迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ヤエノムテキ…

Twitterで一報を知った時には、時代の流れを感じた。そうか…もう20年以上も前の話になるのか。
オイラが本格的に…というよりも、馬に魅せられて競馬をする様になるきっかけは、ヤエノムテキの特集を“あどラン”でやってたのを見てからである。ま、その時から薫兄にハマってる訳でw その事もあって、薫兄関連のネタをする時は、必ずヤエノムテキをデザインのモチーフにしてた。その事があって“おうまのracecallreふんせんき”でも、薫兄をヤエノムテキにしてた訳であり、あの派手な馬体が好きだった。
四つの脚に、まるでレッグウォーマーの様な長い白(はく)があり、大流星鼻梁唇白という、ぬいぐるみにしたら、作るのは面倒くさいだろうが,きっと可愛い感じになる、いわゆる“アイドル系”の出立ち…なのに、結構煩い面があって神経質。実際に日高SSに寄った時でも、一緒に繋養されていたスーパークリークは大人しいのに、いつもヤエノムテキは見学者に対して、威嚇の姿勢を崩さなかった。特別に許可を戴いて、近くまで行った時でも、ブラッシング中の厩務員に噛み付こうとするわ、無口頭絡を振り払おうとするわ、終始不機嫌…でも、担当厩務員云く、「普段からこうですから…本当は寂しがりやのくせに、結構ツンデレなんですよw」との事だった。当時はオイラ、乗馬もやってたモンだから、一応、馬の扱いはわかってるモノの、流石にこうもヤンチャな馬は、触る事すらヤバいと思った。今にして思えば、アレは、ヤエノムテキ自身の“ファンサービス”だったのかもしれないがw
放牧地でも、ひときわ目立つ栗毛の馬体は、当然、競馬場の本馬場でもよくわかる訳で、レース映像を見ると、その位置取りが一目でわかった。よく、1990年の有馬記念を“オグリのラストラン”として語る人が多いが、実は、ヤエノムテキも、これがラストランだった…結果は、レース前の放馬(馬場入場後に騎手を振り落として勝手に走り回る事)して、6着だった。この事は、後に桂三枝(現:文枝)が創作落語(オグリの送別会)の中でネタにしてたが、恐らく、ヤエノムテキの性格上“このレースは、オレのラストランだ!!”って事を主張したかったのかもしれない。(それにしても、今考えると、放馬しても結果を残そうとした根性は、あの性格だからこそ成し得たのかもしれない。)

もう一度、逢いに行きたかったが、結婚し、会社勤めを辞めた身には、北海道は遠過ぎる…この一文をもって、哀悼の意を表します。南無妙法蓮華経