迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

世界中から“富豪”が消えた瞬間、貧困層の僻みはますます加速する…

今朝方から、いわゆる“パナマ文書”と呼ばれる、租税回避を行った人物や企業が明記された帳簿が公開さて、日本でもおよそ400もの案件が開示されている。これを嬉々として報じてるメディアとて、特に広告代理店や番組制作会社も無関係とは言い切れない。(どことは言わんが…w)だが、ちょっと考え方を変えると、租税回避をしてる連中を“富豪”として叩くなら、それは“本物”ではないからこそ叩かれるべきであって、“本物の富豪”とは、国の政府や国際機関の代わりにインフラ整備や福祉、軍備などの運営資金を賄ってこそ言える立場と認識した方がいい…もっと言えば、真面目に税金を納付し、その上で財政逼迫してる自治体や政府機関に対して、その財源を建て替えられるほどの財力がある者を指すべきである。では、その“本物の富豪”とはどこにいるのか?
かつて日本にも、“財閥”というカタチでそういう存在がいて、明治以降終戦までの間、多くの公的事業に対して資金援助を行なっていた。国もまた、財閥の開発事業に対して色んな意味でザルだった訳で、その“弊害”として足尾鉱毒騒動や“女工哀史”的な出来事が頻発してた訳である。そこ説明に関してはここでは割愛するが、人道的な問題や閉鎖的な市場が国際社会から批判され、終戦後、ある意味“戦犯に対する懲罰”的な感覚で、GHQ指導の下で日本の財閥は半ば強制的に解体されたのである。それ以降、株式市場が解放されたとして多くの企業が株式公開と東証大証へ上場した訳だが、現在の東証で生き残ってる企業は、ほぼ財閥系か、もともと国有企業だったトコである。もちろん、そうじゃない企業の方が数的には多いのだが、基幹産業や金融に関して言えば、旧来の財閥系企業の株価の方が変動が少なく、新興勢力系の企業は、ちょっとしたことで乱高下する。今の株価の乱高下の“原因”はそれであり、IT企業の株価が安定しないのは、実態の見えない会社運営であるという概念があるからこそである。
ま、ぶっちゃけ論で言えば、株式市場ってのは、株式上場企業と株取引を行う顧客(=株主)との信用取引で成り立ってる訳であり、仲介業者である証券会社は、あくまで企業と株主の間をつなぐ“窓口”でしかない。故に、その仲介業者である証券会社がエエ加減だと、企業も株主も大迷惑なのは言うまでもないが、その“原因”が企業側にある場合、株主は証券会社と企業に対してブーイングする訳である。そこには、いわゆる“富豪”という存在はなく、客と商店のやりとりでしかない。もっと言えば、客人が貧困層ならば、それを相手にしてる商店主は、相手のハッタリを信じるか否かで取引を行ってる訳であり、失敗すれば上場企業に対しても多大な迷惑をかけることを意味する。だから、証券会社を含む金融業は身辺調査が厳格であり、いろんな意味で“貧乏人お断り”なのである。
話をパナマ文書関連に戻せば、公開された企業や人物が、なんで“租税回避”ということを行ってるか、じっくり腰を据えて考えたことがあるか?もし、巷に流れてる情報のみで判断するのであれば、リスト上の個人や企業に対してバッシングするのは当然だろうが、問題の本質はそこじゃない…ここに挙げられている個人や企業は、決して昔ながらの“富豪”とは違う存在だということである。もっと言えば、元々は貧困層から成り上がりで現在の地位に立ってる訳で、それ故に今ある財産や資金が減ることを極端に恐れている…その最たるモノが、各国が設定してる租税(国や自治体に納付する税金)が、彼等にすれば、あまりにも“高すぎる”という認識があるからだ。国税であれ地方税であれ、それらは国や自治体が運営する事業の運営費であり、必要経費である。その中には就労困難者(精神疾患や難病で運動が制限されてるなどの事情)のための生活保護や、高額な医療に対する助成なども含まれる。当然だが、公立学校の授業料などもその一つ…だが、それを“誰か”が賄わないと、運営も維持もできなくなる。高度な教育を施すにも、健康を保つためにも不可欠なモノが、実質タダで受けられるのも、それは国民の税負担によって成されるのが社会主義国家の是であり、そこを一部の企業や個人のポケットマネーでやるのが資本主義国家の是である。日本は良くも悪くも“社会民主主義国家”であり、だからこそ、国民皆保険で医療費負担が小さく、公立学校において授業料が原則無償であり、毎年どこかで一般国道などの整備が行われているのである。これがアメリカだと、税金で道路補修や医療費助成など一切ない。そんなことを実行すれば、真っ先に“共産主義に堕ちた”と民衆が騒ぐからである。(だから、ちょっとでも入院するような事案になれば、医療機関から破産宣告を突きつけられるような医療費を請求される訳で…)
つまり、自分達から見て“金持ち”だとされる人の多くは、実は“同じ貧民”なのである。関西人感覚でいえば、芦屋六麓荘や帝塚山に豪邸を持っていようと、高級外車やクルーザー、自家用ジェット等を保有してても、近所のスーパーで値引きされたお惣菜を買って食べてるような生活してるなら、そこらの庶民と同じであり、西成の玉出や長田の団地住まいであろうが、自転車すら持ってなくて徒歩か公共交通機関でしか移動しない状況でも、常に特殊施設(孤児院や身障者作業所等)に高額寄付を行ってる人は、“本物の富豪”と言っていい。“貧民”であるからこそ、将来に対する不安しかなく、それ故に金銭に、あるいは資源に縋るのである。“本物の富豪”ってヤツは、自分が使ったお金や資源は、いつか必ず自分の手元に戻ってくると確信してるから、豪快に使うことができる…もっと言えば、貧民だからこそ“汚いカネ”という自覚があって、巨万の富を得ても“使えない”のであり、富豪だからこそ、“疚しいモノ”ではないから豪遊することだってできるのである。他人に指摘され、叩かれるのを恐れる人ほど守銭奴になりやすい…なぜなら、目の前の人間すら信用してないからだ。本物だったら、そんなリストが公開されても、笑い飛ばせばいい…そのカネが巡り巡って、民衆にキチンと配分されてるなら、何の問題もないとねw