迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

考え方を180度変える、ユーモアの作り方。

親日派が唱える日本人とは、謙遜しながらしたたかである事を指す。反日派が唱える日本人とは、惨めで無様でカネに汚い事を指す…でも、オイラからすれば、それらは“真実”ではない。真実の日本人は、どんな国の文化や技術をパクっても、それを地域毎にカスタマイズできる知恵(狡賢さ)と、恵まれた(厳し過ぎる)環境を望まない事…真の意味でのユーモア(柔軟さ)を持ち合わせている事であって、それは日本に生まれ、育った者であれば、誰にでもできる事である。そこには人種や言語、宗教の違いなど関係無い。なのに、誰一人としてそれが“わからない”から困ったものであるw

皮肉な話だが、日本人の謙虚さを褒める人はいても、同じ様な事をする中国人や韓国人を褒める人はいない。何故なら、諸外国…特に白人文化が根付いた国々にとって、日本こそが“アジア”であって、中国や韓国がどんなに優れた民族だと自分達で吼えたとしても、そのあとの“態度”を見て、ハナで嗤われる訳であり、本当に誇れるモノがあっても、それを白人共は理解できない訳である。もっと言えば、日本が江戸時代末期に鎖国状態を解いた後、必死になって西洋文化…特に工業生産技術や近代軍備を取り入れ、それをカスタマイズしていった経緯を身近に見ていた欧米諸国は、それが他のアジアの国々…特に中国よりも脅威だった。だからこそ、太平洋戦争末期にアメリカは広島と長崎に核爆弾を投下せざる得なかった訳であり、なによりもロシア(ソ連)は、日露戦争でバルティック艦隊が破れた恨みがあったから、弱体化した隙を突いて、北方領土と南サハリンを奪ったのである。そしてなによりも、天皇を頂点とする皇族の存在が、王政を嫌ったアメリカやフランスなどの民主主義、共和制政治国家にとって、君主の意見で国民の統率が取れる事…皇族(天皇)と国民の信頼関係の深さが、羨ましかった。だからこそ、その存在価値が奇跡だった。
しかし…この件で言えば、実は沖縄県民、というよりも、琉球王朝文化がある沖縄本島八重山諸島、更には鹿児島県に編入している奄美地方は“蚊帳の外”であり、本州や本土に近いエリアに住む日本人とは、文化も風習も、そして考え方も違う。当然だが、同じ北海道民であっても、元々からいるアイヌ民族と、明治以降に開拓の為に本土から移り住んだ人々とでは、その文化や感覚が違うし、まして今でも、それ故のギャップがある。つまり、日本人といえど、沖縄県民の一部にある感情が、本土の人間に通じないのはそこであり、一番の恨みは、琉球王朝の“否定”を日本がやっている事だという部分である。つまり、そこんトコを利用して、政府批判をやっていると考えれば、話が通じるだろう。特に米軍の基地問題は、本州側(九州含む)にあるの基地でも発生してる事なのに、沖縄“だけ”が大騒動になるのは、マスメディアを通じて作られた“虚構”であり、また、本当に問題が沖縄“だけ”でないなら、他の米軍基地に対しても、しかも全国規模でやるべきである。ココが一番のポイント。では、なんで沖縄に米軍基地が集中するかといえば、それは中国に対する牽制であり、また、朝鮮半島情勢の悪化が懸念されるからこそ、一番動きやすい場所…ひいては、アメリカ的に一番“潰したい国”をいつでも攻撃できる拠点として、重要視してるからである。言い方を変えれば、日本を滅ぼそうと思えばいつでもできる体勢を作ってはみたが、余りにも居心地が良過ぎて撤退も拡張もできない状況に陥っている…とも言えるw
もっと言えば、日・中・韓で戦争が起きてくれないかと期待してるのは、むしろアメリカであり、そして沖縄県民(のフリする一部の共産主義者)であり、そしてロシアである。特にロシアにしたら、手元に近い北海道が手に入れば、一気にアメリカを攻め込む事ができるし、太平洋岸に隣接する国々の領土や資源を手に入れる機会が増えるから、優位に動けるし、アメリカにすれば、中国共産党を潰す口実ができると同時に、朝鮮半島での諍いも一気に解決できるだけでなく、日本を“悪者”にする事で、再び“世界の警察”としてのメンツが立つ…という事情がある。こう考えた時、如何に日本人が、上手く諸外国…特に強欲な連中相手に立ち振る舞って、適正な関係を保っているかがわかるだろう。むしろ、それを嫌っている韓国や中国は、故に何度も白人社会に振り回され、ボロボロにされたかを、何ひとつ学べていない。自分が“わがまま”を言えるのは、むしろ、そういった“汚れ役”を日本がやってくれているからであって、それに甘えたまま、自己主張したとしても、世界中から笑われるだけである。しかし、それを嫌うのであれば、学ぶ事もできよう。
恥を掻く事を嫌う人も多いが、実は、恥を掻くのもいくつかの種類がある。無知であるが故に掻く恥は、学びの第一歩であり、求道心のきっかけである。誤解や偏見で掻く恥は、自分の自尊心を傷付ける事になるが、そこから自分の傲慢さを戒める善知識となる。しかし…己の態度を見ずに他人をバカにして、後々に他人の功績が讃えられて掻く恥は、どんな恥よりもみっともない。何故なら、自分に奢れ、常に精進する心を忘れ、阻害したにも拘らず、それを感謝されてると、心から喜べないだけでなく、精神的に敗北感に苛まれる。言ってみれば、相手に勝つ為にやった卑怯な事が、却って自分に止めを刺した様なモンである。これ程悔しくて、そして惨めなモノはない。基本的な日本人は、それを“知っている”からこそ、どんなに世界中から虐められても、そこから色々学んで“耐えた”からこそ、逆に相手を負かせる事ができるのです。
どんなにあくどい事をやったとしても、そこに自分自身の充足感がなければ、何をやっても無駄です。もっと言えば、自分の心が満たされる様な幸福感が欲しいから色々やる訳であり、それに振り回され続ける事で本当の幸福を見失ってる以上は、故に自分自身に嘘を付き続けざる得なくなるのです。そこに使命感がある人は、故に集中できるけど、周囲が見えなくなる弊害がある。注意散漫でエエ加減な人をバカにする人が多いが、逆をいえば、様々な知識や経験を積む事によって、その応用と融合を可能にする事ができる訳で、周囲が見えるから対応も迅速にできる事を意味する。いつでも涙を流せる人は、それだけの感受性があって想像力も甚大であるが、それ故に心が不安定でもある。いつでも笑える人は、故に悲しい時にも涙を流せない反面、不安がる者を勇気付けられる懐の深さがある…ネガティブな考えしかできないなら、無理にポジティブにする必要はないし、その逆をまた然り。それを“臆病”とするか“無謀”と見做すかは、まさに相手次第であり、そして自分次第でもある。自分がどんな批判を受けたとしても、それをどう捉えるかは、自分の“次の行動”ひとつで決まる。“同じ立場”に立てるかどうかわからんのに相手をバカにするのであれば、今、自分が相手に言い放った言葉を憶えておきなさい。それが自分に突き刺さった時、その惨めさに悔やむ事になるでしょう。

さて…このBlogは、今年はここまで。良いお年を…