迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

共産主義こそ“他力本願厳禁”ですw

公立幼稚園に入れんかったからといって、その“理由”を無視して騒いでる“怪物保護者”がいるようだが…ぶっちゃけ、そんなに幼稚園に預けたいなら、近所の私学に行けやボケw オイラの場合、宗教の兼ね合い(学会員家族ですから…)もあって、私学の幼稚園を選ぶ時、宗教団体が母体となっていない学校法人探すのに難儀したんだからなw 冗談抜きで言わせて貰えば、幼稚園や保育所に関して言えば、学費云々よりも、自宅より最低でも徒歩10分圏内にあるかどうか、送迎バスがあるかどうか、んでもって、夜遅くまで預かってもらえるかどうかで選ぶべきであって、公立・私学関係ねぇんだよな。これ、オイラの親の経験上の話。それに、保育士や養護老人ホームなんかの介護士の給与、わかった上で文句言ってる?そもそもだけど、日本の社会ってのは“弱者は家に居ろ”が基本で、家族で最後まで面倒を見ろってのが昔からの風習だ。しかし、給与形態や雇用情勢、地域社会そのものが時代とともに変化し、それが通じなくなってるから保育士や介護職が重要になってきてるのであり、だけど離職者が多いのは、労働条件劣悪な上に低賃金…という完全なる“矛盾”がそこにあるからだ。言っとくけど、オイラが幼稚園行ってた40年ほど前だと、共働きより専業主婦の方が多かったし、幼稚園に行かずに小学校でようやく読み書きを習うような子もいたぐらいだった。今はどうだ?共働きが増えたからこそ、幼稚園・保育所が必要なのであって、男尊女卑な時代で、しかも給与が男性の就労のみで養えれたのであれば、公立の幼稚園・保育所を作る必要もなかったんだよ…そんなこともわからんか?
女性が社会に出るということは、その分、子供が蔑ろになりがちになる。そのフォローを祖父母に任せられるか?高齢化社会において、しかも、内臓疾患や認知症の高齢者に、子供の面倒を見ろなんて言えるか?もっと言えば、乳幼児に高齢者の面倒を見させる気か?そういったことを考えれば、核家族化が進んだ現代では、幼稚園選びに奔走するよりも、まず“自分にできること”に絞って子育てを行うのがスジであって、そこから、自分の経済的な負担や通園にし易さなどで選ぶべきである。老人ホームもまた然りで、デイサービスや訪問介護などのサービスが、それこそ利用しやすいかどうかで選ぶべきであり、宣伝文句や内覧会だけで選ぶべきではない。当然、価格も気にする部分だろうけど、高いからといってサービスが良いとは限らないし、安いから信用できないとは限らない。まさしく“相性”だ。
だいたい、こうやって“サービス悪い”だの、“使いにくい”だの、“価格が高い”だのと文句言ってるのは、貧困層ではなく“共産主義こそ正義”と唱える、高学歴の意識高い系の“バカな消費者”である。何度も言わせるな、本物の共産主義ってのは、いかなる理由があっても“他力本願厳禁”である。最初から他人に依存するのではなく、できるだけ自分でどうにかするのがスジであって、他人からの救援は、あくまで必要最低限度で止めるのが、正しい付き合い方である。言い方変えれば、図々しい態度は御法度であり、救済受けたら、何らかの“返礼”を施してこそ、初めて“対等”となる。当然だが、学歴や役職なんてのは全然関係ない…そう、共産主義の至極は、いかなる立場、いかなる環境、いかなる条件であっても、民衆全員が“社会を支え合っている”という意識を持つことである。軍人であろうが、学者であろうが、ジャーナリストだろうが、役人だろうが…“誰がエラい”ではなく、“全員が主権者”である。そんなこともわからずに、“共産主義こそ正義”と宣うのは、勘違いも甚だしい。そして“全員が主権者”である以上、問題があれば連帯責任を取らされる…当然の話で、だからこそ、血税社会保障や福利厚生を賄うことが是となり、教育や医療も(場合によっては光熱費も)、当然、国民の血税で全て賄う。だから、突出した富裕層がいなくてもどうにかなる社会になる訳であり、そういう社会制度が“信じられない”人々が、自分たちの“理想郷”そのものを破壊してしまうわけである…自分自身を“特別視”して欲しいあまりに、却って既存の補償やサービスそのものが’足枷”に思えるからだ。言い方変えれば、差別を助長してるのは、実は自分自身の欲望そのものであり、自分自身を他人と“同一化”して欲しくないからこそ、見下したくなるのである。もともと、共産主義そのものは宗教思想から発する社会理念であって、宗教を毛嫌った時点でそれは“偽物”である。ま、その肝心の宗教自体が、哲学を忘れて権威主義に走ったから、宗教理念と社会通念が乖離して、しっちゃかめっちゃかになる訳で…