迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

原発反対よりも、田舎の地位向上を…

先に結論を言っておくが、原発依存の“原因”は、エネルギー政策で“電気中心”で進めてきた事が全て。今、原発が止まってても大丈夫なのは、古びた火力発電所の稼動を進めた結果。むしろコレは別の環境破壊を意味してる事に気付かないと、本当に責任取れなくなるよ…子供達に残すべきは、負の遺産清算ではなく、持続可能な自給体勢だ。

さっきもTwittreで言い合いになったんで一応言っておくが、オイラ自身は原発“推進派”である…というより、原発を安全に“処分”する技術を身につけるには、むしろ必要だよ…という立場である。安易に原発を嫌うバカに対して言っておくが、稼動する云々よりも、それを“片付ける”技術こそ、これからの日本が海外で戦う、経済上の“武器”のひとつだって事。逆を言えば、発電技術よりも、原発の“解体技術”をキチンと確立すれば、原発を減らすだけでなく、諸外国が保有する核弾頭も、全て没収して完全処分する事も可能になるって事。
それはさておき、そもそも、原発云々よりも、一番蔑ろにされがちなのが、農林水産業そのものである。てのも、それらは昔からある“産業”であって、それが基盤であってこそ経済や産業の発展があった…というのを“昔話だ”としてる人が多いからこそ、実は話がややこしくなるだけ。何度も言うが、農業や林業、そして漁業こそ、本当はこの時代、見直すべき“産業”であって、それナシで原発云々は語るべきではない…否、都会に住んでるモンが田舎をバカにし過ぎるから、結局、原発を過疎の集落付近に作ったり、その“迷惑料”をケチるから、重篤な事故が発生すると、真っ先に周辺住民が“犠牲”になる訳である。
重要なのは、再生可能エネルギーの基軸をドコに置くかであり、その重要な役割は、農林水産業そのものが担ってこそだという事。もっと突き詰めれば、真の意味での“自給自足・地産地消”は、農家や漁業関係者、林業がその枠組みを越えて連携し、安定供給を目指す事に焦点を定める事が、今後の課題となる。むしろ、今の海外からの安価な製品の輸入依存状態を脱却しない限り、日本の第一次産業は衰亡するだけで、折角の“資源”を無駄にする事になる。
オイラ的に言えているのは、農作物には無限のエネルギーがある、そして林業が盛んであれば無駄なダムを作らなくてもどうにかなる、漁業が資源保全の為に“狩猟”から“完全養殖”に移行すれば安定供給が可能になる…という考え。それを“阻害”してるのは、実は都会での生活様式そのものであって、それが“原因”で原発が必要となった…というのがオイラの“軸足”である。このBlogでも何度も書いたが、原発依存のそもそもの原因は、都心部での過剰な電気の“浪費”であって、それに頼らない生活をやろうと思えば、農家の生活改善こそが重要だと考えたからである。もっと言えば、昔ながらの生活をやりながらも、変えていくトコを変えずに放置すれば、結局資源を無駄にする…という概念があるからこそ、都会生活を“捨てた”のである。一番の“無駄”とは…それは、副産物の“活用”を見出さずに放置する事である。
農家にとっての“副産物”は、収穫後の残渣(トマトの収穫後に出る枝葉とか、穀物脱穀する際に出る藁とか…)を、分解・発酵させれば肥料になるが、その際には大量のメタンガスが出る。コレを収集すれば、充分に燃料になる。もちろん、そのまま乾燥させてから燃料としても使えるし、近くに畜産業を営んでるトコがあれば、飼料として横流し…もとい、活用する事ができる。(畜産農家も、家畜の糞尿や使用済みの寝藁等を、野菜や穀物を栽培する農家へ回せば、一石二鳥な訳で…)しかし、都会の者ならわかるが、それを“利用”するには、相当な悪臭(って言ったかって、発酵と腐敗は“紙一重”であって、その際に臭いを発する訳で…)を堪えなければならない。よくわかるのは、下水処理場周辺の“臭い環境”が、集落全体を包んでいる…という状況w
林業の“副産物”といえば、間伐材や山菜、キノコであろう。しかし、山菜やキノコに関して言えば、それ相応の知識ナシでは危険である。というのも、中には見分けがつかない野草や毒キノコがあるからであり、また、適性に管理してない森林には、お目当ての山菜が生えてこないどころか、森の土そのものが“砂漠化”する場合もある。森林の保水能力は、実は適度な枝打ちや間伐と、樹木の根元に生える野草の刈り取りが重要であって、放置してると、去年の様な状況(奈良南部や和歌山南部の台風による土砂災害)に繋がる。つまり、ヘタに所有権を主張して管理を怠れば、却って里山を潰しかねない。特に、竹林が近所にある場合、春先のタケノコ掘りを怠れば、それが原因で山肌が竹の地下茎で侵蝕され、本来の雑木林が枯れ、生えてから5年以上経過すると勝手に割れる…という“竹害”が起きる。(オイラの近所にも、その竹害のせいで崖崩れを起こしてるトコがあるw)
漁業に関していえば、昔ながらの“禁漁区域”を設定していれば、ある程度の漁獲を保持する事ができるが、問題なのは、地元以外からの海水浴客や釣り人が、勝手にその付近の魚介類を“密漁”すること。ま、釣り客や野外活動で食糧確保の為…ってヤツなら、ある程度黙認してくれるのだが、それをヨシとして乱獲すれば、当然ながら周辺の漁獲が減るだけでなく、それを元手に売買をやるなら、地元漁師は堪ったモンじゃない…厳密には“養殖”ではないとは言え、実質的には港湾内を巨大な“生簀”に見立てて、周辺環境を整備し“養殖”してる様なモンである。それを勝手に余所者が獲るのは、犯罪行為そのものである。(農家の畑から勝手に農作物を採るのも同じw)
もっと言えば、“害獣”駆除に関しても、都会のモンが勝手な“動物愛護”を訴えるせいで、畑の作物や漁場の獲物が激減して、生活に打撃を与えてる…という事を知らん人が多い事w わかりやすく言えば、神戸市内…しかも岡本や御影などの住宅地に猪が出没するのは、その周辺で餌付けをした事が原因であり、しかも六甲山系は国立公園内故に“狩猟禁止区域”である。この説明だけでわかる人ならわかるが、要するに、家庭菜園で育てたナスやキュウリ等が猪に喰われても、あそこらへんの人々は文句言えないのだ。(ましてアライグマも、飼い主の勝手な事情で“野生化”してる訳であり、駆除したくても、そういう制限区域内ではできない…というジレンマが発生する。)
原発依存を本気で止めたいなら、まずは自分の生活を見直そう。如何に“電気依存”なのかがわかれば、必然的にそれを見直して、できるだけ“電気を使わない”方向で改めれば、原発どころか過剰な電力供給を抑える事もできる。つまり、太陽光発電パネルを開発すためにレアメタルの取り合いをしなくて済むし、大型風力発電所をや揚水式水力発電所を山奥に作らなくても、まして火山や温泉地に地熱発電所を作らなくても、環境保全は“可能”である。逆を言えば、環境保全を前提として原発が作られた…という点を踏まえずにギャーギャー言ってる方が、よっぽどのバカである。化石燃料を使う事程、実は環境破壊を招くだけでなく、その資源が枯渇した時に他所から…という安易な考えを廃さない限り、結果としてそれを巡る戦争が起きる。だから、本気でエネルギー政策を考えるなら、むしろ農林水産業の“副産物”に着目し、それを活用する事が前提で考えるべきだ。それができない以上、原発依存は治らない…