迷馬の隠れ家 はてな本館

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ついに解禁!! iTSにSONYレーベル!!

長年の懸案が、またひとつ“解禁”となった。既にご存知の方も多いかと思うが、SONY系の邦楽タイトルが、今日からiTSでDL可能となった。つまり、今までならMacに対して、散々イヤミ全開な措置(コピーガードとか、楽曲販売の制限とか…)をやってきたSONY系レーベルが、ここんトコの楽曲販売不振が響いたのか、ついに“根負け”したようである。無理もない。AppleiPodシリーズの使い勝手の良さや、ファイル許容量、更に価格を考えれば、どんなに縛りを作って頑張ったトコで無駄である。大体、日本のレコード業界は、いつまでデジタル機器や技術をバカにしてるから、折角の勝機をも獲り逃がすのであって、ましてDLを規制したトコで、それは意味を成さないだけじゃなく、違法行為が更に陰湿に蔓延するだけの話。発想の転換をしない以上、日本の企業が没落するのは、目に見えている…

SONY vs ◯◯"の図式は、今に始まった話ではない。その昔、任天堂に喧嘩売って作ったPlay Stationシリーズも、初期の頃こそ人気を博したが、今はむしろ、画像処理能力や音質に拘り過ぎた事が仇となり、コミュニケーションツールとしての部分でも、単純なゲームとしても、WiiやDSシリーズに負けている。そう、あまりにも玄人過ぎる機器に成り下がった事が、却って家族層から“嫌われる”傾向に陥ったのである。また、シリーズ間での互換性が乏しい事も、結果として、売上そのものを下げている様に思える。ちなみに、NINTENDO 3DSは、DSのソフトでも遊べる互換性があるだけでなく、一部のゲームでは、Wiiシリーズとも通信機能でデータの共有ができる機能がある。つまり、ゲーム機でありながら、既にネット社会では一般的になりつつあるクラウド機能が、最初から設定されているのである。故に、最低限度のネット環境さえあれば、PC無しでもゲームデータの管理ができる。しかし、PSシリーズにはその機能が脆弱で、しかもMacでは“管理不可”である。(もちろん、MacOSで…という話。Windowsに切り換えてやれば、できなくはないがw)まして、データ管理が専用のメモリースティックでないとダメ…となれば、必然的に一般的なSDカードで管理できる3DSの方が、使い勝手がいい。ま、Appel流に“専用機”的扱いで開発を進めてきた“弊害”ではあるが、そこんトコをよく理解した上で、Windowsも使える“intel Mac”の開発にGOサインを出した、スティーブ=ジョブズの判断が如何に優れていたかを示す話とも言えよう。
閑話休題、つまり、世界中のエンドユーザーにしてみれば、好きな楽曲を自分の好みでチョイスしたくても、アルバム販売しかしないアーティストの楽曲なんぞ、クソである…ちょっと下品な言い回しだが、本当に“名曲”と称される楽曲は、シングルだろうがアルバムだろうが関係無く、多くの音楽ファンに支持されるが、楽曲を最初からアルバム発売を前提に作ってる様なアーティストは、単なる自惚れである。そう、エンドユーザーである音楽ファンが聞きたいのは、ダラダラしたアルバム曲ではなく、その中から“心響く”楽曲である。つまり、シングル曲でもそうだが、テーマ性がはっきりしてる曲や、イメージが自由な曲は、世代を超えて愛されるが、そうじゃない曲は、どんなにアルバムとして収録しても、無視されるのがオチである。ゲームでもそうだが、単純なゲーム程、多くのユーザーが作業に集中し、そしてハマるのである。それと一緒で、売りたい楽曲やアーティストがいたとしても、それを選ぶのはエンドユーザーであって、ファンが好む、気分に合った楽曲がない以上、どんなにセールス活動をやっても無意味である。つまり、時節柄を見抜いた楽曲は、その思い出とともに時を越えてリクエストされるが、それと関係ない楽曲を、それも的外れな時期にリリースしたって無意味である。また、一曲単価を考えた時、その価格が高ければ高い程、違法DLは後を絶たない。なぜなら、それに似合う価値を決めるのは、あくまでエンドユーザーの懐事情であって、その付加価値を理解して買う人は、残念ながら皆無である。つまり、ジャケット写真にいくら制作費を注ぎ込んでも、今の時代にはそぐわない…本当に残念な話だが、今の若い世代にジャケットの重要性を説いたトコで、それをキチンと理解するには、幼少期からレコードやCDに触れる機会が減った現状では難しい話である。(まして、それを理解してコレクションするとなると…ジャケットそのものが、昔のは結構“手抜き”なヤツが多いから、結構がっかりするのよ、特に邦楽の類はw)
著作権に煩くなり過ぎて、肝心の作品が売れなくなるのは、本末転倒な話である。逆に、本当にエンドユーザーが“聴きたい曲”を提供する術として、楽曲の一部(あるいは作品そのもの)をコモンズ扱い(条件付きで使用許可するやり方。詳しくはググれw)にするアーティストもいる。もちろん、制作過程を公開してる向谷実氏のやり方もひとつの方法だが、重要なのは、“目に見えない権利”をいくら振りかざしたトコで、本当にそれを守れるエンドユーザーは少ない…という事。貧乏人相手に商売してる事が、そもそもの間違いであって、富裕層相手に商売するなら、それに似合う作品も、音楽を“生業”でやってる以上は作ってナンボである。まして、ストリートライブで駅前広場とかを占拠してる連中が、道交法違反やってる時点で本来は問題なのであり…ま、そこは別の話だから無視するとしても、肝心なのは、そのエンドユーザーの“客層”が見えない状態でやってる以上は、贅沢を言う方が間違いであり、逆に、相手が見える状況で、相手を罵倒したり批判的な楽曲を作れるかって事。そこがわかってるなら、むしろ涙を飲まざる得ない人がいて当然であり、それを逆に“励み”としてやれる連中だけが、本当は生き残れる世界でなければ、音楽業界なんぞ廃れて当然である。
それはどんな業種でも同じであり、故に時には、“煮え湯”を飲もざる得ない状況もある。今の日本経済は、まさにそんな状態なのに、未だにブランド力や過去の技術に頼り過ぎて、次のステップが踏めずにいるから、新興国と言われる国々に負けるのである。勝つ為の“敗北”は決して無駄にはならない。むしろ、その“敗北”を恐れている様では、自ずと閉塞感で苦しむ事になる。だからこそ、このSONY系レーベルの“決断”は、歓迎すると同時に、他の利権者に対してもう一歩踏み込んだ“開放”を促す“警告”だと言っておきたい。ちっぽけな利権の為に身を滅ぼすのか、それとも意地を張らずに全てを曝け出すのか…次にその決断を下すのは多分、放送業界の利権者達の番ですよ。