迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

どんなに時が経とうとも…あれから18年。

今日は命日企画をお休みして、阪神淡路大震災の話を…もう18年と思う人も多いが、あの震災で親類縁者を亡くした人や地元に残って頑張ってる人には“未だ18年”という感覚の人もいる。まして、2年前の“3.11”以降、より一層、阪神淡路大震災の記憶を、忘れてはならないと思った人も多いだろう。しかし、残念ながら、神戸市内ではおよそ4割の人があの震災を“知らない”という人に変わっていってる…そう、震災後に生まれた若年層には、その“記憶”そのものが存在しないため、毎年の追悼行事そのものが、ある意味“事務的”な行事へと変わりつつある一方、東日本大震災以降、阪神淡路大震災の事を学ぼうという人達もいる。大事なのは、自分ひとりの“記憶”だけで留めるのではなく、正確な“記録”として、後世に伝え残す事である。それが“歴史”の重要な作業のひとつであり、きちんとした記録が残っていれば、それを基に、有事の際の行動マニュアルを作成する事もできるし、そこから今後の展開を予想する事も可能になる。しかし、ごく一部の人によって、その記録が歪曲されると、却ってその歴史そのものが史実上から消え去る事になりかねない。

口伝…言い伝えの類は、真実の“記録”を後世に解り易く説明するつもりで、さまざまな表現方法を駆使するうちに変化していく訳で、その中には、被災者自身の自虐や、そこでのデマ・中傷も含まれている。実は、ここの部分“だけ”が一人歩きしがちであり、そういうのがのちに“都市伝説”の類に昇華する傾向がある。忘れてはいけないが、次世代の者に、実体験談を詳しく話したとしても、経験が皆無である以上、言葉での説明に限界がある。まして、記録写真も、残念ながら、デジタル処理技術が進んだ現代において、その画像そのものが“加工”されてしまう危険性がある。まして、疑心暗鬼な世の中では、実体験をBlogやSNSを通じて書き込んだとしても、読み手の想像力や読解力が乏しいと、何ひとつ“伝わらない”という状況に陥る。これは、教育の問題だけでなく、全世代共有のジレンマだ。
災害の歴史は、被災経験者にとっては“忘れたい”記憶であり、振り返る度に、失った事の悲しみと救えなかった憎しみが、胸の奥で交差する。そして、時としてそこで“立ち止まってしまう”人がいる。その失望感は、第三者にはわからないし、知りたくても、想像を絶するモノばかりである。また、同じ体験があるとしても、当人にとっては“別モノ”なのである。そう、それ故に記憶が風化する事を望む人もいる反面、風化する事によって再び起こり得る“大惨事”に対する備えができないと諭し、当時の記録を探す人もいて当然である。まして、震災以降に生まれた者にとって、その“記録”自身は経験がない以上、教科書の上の“出来事”でしか触れる事はできない。それは今後、東日本大震災の被災地である東北や首都圏の場合も一緒で、原発事故があった福島県はともかく、それ以外の地域では、復興が進み雇用が増え、人口が増えれば、その分だけ震災や津波被害の“記憶”そのものは消えていく事になるだろう。しかし、それを何とかして後世に伝えたいと願う人がいる限り、データや教訓として語り継ぐ場を設ける必要性が出る。まして、救援に来た自衛隊日本赤十字、海外からのNPOの救援隊等は、この時の経験を、後継の者に教えていく義務がある。それが有事の時の心構えのひとつであり、それなくして救援要請を受けて出動すれば、イヤという程の亡骸と対面せざる得ない事態に耐えなければならないからだ。
まして、宗教団体にできる事なんて、被災地域内の信徒と幹部はともかく、各方面の社寺を通じて、救援物資や義捐金を、それこそ信徒や周辺住民に頼み込むのが関の山である。もちろん、広い敷地を開放して、避難所として使ってもらう事は当然の話として、救援ボランティアとしてきた者を迎え入れて、現場の状況をできるだけ簡潔に解り易く伝え、行動を指示する事も、ひとつの“役割”である。そう、こういう時こそ、信徒同士、あるいは周辺との信頼関係という名のネットワークが生きるのである。
閑話休題。つまり、現地で、しかもその当時の惨状を知った上で、政治家や役所に抗議したり、不逞の輩を罵るのは結構な事だが、この情報錯綜による混乱に乗じて、不用意な差別行動を起こす事は、後々の歴史改竄に繋がりかねない。つまり、“死者が多かったのは◯◯のせいだ”とか、“▲▲のせいで物資が滞った”とかといった“余計なデマ”による混乱は、やがて真実(真相)をはぐらかす“原因”にもなる。だからこそ、正しい歴史認識を持とうと思うのであれば、自分の五感を信じ、外部からの情報に惑わされない冷静さと、同じ真実を共有する者の言葉を、素直に信じる心を有すべきである。当然だが、先方にもその心があるなら、最初に誤解をする事はあっても、必ずどこかでわかり合う事ができる。その思いが消えた時、どんな災害が起きても、たとえ被災地にいたとしても、無関心のままで終わるだろう。そうならない為にも、今一度、あの時を振り返り、自分が“自分”である為の一歩を踏み出そう。それが、犠牲者に対する哀悼の意と誓願になるから…