迷馬の隠れ家 はてな本館

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オバマ大統領の“勇気”と心ない人の“恨み節”

昨日のオバマ米大統領の広島訪問は、任期満了前の現役大統領として、ある意味前例を作った事になる。核を使ったのはアメリカだが、“使わせた”のは日本…だから、この行為は71年の時を超え、双方がやらかした“愚行”に対して、一つの区切りとなる。謝罪や賠償といったちっぽけな理屈よりも重要なのは、時間がかかっても惨状の現場に赴くことと、真実をありのままに受け入れること、そして正しく歴史の表裏を見極めることである。そういう意味では、原爆資料館や外国人被爆者…特に日本軍に捕虜として収監され、そこで被爆したアメリカ軍兵士12人の事を調査した歴史家の労苦が報われた瞬間であり、今も存命な被爆者にとっても、次の世代に対して、一応の“引き継ぎ”ができたと思う。だが、これは“終わり”ではなく“始まり”だと思う…本当の意味での“核との戦い”の。
その理由に関しては多くを語るまでもない。問題なのは、中国と北朝鮮である。(今回は韓国に関しては無視w むしろ北朝鮮と併合して考えた方がわかりやすい…)日本に対して執拗に謝罪と賠償を求めるのは、中華思想文化大革命の影響による。言い方を変えれば、世界は全て“自分のもの”だからこそ、欧米各国や日本の態度が気に喰わないし、新興国でも親日・親米は叩き潰したいのである。当然だが“中華民国”という概念に立ち返ろうとする台湾も、中国からすりゃ“奴隷のくせに何様じゃ”な態度になる訳で、彼ら中国共産党幹部の“器の小ささ”は、あの大国の政府であること自体が分不相応である…が、なまじ国連の“常任理事国”という大義名分が、今日の横暴を許してる一番の原因ではなかろうか?
なんでそこまで強がりを言うのか…その原因は、そうじゃないと国民を“まとめられない”からである。実のトコを言えば、恐怖政治を強いる国は、そうでもしないとバラバラになるという“見えない恐怖”に慄いてるからであり、いろんな意味で欲張った結果、国家体制としてオーバースペックになってるのを、無理矢理維持しようと躍起になる訳で、だから“次世代”を担う者は、必ず“傀儡”でなければいけない訳である。だから教育の現場においてのマインドコントロールは必須であり、公立学校の教諭は、国家基盤を揺るがしかねない思想を、子供達に教えてはいけないし、そこに至った子供を“落第生”として侮蔑し、駆除しなければいけない。その極論がカンボジアにおけるポルポト政権下における圧政であり、その先駆けが江沢民がやった“文化大革命”である。これによる影響ってのは、やった当初よりも、30〜50年後の未来…つまり、そういう悪政下で教育を受けた子供たちが、ちょうどその“改革”の実行した連中と同じ年齢に達した時である。
訳のわからん左派系学生運動に参加した連中の、ちょうど子供世代以降が、そういう連中の息がかかった教諭の下で勉学すれば、必然的に“傀儡”化した“次世代”が作れる訳で、これが孫世代以降も延々とやれば、もはや誰もどうすることもできない…さらに外部からの接触も断てば、まさしく“理想郷”が完成する訳で、そうなればあとはそれを維持すればいい…ということになる。だが、そういうことを繰り返せば、必ず最悪の事態に遭遇することになる。そう、今の“常識”だけで対応しきれない状況になった時、今ある知識のみで何ができるかと問われた際、誰もその“想定外”に対する備えができないから、結果としてうろたえるだけになる。そうなれば責任問題はたらい回しで何一つ解決できず、本来なら回避できたことも全部ダメになる。“常識”を疑い、他の解決策を探る全てを求めようと思わない限り、“現状維持”を選んでしまう…明日滅ぶかもしれないって時であっても、ただ“座ってる”だけである。それを“正しい”と教えた、先人たちの責任であると同時に、抗うことをやめた青年たちの責任でもあり、社会全般の失敗を意味する。
“現状維持”ではいけない理由なんて、ただ一つ…時代を作り、担うのはいつでも若者であり青年である。その育成、成長を阻害してはいけないのに、邪魔をするのは、いつだって自己犠牲を嫌い責任を押し付け、ただ“自分だけが生き残る”ことだけに心血を注いでる自称インテリであり、苦労知らずな“エリート”であり、そして自分の世代が“報われない存在”と豪語する老害である。報われたいのなら、なんで自分を犠牲にしてまでも未来を切り開こうとしなかった?なんで自分の理想ばかり語り、青年たちの意見や質問を聞こうとしない?そのツケこそが、現在の社会情勢であり、その憤懣の行き着く先は、いつだってなんらかの“戦争”である。戦争が起きる一番の理由は、それこそ“世間のせい”にして、自分の理想以外は全て“破壊”しないと気が済まなくなる…この論理の行き着く先は、所詮“子供の駄々”である。そこに正義も悪も存在しない、単にガキだからこそ破壊と創造を繰り返し、そして自分の理想を他人に破壊されたくないから、たとえ相手が親であろうが誰であろうが関係なく敵意を剥き出しにして襲う訳である。だが、理念や思想がカッチリしてる組織や個人は、滅多な事では無差別攻撃をしない…件のストーカー傷害犯にしろ、“誰でもよかった”と供述する通り魔にしろ、自分一人じゃ“何もできない”と罵られることを嫌うバカほど、自分より“弱い”相手に牙をむく…これは自尊心のためだ。でも、そのちっぽけな自尊心で人生をダメにしたのは自分自身であって、誰のせいでもない。
一部の被爆者、および政治家は“謝罪しないなら来るな”とほざいたようだが、そこになんの価値がある?本当に報われたいと思うなら、現役の指導者ではなく、当時の為政者や軍部に対して、それこそ刺し違える覚悟の上で叫ぶべきであって、次世代相手に、いつまでもしつこく恨み節を唱えてるのは“老害”でしかない。むしろ、現場まで足を運んだその“勇気”は讃えるべきであり、そんなことすらやらなかった歴代大統領と、今後オバマ氏の後を継ぐ大統領に「ここまでのことができるのか?」と問い詰めるのが筋である。“謝罪はいらない”の本意は、当時のことを教科書の上でしかわからない連中に頭を下げられても惨めなだけであり、また、素直に賠償もやると言って、その恩を受け入れたら、いくらでも歴史はねじ曲がり“同じ過ち”を繰り返す。だからこそ、歴史の一区切りを打つためと、どんなに時間がかかっても“難題”に挑み続ける請願を立てるために、あの慰霊碑に向かったのであれば、それで充分じゃないか。そんなことすら理解できず、自分の恨みや妬みばかり次世代に話したトコで、戦争は絶対になくならない…それは同時に核兵器をも手放せないのと同じである。一番肝心なのは、その思い、心意気を“信じてやる”ことだ。それができない者がほざいたトコで、未来を切り拓かんとする者にとって、邪魔でしかない。そんなことすらわからないから、結局“弱い者虐め”しかできない臆病者が、今日も弱者相手に暴力を振るう…自分の行い一つで、未来がどう変革するか、それを望む者は、それを拒む者と対立し、その心一つで勝負は決するのである。その度胸、あなたにはありますか?