迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

本気で子供の人権を考える…

今日は、Twitter纏めサイト経由で“討論”となった話。ま、反原発派の“花畑”っぷり全開だったんでアレなんだが、詳しい事はここで伏せるとして、ちょっと心配なネタを…それは、抗議活動をやってる連中が“子連れ”である事。このBlogでも再三、注意してきた事なんだが、抗議活動に自分の子供を巻き込む親程、本当に無神経で無責任な話。まして、昨日の抗議活動では、土砂降りの中で雨雲を用意せずに、しかも厚かましく施設入館や、暖をとる為のバスを用意しろとやりたい放題…あのなぁ、本当に気の毒なのは、こんな親の下で育てられた子供であり、まともな教育も受けてないから、常識そのものがすっぽ抜けたまま成人になる事だ。叱ってくれる事の有難さ、そして本当に正しい事を“正しい”と、自分自身の価値観で判断できる事の責任感と喜びを奪われる事程、子供にとって一番の不幸だと、オイラは思う。

その“花畑”っぷりをひとつ上げると、おおい町での抗議活動に、わざわざ遠方から子連れで参加し、しかも活動に巻き込んだ事に関してツッコむと、返ってくるのは“子供は後方の安全なトコに…”という解答w しかも、大飯原発にほど近い道路上での話だ。まずここで、ひとつの“正義”が破綻してる。そう、いくら停止して原子炉も壊れていない原発だからといって、その周辺で奇形が生まれただの、白血病心不全で…って宣うてるモンが、何で放射能に過敏な子供を“連れている”のかって事。もっと言えば、“子供を守る”と言いながら、実際は我が子を“一番危険なトコ”へ連れ出している事自体、既に放射能漏れ云々を“無視”してやってる様なモンである。言っとくが、本当に放射線がひとつも漏れていないなら、40年以上前に原発を作る際、その候補地は、東京や大阪といった大都市のコンビナートの一角に作っている訳であり、また、本当に危ないモノであるなら、福井県とて14基も原発を抱える事を容認したりしていない。つまり、おおい町へ親子で出向く事程“危険”な行為であると同時に、原発周辺は、余程でない限り放射能汚染を受ける事はない事を、自らの身でアピールしてる様なモンである。そう、福島の子供達より“我が子Love"であるなら、原発周辺での抗議活動に、わざわざ学校休ませて子供を連れて行く方が、よっぽど子供にとって“大迷惑”である。
もうひとつは…ま、コレはオイラのネタじゃないんで取り上げる事はないのだが、地元の高校生が、明確な証拠写真を挙げて、活動家を批判してる件。その“証拠写真”とは、活動家の連中がベースキャンプと称して占拠してる公園のトイレで、ノーパソやデジタルカメラ等の充電をやっている写真。それと、一部の科学者が“生物がいない”と罵った区域内での、水田でコウノトリがエサを探す写真。忘れてはいけないが、広島や長崎の“被曝地”でも、原爆投下の翌年には、焼け残った桜の木が花を咲かせたし、雑草ボーボーだったという。言っとくけど、本当に放射能が“悪”であるなら、70年近く時を経た広島市長崎市は、今でも人は住めないし、ゴキブリはともかく、ネズミやモグラといった“害獣”や、セイタカアワダチソウ等の雑草すら生えていない状態でないとおかしい事になる。何度も言うが、原爆で亡くなった殆どの人は放射線被曝よりも先に、原爆炸裂時の高温・高圧の爆風によって負った全身火傷が死因であり、爆心地に近いトコで生き残った人々は、偶然ながら頑丈な建物の、しかも奥まったトコにいて、直接爆風を浴びなかった事で助かってるのである。逆を言えば、空襲警報がなくても防空壕の奥にいた人で亡くなったのは、殆どが餓死である。そこんトコを間違えてはいけない。こんな事が言えるのは、何度も言うが、オイラには原爆の“生き証人”が知り合いにいて、その経験を幾度となく聞いているからだ。よって、この時点でも高校生の“証言”が正しく、怪しい参考データを振りかざす、自称“放射線被曝治療の専門医”や、某有名大学の“エリート生物学者”の戯れ言は、一刀両断されている。つまり、ここでも不都合なデータの“改竄”があるという事だ。
ここまで言えば、本当に賢明な人々はお気付きだろう。投稿者が“子供”だとバカにしてる様な科学者程、現地に足を向けないし、とんでもないデマの風潮を手助けした上に、地元の子供を蔑んで自分の“正義”を振りかざす愚か者であり、また、子供の“就学の自由”を奪った上に、自分勝手な“正義論”を植え付けて、危険な現場の最前線へ赴かせる親程、およそ本気で“我が子の人権”なんぞ、全然考えていないのである。そう、“子供が大事”と言いながら、むしろ自分の我侭に付き合わせて、我が子の“人生”を土足で踏み躙ってるのは、いうまでもなく、抗議活動で奔走してる、バカな親である。そして、自分の信念“のみ”を正義として、他者の意見や警告を無視し、自分の“理想通り”の人格を形成しようとする教育者こそ、子供にとって、タチの悪い"敵”である。つまり、イイ歳して仕事を放り出し、近所迷惑を顧みずにドンチャン騒ぎをしてる“成人”こそ、全ての子供の“怨敵”であって、それによって狂わされた人生は、様々な恨み事より根が深い。そして、それだけの事を“やっちまった”という“自覚”がないから、余計に子供達は不幸になる。そう、本当に“不幸”の二字を消そうと思うなら、まず最初に自分の子供は“モノ”じゃないという事に気付こう。どんなに幼くても、子供には子供なりに“人格”と“生き様”がある。その部分を尊重せずに否定するなら、それは指導者として失格である以前に、子供の“親”である資格などない。そして、子供を叱る時、自分の感情論ではなく、世間に迷惑を掛けた事に対しての責任の重さを教えてこそ、初めてゲンコツやビンタの意味がわかる。自分のストレス発散の場を、一番の“弱者”であり、“身近な存在”である子供にぶつける“成人”程、オイラから見れば“幼稚”過ぎて片腹痛い。訴えたい事、そして言いたい事は、子供を介して言わすんじゃない。自分自身の意思で、自分の口ではっきりと大声で叫べ。それが本当の“抗議”のあり方であって、幼い我が子を巻き込んでまで、大騒ぎするのは愚の骨頂。そんなのは“バカ親”である以前に、人間失格である。