迷馬の隠れ家 はてな本館

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移民?難民?亡命?人権を考える

今、シリア難民に関する誹謗中傷を帯びたネタが飛び交ってるようだが、根本的に、欧米諸国では“難民問題”の根幹が間違ってるが故におかしいのであって、冷静に分析すれば、本当に彼らは“難民”なのか、それとも単なるドサクサ紛れの“移民”なのか区別せんにゃならん事は、第三者の立場として明白だと思う。単純に“難民を受け入れる”という触れ込みを流すだけでは、そして安直な人道支援は、それにかこつけた、ごく一部のクズによって歪曲され、それが因でのレイシズムファシズムへと走りかねない。
では、その明確な違いは何か?重要なのは、祖国に“帰る意思”があるかどうかです。避難を余儀なくされ、隣国へ逃げ込んだ人々の多くは、それでも“祖国に帰る”事を望んで、着の身着のままに難民キャンプへたどり着いた人です。しかし、中には始めから“異国へ移住する機会”と捉え、難民キャンプを脱し、他の国へと渡ろうとする人がいる…しかも“難民”という地位を利用し、あまつさえ異国の地でのうのうと生活しようと企む人がいる訳で、ここの部分での見極めが必要である。言い方を変えれば、他国への移住を考えてたが、そのための“資金”がないから戦乱を利用する…という人道支援を行う人をバカにした上で、他の難民を見下そうとする不逞の輩が混じってるからおかしい訳で、本気で祖国を思うのであれば、時として自分を犠牲にしても、家族だけでも帰れるように道筋をつけようと奮闘するモノです。当然ですが、戦乱に乗じて他国へ移住しようとする、あるいは政治的な背景で、祖国を捨てる事を選ぶのは“亡命”であって、難民ではありません。今のシリア情勢、及び、中東での紛争地域での混乱状態は、まさにこの件について混同する人が多いからです。
国際厨二病にしろ、純潔を求める風潮にしろ、根幹にあるのは“自分の理想”に酔いしれ、周囲が見えていない事です。当然ですが、米軍がアフガンで国境なき医師団の施設を“誤爆”した件でも、収容されている傷病者の中に、テロの首謀者やそれに与する者がいたという情報があったならば、致し方ない“犠牲”と考えるのがスジでしょうし、そうでない場合は、明らかに米軍人の一部に、国際厨二病に与する者がいる可能性も考えられます。誰が“犯人”であったとしても、犠牲になった人の命が、帰りを待つ人の下に戻る事はありません。それくらい、罪深い事をやった人は、むしろ自分の“手柄”として誇るでしょうな。なんせ、“諸悪の根源”を討ったのだから…でも、多くの戦場経験者は語る。自分が犯した罪の深さと、そうしなければ、他の誰かが犠牲になっていたという理不尽な真実の前で、当時は“生きるため”に我武者羅でも、戦地を離れ祖国に帰って、“なんでもない生活”を送るようになると、それを壊した自分自身が、こんなのでいいのかと。戦争とは、結局、やるまでは盛んでも、いざ始まり、犠牲が増えると、その数だけ戦場の兵士も、そして祖国で待つ家族も心身共にボロボロになる…その感覚がわからない人ほど、“戦争反対”の意味を知らないのである。戦争をしないということは、どんな相手にも慈しみをもって共存を認めることであり、理不尽な暴力に対して、どこまでも抗う事を意味する。一見、矛盾に満ちた事がだ、要するに、不平不満があっても、それは“未来のため”と言い聞かせる事ができてこそ成り立つのであって、現状維持でも懐古主義でもない。
しかし、もう一つの問題がある。それは、難民キャンプ内で生まれ、育った子供達の立場である。彼らには明確な“祖国”も“移住”の意思もない。彼らにしたら、難民キャンプでの“人道支援”の名の下で施される、無償の食糧配給や医療受診は“日常”であり、国を追われて明確な“国籍”も存在しない。そういう者が大人になり、さらに避難を余儀なくなればどうなるか…ここに、シリアをはじめとする中近東からの難民問題の“根の深さ”が見えてくる。
