迷馬の隠れ家 はてな本館

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歴史を学ぶ時、あなたはどうしてましたか?

 滋賀県の9月定例議会が18日開会した。本会議の冒頭、嘉田由紀子知事は台風18号被害の状況を報告し、早期復旧に取り組む意向を示した上で、ダムだけに頼らない総合的な治水対策を進めるため、全国で初めて建築規制を盛り込んだ「流域治水推進条例案」を提案した。
 嘉田知事は提案説明で「台風18号で特別警報が出るほどの災害を受け、ハードとソフト両面からの多重防護の対策が重要とあらためて認識した。一日も早く制定し、県民の命を守るための流域治水政策の推進に理解いただきたい」と述べた。
 条例案は河川整備や貯水対策に加え、200年に1度の大雨を想定した浸水危険区域を指定し、地盤のかさ上げか避難所整備を求める内容。建築規制には罰則を伴う。
 最大会派の自民党県議団などが反対しているほか、想定する浸水危険区域に立つ約1070戸の8割が集中する長浜市なども反発している。(by:京都新聞 2013年9月18日 13:39配信分)
以前にも解説したと思うが、元々、水害が想定されている地域では、自治体よりも先に実態を把握した上で、自主的に家屋の嵩上げや、遊水池化が可能な様にしてある住居が多い。つまり、過去の経験を活かしての“自衛策”をやっている訳であり、そこんトコの歴史をキチンと学んでいる人であれば、一見、過剰とも思える対策でも、実際に発生した有事をもって理解が可能である。が、新興住宅地として再開発が進んだトコだと、まず、そういった“地元の歴史”を知らずに宅地や住宅を買っている事が多いんで、いざ、そういった有事が起きると、速攻で行政のせいにしたがる…念のために言っておくが、どんな土地でも、それ相応の天災の歴史があり、それが風化する最大の原因は、地元住民と移住者との間に、情報の共有が成されていない事と、その地域の“歴史”を学ぶ機会がない事にある。もっと言えば、教科書通りの“歴史”はわかってても、現場にいた訳じゃないから、その感情がわからない…って事。ま、嘉田滋賀県知事は、こういうアイディアを速攻で挙げるのは上手いが、周囲への根回しがヘタ過ぎるから、先の参院選衆院選で散々叩かれる訳なんだが…

では、ここからが本題…様々な歴史の話を学ぶ時、あなたは、その“史実”と“現存する証拠”を照合した事ありますか?実は、歴史を“学ぶ”とは、何も過去ばかりを見る事が主眼ではありません。むしろ、過去の出来事なんてのは、今後の予測を行う為の“ヒント”でしかありません。つまり、過去の出来事は、現在進行形である自分自身と、まったく“無関係”な事ではなく、よく似た事案や傾向と遭遇する事がある可能性を示唆しているのです。言い方を変えると、“歴史は繰り返される”という格言は、当事者自身がそうだと気付かないからこそ、現状のみで語る訳であり、古いデータだからと見逃してる事でも、それを活かす事で、当時とは違う答えを導き出せる事を意味します。つまり、地名の由来でも、一概には言えないとはいえ、過去の歴史を繙いて、その“名前”に至った経緯を知れば、防災や減災のヒントを導き出せるのです。逆に、新興住宅地の地名と旧来の集落名が関連性を見出せないトコとは…ま、そこはお察しください。
学会員が“御書”を学ぶ時でも、実は肝心なポイントを押えておくと、何故座談会で用いる“御書”がコレなのか、推測が付く様になります。それは、引用する“御書”の一節は、その殆どが弘教活動の“ポイント”であって、例えば、今月の“大白蓮華”に掲載されている持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう:法華経を持つ意義に関する問答形式の御文。)の場合、これが掲載されるという事は、ひとつはお彼岸が近い事と、もうひとつは、人生を振り返って完全燃焼できたか、それを今一度問い直す事を示唆する内容です。つまり、自分の生き様に悔いが残っていないか、どんな人生を歩んだとしても、それを恥じる様な自分であったかと、今一度確かめる事と、そして、それを実践してきた事を、他の人に対しても、自分自身の言葉で、あるいは実践で教えていく事を説いた文章です。(ま、明日からシンちゃんとカイルの“例のアレ”をやる訳だから、タイミング的に合っている内容と言えるかもw)

