迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

勝手に罵倒してるのは、“誰”に対して?

東京の長が公私混同で叩かれている最中、それを“選んだ”のは安倍政権だと明後日な方向へ吠えてるバカがいるようでw 民主主義において、国会議員を始めとする議会運営者を選出するのは、一部の政党の代表者ではなく、どこまでも有権者…つまり、国政なら国民、地方自治なら当該地方在住の有権者が選挙で選ぶのであり、ガチで一党独裁共産主義とは責任の方向性が違う。もう一度言うが、東京都知事に極貧インテリを推したのは、“候補者”という意味では各政党の責任であっても、“選挙”によって選んだのは東京都民であって、他の地方の人間には関係ない話だし、吠えてるバカとて所属政党が独自候補も出さずに相乗りしたのにピーキャラ言う筋合いはない。
東京都民と言っても、実際に知事選に投票に行ったのは総有権者数のおよそ3割、残り7割は選挙そのものを“放棄”した上に当該候補に“信認”してる訳である。言い方を変えれば、自分自身の責任を、およそ3割の有権者に丸投げし、身近な政治に関して“無関心・無関係”を装ってる訳である。その延長が“日本死ね”である…どのクチがそんな汚ねぇこと言えるんだ?少なからずとも、どんな些細な選挙であっても必ず参加し、自分の意思をきちんと示してる人ならともかく、在日米軍問題や都市部での子育て問題などに対していちゃもんつけてる連中は、おおよそ、選挙に参加してないどころか、選挙結果特番を見ながらカウチポテトを決め込んでるのである。んでもって、自分たちの思い通りの結果にならないと“選挙違反だ”とか“正しい民主主義は死んだ”とか騒いで、勝手に道路封鎖や周辺の関係施設に妨害を加えるのである。それこそ、民主主義に対する冒涜であり、法律を踏みにじる極悪な犯罪者である。銃火器や爆破物を使わないだけで、やってること自体、充分にテロ行為である。ついでいえば、警察が“実力行使”でこういう行為をやらかしてる連中をしょっぴかないのは、メディアの殆どがこういう“テロ組織”の味方であり、一発でも拳銃…しかも実弾を発砲すれば“無抵抗な市民に銃乱射して…(ry”と、バカ騒ぎした挙句、その他の“民衆”を守ることすら“ペンの暴力”で禁じようとする訳である…自分らの行為を“正当化”する方法は、強力な“ペンの威厳”で守られてる以上、どんな手段も使ってくるからね。
しかし、SNS全盛期である…既存の報道だけで物事を判断するのは、いわゆる“情報弱者”と言われるインターネットや図書館の活用をメンドクサがる高齢者であり、社畜であり、学生である。オイラみたいに早くからインターネットにハマり、ある意味依存症気味でも、重要なことに関しては、学会員である以上“生身の人間”から聞くことがある。選挙活動でもそうだが、一軒一軒の支持者や縁者を訪ね、近況や意見を直接聞き、それを“組織”としてフィードバックすることも、創価学会においては“仏道修行”の一環である。その“現場”ではよく共産党の活動家に関する悪評を耳にする…その中には、巨大な“闇”が介在する。与野党関係なしに蠢いている一部業界団体が、ことある毎に何かしらの“指示”を出し、よからぬ事を言いふらしてるという…何が言いたいかは察してくれ。
閑話休題、本気で“民主主義”を守りたいなら、選挙は面倒臭くても全部参加することと、政治家や政党に対して、どんなに忙しくっても監視する“五感”を常に持つことである。そのための武器として、メディアの報道以外にもSNS上で流れる情報の精査、時には図書館で六法全書哲学書の読破など、自分にできるすべてを駆使することが、社会に変革をもたらす一因となる。当然だが、買い物やイベント参加等で、そこに集う人々から得られる意見や愚痴も、時として社会情勢を見極めるヒントになる。要は、自分が集めた情報を、いかにして活かすかである。当然だが友人や同僚などの人付き合いも、他愛のない与太話から、相手の心情や現状を読み解くことができる人は、メディアからの情報に惑わされない。上辺だけの情報なんてのは、あくまで自分が詳細を知りたいと思うモノかどうかを“入り口”でしかなく、“真実”を見極めるのは、どこまでいっても自分自身の感覚が主である。他人の評判が、自分の評価と同じとは限らない以上、伸るか反るかは自分次第…ほれ、アニメ版の“鬼灯の冷徹”のOP“地獄の沙汰は君次第”って曲の歌詞でもそうだが、どんな状況下であっても、それを“地獄”と思うか“天国”と思うかは、他人ではなく自分次第w 農業を、その労働条件が厳しすぎて“ブラック産業”と罵るなら、他の人でそういう条件でも平気な人からすれば“生ぬるい”と感じることだってあるし、PCの前で延々とプログラミングの言語と格闘しながらソフトやシステムを組み上げるエンジニアを“気楽そう”と思うなら、自分自身がPCを駆使してオリジナルのOSを作れるならやってみな…な話である。それぞれに理不尽な仕打ちを受けることがあっても、それに似合う“代償”を、相手がすんなり払えるかである。そういうことができる人こそが、本物の“大人”であり、それができない人ほど、ガチでみっともないガキである。
同じ理屈は、スポーツ観戦やヲタ活動も然り…特定のヲタを指差して“キモい”と一蹴するのは簡単だが、他人から見て自分がやってることが“キモい”と思われるかどうかは、所詮は相手次第…相手の価値観での判断だ。それを真に受けて悲観するなら、最初からそういうことに興味を示さないこった…批判するヤツなんてのは、自分も“一緒になりたい”と思う反面、世間からの評価を気にするバカだからねw そんなのはどうでもいい話…むしろ、自分のことを“みっともない”と勝手に思うから間違えるのであって、どんな姿だろうが関係なく、自分は自分だと叫べる人こそ、その生き様や態度が評価される訳であり、そして後に続く者が憧れる存在になる…みっともないのは、自分自身の勇気を振り絞らず、批判されること、罵倒されることを恐れるからだ。だからはっきり言えるのです…本物は、どんな状況でも逃げはしない、自分自身の生き様からはね。