在日外国人…主に中国や朝鮮半島出身者の子孫に関する事でも同じで、一概に彼等の存在を邪険に扱うのは、さらなる人権侵害に発展しかねない。もちろん、いわゆる“反日・抗日ネチズン”の存在がいるのは確かだし、そういう連中が、国籍上の“祖国”からの依頼でスパイ活動してるのも否定できないトコである。が、それを“理由”にすべての外国人を叩くのは、完全に“キチガイ”である。同じ事は、諸外国にいる邦人にも言えた話であり、日系人である事を理由に、謂われなき差別を受ける子孫達もいる事を忘れてはいけない。それでも、そういう存在を許せないというのであれば、自分自身が“その立場”でない事を幸せに思わなければ意味がない…単に“外国人”として優遇されている事を僻んでるのであれば、尚更である。なぜなら、都合が良い時は利用され、悪くなれば“他人”として切り捨てられるのは、誰でも“同じ”だからである。
日本でも、ベトナム戦争を機に、ベトナムから逃げてきた難民に関して、結構非難轟々な事をやっている。てのも、多くの難民は、有無も言わさずベトナム本国へ強制送還してる…うまく潜り込めて、生活しようとしたら、不法入国を理由に追い返されているのだ。しかし、当然の事だが、パスポートや就労ビザを持たずに入国してる以上、法律に則って国外退去→本国への強制送還は、どんな理由も通用しない。仮にこれを行ったのが“人権侵害”であったり、人道的におかしいというのであれば、どこの国でも“難民”を騙る“不法移民”を、それこそダボハゼ的に受け入れ、国民として…否、“国畜”として保護するために、必要以上に血税を使われ、善良な“国民”の反感を買う事が目に見える。現に、フランスの国籍を取得できた移民に対し、謂われなき差別が頻発するのは、そういう経緯が根底にあり、事ある毎に、宗教や風習の違いなどを理由に“国民”同士のヘイトクライムが頻発するのである。同じ理屈を日本に見た場合、在日や部落(同和地区)差別がコレに該当する訳であり、在日の場合は根本的に、日韓併合満州国という傀儡を作った事による影響が、現在に至ると言っていい。つまり、多くの朝鮮系、あるいは中国系在日外国人の子孫は、この事柄をきっかけに移住した人が殆どで、急増したのは終戦後のドサクサである…言い方を変えれば、旧来の法律(憲法)上であれば“日本国民”として取り扱われるべき存在であった事を、未だにネチネチ言って甘えてるバカが多いから叩かれるのであり、国籍上“日本人”ではないのに日本に残らざる得ないのは、国籍上の“本国”からも“追放された存在”だからである。バッサリ言えば、“難民キャンプの子供達”だからこそである。ここで勘違いして欲しくないのは、70年前の終戦時、いわゆる難民キャンプが存在せず、なんとかして“日本”という国に留まろうと思った人々の、ある意味身勝手な行動が引き起こした“悲劇”であり、それを理由に厚遇せよと未だに言ってる時点で、中途半端な訳である。その中途半端な存在が、“自分の居場所”を求めて国際厨二病的な行動を起こしてるのであれば、これほど国際的に“無責任”な話はない。
真の意味での“人道支援”とは、最終的に避難民全員を“自立”させることが肝心なのであり、祖国に帰るためだけでなく、祖国を捨てて生きる道を選んだ者に対して、どういう風に“国民”として扱うべきかを真剣に考える必要がある。言い方を変えれば、帰化するのであれば、その条件として他の“一般国民”との差別化は避けられない上で、それでも“その条件”を飲む事を前提に話を進めるのがスジであり、強制的にでも国外…否、祖国へ帰還させるのであれば、自らの意思で祖国を破壊せんとする勢力に対して引き金を引く覚悟と、そこからの復興に尽力する意思を身につけさせなければならない。今の難民キャンプのあり方は、ある意味“生命維持”の範疇でしかない。それでは堕落を生み、そして“生活向上”を目指した欧米への移住…というより、不法占拠をするようになるのは当たり前だと思う。それを防ぐためも、自立を促す教養と支援こそが、この問題解決の一助となると思う。まぁ…根が深いだけに簡単ではないだろうけど…