迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

問題の本質を見抜けないと…

去年末に安倍総理靖国神社を公式参詣した事が、国内外で問題になっている。当然、中国や韓国にとっては、いろんな意味で“オウンゴール”として批判してるし、アメリカの反日派もまた然りである…ま、創価学会としての意見では、これはかなりの挑発行為と見做したいトコだが、オイラ個人の意見としては、こんな事で目くじら立てる方が、よっぽどなんだと思う。つまり、自分の言いなりになる事が“正義”だというのであれば、それ故に大人気ない事を言い過ぎてはいないかと。

そもそも、靖国神社や全国の護国神社に奉られているのは、太平洋戦争終戦までに、祖国を想い戦地で亡くなった英霊であり、また、空襲で被害を受けた民衆である。つまり、戦没者追悼施設としての役割が、この神社の存在意義であって、しかし、国民が必ず参詣する必要はない。そこは、日本国憲法が保障する“信仰の自由”を尊厳してるからこそであって、そこを無視して政府が、あるいは国会がトップダウンで“国民皆参詣”を呼びかけてるのであれば、そこを問題視すべきである。もっと言えば、いつまで“敗戦国”というレッテルに惑わされているのでしょうか?“戦勝者”がいつまで他国への侵略や内部干渉をやっているのでしょうか?欧州の国々が、ドイツやイタリアの“大罪”を不問とした最大の“理由”が、そこにあります。そう、第二次世界大戦の“事の発端”が、第一次世界大戦でのドイツに対する過度な批判であり、そして、ユダヤ人を含めた移民に対する人権的な拗れである。その“過ち”を繰り返したいのであれば、いくらでも日本を、自公政権(安倍内閣の態度)を批判すれば良いでしょう。しかし、それが“何か”の類似事案を踏襲する事だという事に気付かないと、それ故に悲劇を繰り返す事になる…そこに気付いた人々が、声を大にして言わなければならない。ここに、本当の歴史認識を問う価値がある。
自らの襟を正さず、しかも“気に喰わない”事を理由に相手を罵るのであれば、自分もまた、同じ理屈で相手から、あるいは関係性が薄い他人から“あらぬ理由”で叩かれる事になる。歴史を精査するのは良いが、そこに捉われて、現状を見ずに相手を非難すれば、結局、誰一人として幸福にはなれないし、自分の思い通りになる事は、絶対にない。それを自覚した上で、相手を諭す…一番難しい事です。