迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite Contents vol.14(糸居五郎とRN2の話。)

2013年7月から、ラジオNIKKEI第二放送は平日、“RN2”という名称で、基本、25分間ノンストップで音楽を流し、5分程度のトーク(様々な雑学系)の構成で放送をやっている。何のひねりナシの構成だが、やっている事は、かつての“オールナイトニッポン”…というよりも、糸居アナがやっていたスタイルに近い。でも、なんでこうなったのかという事を考えると、そこには、現在のラジオが抱える問題と、せっかく“radiko”で全国放送してるのに、第一放送のサイマルではもったいないという事情がある。そう、radikoユーザーならお解りかと思うが、放送大学とラジニケだけは、WiFiや携帯の回線が使えて、タブレット端末やPCのradikoプレーヤーを起動させれば、日本中どこでも聞けるラジオ局なのである。その“利点”を活用せずに、リスナーポイントが稼げるか…って話なのである。(もちろん、週末や代替での競馬開催時は、通常の競馬中継モードのまんまだがw)

糸居アナが“オールナイトニッポン”に持ち込んだスタイルは、いわゆる“アメリカンDJスタイル”ってヤツで、基本は、自分が選曲したリスナーに聞いて欲しい楽曲を、ほぼノンストップで流し続けるやり方であり、語りはあくまで“オマケ”である…つまり、余計な情報は削ぎ落して、できるだけリスナーには、様々な音楽を聴いてもらって、お気に入りの楽曲であったなら、それをレコード屋へ行って買い求めて欲しい…というのが基本であり、それ故に、他のラジオ番組のやり方を、糸居アナは散々皮肉った。(もちろん、その対象は平川アナだったり、努兄だったりする訳なんだが…)しかし、かつてのラジオリスナー…特に受験生にとっては、深夜の受験勉強の最中に聞く分において、自分の悩みや鬱憤を、誰かに聞いて欲しい、慰めて欲しい一心でリクエストをハガキに書き込み、その思いを込めていた。だから、次第に糸居アナのスタイルよりも、担当パーソナリティーの勝手気侭な雑談形式がウケる様になり、更には、年齢層の加減で演歌中心のラジオ番組が、中波(AM)ラジオでは幅を利かせる様になってしまった訳である。こうなると、若年層は音質がいいFMへシフトしていく訳であり、特に洋楽ファンは挙って、FMに逃げたのである。しかも90年代からは、FM802の様な“第二のFM局”が各地で開局していく訳であり、ますます中波帯のラジオ局は、雑談ばっかのプログラムしか、作らなくなっていったのである。
ラジニケの場合はもっと深刻で、80年代までは夕方の若年層向けバラエティー番組をガンガン放送していったのだが、ヤロメロ(というか、“はしゃで〇〇大放送”が放送終了)以降がグダグダ過ぎて、90年以降、完全に“平日市況、週末競馬”が定着してしまう訳であり、第二放送に限っていえば、バブル以降は大阪支社から株式市場の放送をする事が無くなる(大証が場立ち取引を止めた為)と、週末と代替競馬開催時以外は“放送休止”といった状況に陥るのである。(もちろん、競馬バブルのおかげで、この時期は競馬の月刊誌を発行してたけどねw)そもそも、短波放送自体が日本ではマイナー過ぎて(理由は、短波受信用のラジオ自身が、一般に普及しなかったから)、いろんな事をやってる割に、注目される機会が、他局に比べると少なかった。しかし、全国規模でいわゆる“マウンテントップ方式”で放送できるラジオは、短波帯で放送してるラジニケの強味であり、コアなリスナーはむしろ全国規模であり、噂では、ヤロメロで大橋アナ降板イベントをやった時でも、赤坂にある日本自転車会館周辺に全国からのリスナーが溢れかえって、近隣のアメリカ大使館が警視庁に対して警備強化を要請したとか。今の時代ならともかく、この時代の話でコレだから、もしも80年代にインターネット環境が整っていて、廉価PCが普及してた上にradikoがあったなら、完全にラジニケ“一人勝ち”であるw
閑話休題、では、なんで今、“RN2”という試みをはじめたかといえば、先にも述べたが、ラジニケはradikoプレーヤーを使って聞けるラジオ局の中で、放送大学とともに、全国どこでも聞く事が可能な民間ラジオ局である。(NHKも“らじる★らじる”ってのがあるけど…w)つまり、未だradiko未加入局地域であっても、ラジニケと放送大学は、エリアを無視して試聴可能なラジオであるから、その強味を生かさなかったら、宝の持ち腐れになる。だからこそ、ラジニケ故の悩みである。そう、コンテンツをどうするか…である。実は、NHKも“らじる★らじる”を開始する際に悩んだのは、全国放送故に、情報発信が“首都圏版のみ”になる事…つまり、同じプログラムで放送してるといえど、交通情報や放送地域毎の限定情報等をやりたくても、IPアドレスで判断して放送エリアを区切るradikoと違うから、対応できなかった訳である。(とはいえ、最近になって第一放送枠が大阪・名古屋・仙台・東京からの選択が可能になったがw)そのため、サービス開始時に、一応放送内容が“首都圏限定”である事を断った上で開始された訳であり、通常通りの放送を、そのまま流すという、ある意味開き直った態度でやっているのである。放送大学に関しても、首都圏以外ではラジオの放送が受信できない(首都圏のみのFMでやっている為)という不公平感があった事を受けて、radiko加入をきっかけに、(最初は首都圏のみだったのが)全国放送へ舵を切ったのだが、ラジニケは、コンテンツ不足を理由に、初期の頃は第一放送のみ…しかも首都圏縛りをしてたため、第二放送をメインで聞いている競馬ファンから不満が殺到した訳で、泣く泣く第二も…って訳である。しかし、経営のスリム化を狙ってやった事が仇となり、深刻なコンテンツ不足に陥る訳であり…そこで平日は第一のサイマル放送を、9Mhz帯に規制が掛かる(同じ周波数を他国でも使っている関係で)東証での市況中継が終わる15時までやる事にして、とりあえずお茶を濁してたんだが、radikoにそんな規制なんて“無関係”な話であって、多くのradikoリスナーから“ふざけんなw”って声が挙がる訳である。そこで、実験的に、今年2月のバレンタイン週間に、“虎ノ門外の変?!”と題して、通常サイマル放送を中止して、特別編成を行ったら、コレで良い手応えを掴んだ訳でして、番組審議会等を経て、7月改編をもって“RN2"が本格始動となった訳である。
で、その放送形態をどうすっかと考えた時に浮かんだ方法が、糸居アナのDJスタイルに繋がってくる訳です。つまり、他局との差別化を図るのであれば、敢えてBGM感覚で聞ける番組構成にしよう…だから、だらだらとリスナーからのリクエストや話題に答えるのではなく、出演するキュレーター(発言者)の知的好奇心をくすぐる話題を挿みながら、時間帯によって心地良く聴ける音楽を、できるだけジャンルに囚われない様に流していく様にしてるのです。
オイラも、作業用BGMの代わりに聴いてるんだが、選曲の幅が基本、60年代〜90年代と世代によってはストライクゾーンな楽曲が多い点では、関西だとFMCOCOLOと“ダダ被りw”だったりすんだが、余計な情報が入らない分、聞いてて鬱陶しさがない。(ま、FMCOCOLOは、FM802の“第二放送”扱いですからねw)そういう意味では、時代がやっと、糸居アナの理想に追いついたと言った方が正しいのかもしれない…