迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“真実”は現場にいないとわからないモノ…か?

熊本と大分を襲った活断層直下型地震気象庁見解で正式名称は“熊本地震”ということだが、敢えて言えば、それは熊本市が“政令指定都市”という扱いだからこその話であり、隣接する益城町が最大震度7の被害に遭い、さらに南阿蘇村で地滑りや崩落の被害が出たからこその話であり、今回の地震震源となっている布田川(ぬたがわ)断層帯と日奈久(ひなく)断層帯は、阿蘇山を挟んで大分県にも伸びている。(ちなみに、九電川内原発付近には活断層自体は存在せず、また、実際想定される海底断層帯からも、直線距離にして10km以上離れているw)その影響で、大分県でも、布田川と日奈久の両断層沿いにある地域(別府市由布市など)にも被害が出ている…しかし、熊本県に比べると死傷者が少ない(てか、死者は出てない)&建物などの被害が少ない(全壊した家屋がない)事もあって、あまり報じられていないのが実情としてある。だが、現実として水道管破裂などによる断水や、熊本と通じる道路の一部が破損してたりといった“実害”は存在してる。そう言った部分は残念ながら、メディアとしては“撮れ高”が得られないとして無視されている。だけど…逆をいえば、大した被害は出てなかったことを踏まえれば、これは喜ぶべきであって、観光立県をめざす大分県としては、今度の土砂災害には警戒は必要でも、無事であることをガンガンアピールしても、問題はないと判断できる。
また、Twitterでも呟いたが、GW直前に九州新幹線が全区間復旧するということで、熊本県外から救援ボライティアで現地に入りたい人は、大型連休を利用して活動が可能になる…ともかく、人的ボランティアは多分過剰な状態になってると思うんで、現時点では熊本市内の被災状況を“物見雄山”程度でいいと思う。むしろ、被害の大きかった益城町阿蘇地方には、現時点で自衛隊や他府県警察&消防が捜査中だから、邪魔しないほうがいい。そして、できるだけ大分県熊本県の経済を活性化させるために、ふるさと納税も含めた散財を行うべきであろうw
正直な話、今はSNSで現地と直接情報交換を行える様になった訳で、マスメディアが“作り上げた”被災地の惨状は、多くの人々が信用しにくい状況になっている。今までのことを振り返れば、まさに“自業自得”である。21年前の阪神淡路大震災の時、東京キー局各社は挙って、東京から取材陣を大量に送りつけ、地元在阪局の取材を阻害した。それどころか、大量に阪神間の上空に取材ヘリを飛ばし、その爆音で警察や消防の被災者捜索を阻害した…あの未曾有災害の中で、ガチで救援活動しながら取材ができたのは、局舎スタジオが“全壊”という状況の中、放送し続けたCRKと、ポーアイに局舎があって地下駐車場が液状化の被害が出たにも関わらず、動かせる機材を駆使して取材したサンテレビだけだった。この2局、自社で保有する中継車を、ただ被災地を走らせて取材するのではなく、避難困難者(身障者や高齢者など)を避難所や救援物資配布地点まで送迎し、物資輸送も手伝ったのである。故に、当時の被災者から信用を勝ち得ることができ、復興が進む中での“震災体験”に関する取材を行うことができたのである。この件に関しては、CRKの社史にも記載されている“事実”である。そう…震災経験などの話は、事が落ち着いてからでもできるのに、被災してない地域に対して“現場の惨状”を“見せびらかしたい”一心でマイクを向け、カメラを回したのである。
もちろん、メディアはメディアとして、多くの人に“被災地の現状”を伝えたいからこそ、支社や系列局に応援を要請し、スクープを追い求める“悲しい性(さが)”ではあるが、21年前…否、日航ジャンボ機墜落事故以前から、現場の“真実”を頑なに報じようとしない…特に、自衛隊の救援活動や、地元自治体と政府機関の被災者に対する法的措置に関連する事案は、何一つ報じようとせずに、自称“専門家”と称する大学教授を呼び出して、現場や視聴者に“一番いらない情報”をガンガン喋らせる。現場に、そして救援に駆けつけたい人々に対して、正確な情報を流せない様なメディアは、故に民衆や政府・自治体からの信用を失墜するのは当然であり、“取材お断り”とか“報道陣立入禁止”と言われて追い払われるのは、それだけゲスな事をやっていたという証左である。これで国際機関から“報道の自由度”が低下したと言われても、メディアが被災地住民を“見世物”にしたツケであり、誤解を招く様な報道を繰り返したからこそ、民衆や為政者からの信用を失墜させた故の話である。
政府機関や自治体、ライフライン系企業の公式見解に対して信用しないのは勝手だが、内部の人間でもなんでもない者が勝手に騒ぐ行為は、SNSや現場で流れるデマよりタチが悪い。差別言論の至極は、一番“無関係”な連中が、何でもかんでも自分の“思い通り”になる様、情報を歪曲させる行為であり、人種や宗教、国籍などを超越して協力し合わなければならない時に“〇〇はゴミ”とか“××は売名行為”とか罵り合ってる場合か?もし、そんな余裕があるなら、自分が“同じ立場”になった時を想像してみろ。どんだけ腹立たしいか、どんだけムカつくか、どんだけしんどいか…それがわからない人ほど、他人の行動を侮蔑する。自分が“そこ”にいないが故の僻みと、犠牲にならなかったからの“余裕”が生み出すドス黒い闇だ。それに振り回されて、冷静に事を見守ることを忘れ、欲望のままに騒ぐなら、今は良くても、いずれ途方もない出来事に遭遇して立ち竦む事になる…真実とは、自分の感覚でしか実感できない反面、様々な意見が重なり合って、一つの“答え”が導かれるマンドクセなモノである。