迷馬の隠れ家 はてな本館

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さて、大阪都構想が否決した訳だが…

昨日の大阪市民対象の住民投票の結果は、すでに4年前の市長選の結果を踏まえれば、至極当然の話と言っていいだろう。なぜなら、大阪市民の中には、橋下市長の構想そのものが、単なる“感情論”にしか見えなかった人もいた訳であり、また、世代別に見た場合でも、高齢化社会である事を前提に考えれば、反対意見が集中するのも無理がない…が、忘れてはいけないのは、結果そのものは僅差であり、また、投票率がおよそ67%もあった事を踏まえれば、実際は大阪市民も相当悩んだ末での“反対”だったという事を、大阪市は受け止めなければならない。
4年前の市長選…すなわち、平松前市長と橋下市長が“一騎打ち”となったあの選挙でも、実際はその得票数は“僅差”だった訳であり、大阪市民の大半は、双方の“言い分”を“正しい”と判断した上で一票を投じたまでに過ぎない。これは、どんな選挙でも言えた話で、住民の“意思”として、個々に様々な意見や要望があってそうした訳であり、また、自分の意見に近い存在として選ぶ訳だから、そこで得た得票数そのものが“民意”ではない。真の“民意”とは、賛成反対双方の意見をきちんと汲み取り、その“折衷案”を体現してこそ意味がある。これは、沖縄の基地問題でもそうだが、メディアは“反対意見”ばかりクローズアップしすぎて、基地周辺住民の“本音”を取り上げてはいない。むしろ、抗議活動をやってる者達の“正体”を隠した上で、メディアを通じてこれを“民意”だとミスリードさせようと仕向けている訳である。忘れちゃいけないが、重要な公共施設があるトコには、それに見合うだけの経済活動が生じる訳であり、そこから生まれた収益の一部を税金として収める事で、財政は成り立っている。これは何も、自衛隊の施設や原発などに限った話ではなく、大手企業の拠点や外資系企業の日本法人事務所の誘致に地方自治体が必死になるのは、そういった事情があってこその話であり、九州や北海道が昭和50年代まで裕福だったのは、地下資源…主に石炭の採掘が盛んで、その収益が地元自治体を潤していたからこその話であって、それが相次いで閉山した事によって、その収益もなくなり、今となっては困窮してる訳である。もちろん、他の事業や企業誘致に躍起になってたトコはあったが、なにせ“東京一極集中”の方が都合がいい状況だった事が、全てを狂わせた訳で、今でも東京“のみ”が繁栄する背景には、そういった雇用を創出させる条件が揃っているからこそ、そうなるのである。もちろん、東日本大震災以降、バックアップ機能を地方に作る必要性が出てきたから、業種によっては地方に移す動きはある者の、その“条件”が、結局“東京に近い”という理由がまかり通ってる。ゆえに、大阪や名古屋、その他の大都市圏でも衰退が激しいのであり、新幹線が作られる度に、地方空港が開港する度に、その多くが東京への“足がかり”になっている現状がある。
それをどうにかしたい住民はいても、そこに若年層が少ないのは、若年層ほど都会に出て、そこに住み着くためである。つまり、地元に残る若年層が少ないと、必然的に“現状維持”を訴える中高年の意見ばかりが通る状況に陥る。20年前は大志を抱いてその地に赴いた青年であっても、長きにわたってそのに住みつけば、それゆえの“見返り”を地元…現在いる場所に求めるようになるのであり、そうなると地元で生まれた若者よりも、自分が住みよい状態を維持しようと躍起になる訳である。もちろん、高齢者であっても、若年層の事を思い、革新を求める思想を持つ人もいる訳だが、そういうのは今の時代、正直“少数派”である。年金や社会保障の問題も、先の事を考えて改革を行うべきだという意見を出す高齢議員もいるのだが、多くの中高年は、むしろ“今がいい”で落ち着いてしまう。なぜなら、彼らの親世代がそうであった事を受け、それに憧れ、そしてそれを真似してる以上、そうなる訳である。本気で改革を行いたいのであれば、むしろ、自分の姿を、自分の子供や孫の世代に“みっともない姿”と思わせるように仕向けないといけないのである。ここが重要…“働かざるもの食うべからず”な社会にしようと思うなら、社会保障制度の廃止を訴えるだけでなく、自分が国や自治体から支給されている各種の助成金(税金の還付金含む)を辞退するようにしなければならない。もっと言えば、本気で“自給自足”を体現するなら、生活に必要な全ての事業を、自分自身だけで揃える必要がある。エネルギー問題にしろ、食糧問題にしろ、それぞれの専門分野があり、その知識と技能があってこそ成り立つのだが、逆を言えば、一人でそれら全てに精通した技能や知識を保有する事はできない…医師が医療分野以外に無頓着なように、教育者が自分の専門科目以外でバカであるように、人間一人の脳みそに詰めこめられる知識のメモリには限界がある。そこを支え合ってこそ、初めて社会は成り立つのであって、そこが理解できない様では、今回の選挙結果の裏側にある“大阪市民の本音”に触れる事はできない。
さて…これで大阪府は“大阪府”のままで、現状の大阪市を内包した状態で存続する事が決まった訳だが、そうとなれば、ここからは大阪府民が、そして大阪市民が本気で取り組まなければならない事はただひとつ。財政改革をやるのであれば、下手な“意地の張り合い”に対する“清算”をどうするか、ここを真面目に審議しなくてはならない。大阪市が“勝手”にやった事業に対し、大阪府が付き合う義理はないし、大阪府が“勝手”にやった開発に対して、大阪市が負担する必要もないなら、そこで“線引き”すればいいだけの話である。行政の“責任”とはすなわち、“住民の意見”による“責任”でもある。その責任を負いたくないなら、他府県への引越しを薦めるw だけど意見する以上は、それ相応の責任が生じるのは、等価交換の理がある以上免れない…民主主義とは、いろんな意味で“連帯責任主義”なのです。