場所からおよそ20km程離れたトコに、天理市水道局管轄の天理ダムがあるんだが、ここはすぐ近く…というか、ダムの上と真下を国道25号線(いわゆる“非名阪”区間w)が走っている。普段はそんなに貯水量が多い訳じゃないからどうって事はないが、これからの梅雨時や去年の雨台風並みの降雨量があったら、ダムの耐久限界を超えるのを防ぐ為に、放水を行う事になる。ま、滅多な事ではそういう事にならないだろうが、放水が始まると、この“非名阪”区間は間違いなく“通行止”になる訳であり、仮に放水が間に合わず決壊した場合、すぐ近くの集落はもとより、天理市の中心部も(水没はしなくても)何らかの被害を受ける事になる。もちろんそれは、ダムを抱える自治体なら、共通の“危機感”である。
つまり、利点ばかりでなく、それを管理・維持していく事を怠れば、今まで以上の被害を出す事は、建築や物理学等の研究者でなくても、現場に行って体感すれば、誰でも想像がつく。逆を言えば、様々なトコから流れている情報のみで想像したトコで、それはなんの意味も成さない。現場で実物を見て、実体験があってこそ、初めてその情報の“正確さ”を実感できるのであり、Web上の情報でも、参考程度にはなるが、そこには“現実性”はない。つまり、自分の五感をフルに活かして掴んだ感覚こそ、人間は物事を判断する“唯一”の方法なのである。逆を言えば、テレビや新聞、そしてインターネット等の“口コミ”情報なんぞ、ドコでどうイジられてるかわかったモンじゃないw
だからこそ、オイラは散々、放射能に関する事なら研究所に籠ってる学者よりも、広島市民(県民)や長崎市民(県民)の“実情”を見た方が早いと言っているのであり、被曝者である彼等が、今でも(原爆症に怯えながらも)健全に生きている事、そして子孫を残せている事を踏まえれば、決して恐れる事ではない…そういった部分を無視して論じるなら、それは“虚論”である。そして、真の意味での“リスクマネジメント”とは、過去の事例を踏まえ、そこから“ああすれば良かった”とか“こうすれば回避できた”という“後悔”を、実践する事に意味がある。逆を言えば、そういった事をせずに諦める方が、気分的にはラクでも、後々に苦しむ事になる。特に、一見無駄に見える公共事業も、視点を変えて考えれば、現時点では意味を成さなくても、それは後に役に立つ…砂防ダムや高速バイパスの建設や、鉄道事業社の規格統一、更には著作権のあり方等、企画の段階では随時見直す事と、実行した場合は完遂するまでは、そのプロジェクトを止めない方が、却って被害を最小限に抑える事ができる。それでも文句があるのなら、最初から関わらない方が良い。だが、自分に“関係無い”と無視できる程、実は世界は広くないモンなのです。