( >宮<)、;'.・ ィクシッ( >審<)、;'.・ ィクシッ

つまり、過去にあった出来事を、自分自身の教訓として活かそうと考えているなら、どんな歴史にも興味が湧きますし、しかも、参考にもなります。しかし、眼前の出来事であっても“他人事”としてしか受け止められない人は、故に歴史を“難しい”と感じる訳であり、また、正しい認識といっても、一方的な“史実”を鵜呑みにしてる様では、結果的に自分と繋がる“真史”から目を背けているのと一緒であり、更には後世に対して歴史を歪曲して伝えるという、一番無責任な行為をやってる事になります。もちろん、災害の記録に関しても、被災者にとっては忘れ去りたい事であっても、後世にその記録を残さないと、同じ過ちを繰り返す事になります。阪神淡路大震災の時、当時の貝原兵庫県知事の英断が無ければ、中越地震東日本大震災の時に、自衛隊在日米軍に対して、自治体単位での救援要請を出す事はできなかった訳であり、今回の京都や滋賀、福井での水害でも、陸自が出動する事は、あり得ない話です。まして、大阪での浸水被害が最小限だったのは、その周辺地域が元々住宅地ではない事を知っている人が多かったからこそであり、以前から地下遊水池の設置工事を行っていた事が、ここに来て功を奏してる…と言って良いでしょう。逆を言えば、なまじメジャーな“観光地”であるが故に、万が一の対策が何もできなかった事を意味してる訳であり、また、治水の面から見て進めていた、防災用ダムや堤防の整備といった公共事業を“無駄な事”として声高に言った人々が多いから、こういう結果を招いたと言っていいでしょう。特に嵐山周辺の被害は、上流部にある日吉ダムの緊急放流(ダムの決壊を防ぐ為に、ワザと水を下流域に流す事)が、ある意味原因になっている訳で、また、台風を予測して、事前に放流しておけば良いのに“観光地の景観保持”を優先した結果、却って被害を大きくさせたと言って良いでしょう。ちなみに、滋賀県瀬田川洗堰の水門を全部閉じたのは、下流域の宇治川流域の地域の被害を最小限にする為の“犠牲”であり、また、大戸川ダムを計画段階で建設中止した結果、その流域住民が被災してる訳であり、栗東市の被災地域も、実は堤防の改良工事中だった事を考えると、結果論で語れば、嘉田知事の“過去の判断”が間違っていた事を示す事になります。その“反省”から、今回の治水整備に関する条例を提出したのであれば、まさしく“本末転倒”です。つまり、滋賀県の河川流域に住んでいる者が“悪い”という言い方に取られても、仕方ない事を言ってる訳です。大戸川ダム建設に賛成してた人にとっては“ザマミロ”な結果であり、反対した人は、むしろ無責任なまでに損害賠償を、滋賀県や国に訴えるでしょう…何度も言いますが、歴史を学ぶ時に、過去の“失敗”を他人事として聞き流せば、必ず、その厄災は降り掛かってきます。
同じ事は、反日感情を露にして国際社会で“被害者”ヅラをする中国や韓国政府の態度にも言えた話で、彼等がやっている行為は、まさにかつての大日本帝国の態度そのものです。当然ですが、近東の情勢もまた然りで、それぞれの国が抱えている問題は、単純な事ではありません。が、根幹的な事は、各々の“歴史”が教えてくれます。そこに着目し、キチンと理解した上でそれを利用しないと、過去の失敗と同じ轍を踏みます。福島の原発事故も、結局はチェルノブイリやスリーマイルの事故を“他人事”にしてたツケです。だからこそ、同じ過ちをやっている事に気付き、そこからどうすれば良いかを学ぶ事こそ、実は本当の意味での“歴史の勉強”となるのです。もっと言えば、前例がないからと引っ込み思案になる事こそ、実は過去の失敗を踏襲する“原因”なのです。失敗から学ぶ事が多いのは、それだけ分の“答え”の内、災害発生当時は、その“ひとつ”しか選べなかったからです。ともかく、失敗を忘れない事と、それをキチンと伝えた上で対策を考える事が、これから“先人”となる者の“使命”なのです。