迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

左翼も右翼も、“子供”から見たら皆一緒w

今日のTwitterで、ちょっと共産系思考のアカウントにちょっかいかけたら、わんさか釣れる釣れるw オイラの発言、基本的にはそういう人らから見ると“右傾化”してると言われがちだが、実際の右翼系思考の連中から見たら、むしろ“共産信望者”と誤解されることが多いw つまり、この時点でオイラの“立ち位置”は、双方から見た上での“反対思相”であり、当然ながら、これは中道…一番真っ当な立場だと言っていい。もっと言えば、中立中道であるが故に“四面楚歌”ってヤツだw そういう立場の人間は、常々からフルボッコである。しかし…第三者の立場で見た際、攻撃してる者と反論する者との戦いは、あまりに滑稽で子供じみた姿にしか見えない。つまり、大人気ないからバカバカしさを感じ、故に“無視”という選択肢を選ぶ訳である…君子危うきに近づかずとは、よく言ったモンだね。
もっとエグい事言えば、共産党は70年前、大日本帝国憲法に代わる新しい憲法日本国憲法が作られる際に猛反発した挙句、それが交付されるや否や、掌クルーした歴史があり、しかも創価学会を票田にしようと目論んだ時期がある。これ、絵空事ではなく、戦後早々の話で、これがきっかけで公明党ができたと言っていい…公明党結党に際し、“政教一致なカルト党”というレッテルを貼ったのは自民党であり、事ある事にメディアを通じて公選法違反ギリギリのネガキャンをやってたのが懐かしいほどであるw で、大体、今でも、そんなことを間に受けてる人ほど、創価学会公明党の迅速な対応について行けず、また、メディアが報じなくなった裏に、民事裁判での判例が、出版会社やメディアを萎縮させていることに気付きにくい。学会批判記事で一過的に儲けたとしても、後々裁判で名誉毀損による損害賠償請求が、一件あたりはそうでなくても、大手鉄道会社での車内広告からの締め出しや航空会社での“不買活動”が響き、思いっきり窮する事例が相次いだためだ。(今でも阪急が、一部週刊誌の広告掲載を規制してるのは、そういった事情。)そういったことを知らずに罵ってるなら、相当“時の流れ”に疎いとしか言い様がない。
安直に与党議員の発言に“レイシズム”と叩く人に対して言いたいが、自分がやってる行為が、まさしく壮大なるブーメランになってるのに気付かないかなぁ?もちろん、有権者に対して、かなり失礼な物言いやったのは確かだが、これが無名…否、あまり世間的には名が通ってない人の発言なら、笑い話で済まされるレベル。逆に、議員でも大臣でもない人が、相手が“有名人だから”という理由で名誉を傷つけてもいいという筋合いは、どこにもない。ナチスの旗を掲げた写真を掲載しても、全然無関係なモノだったら、それこそ名誉毀損である。
“自己の正義”に自惚れて、その正義のためならなんでもやっていいという自由は、日本国憲法には一つも書いていない…もう一度言う、ガキ臭い正義を振りかざす自由は、日本国憲法では保証されていないw 改憲を行うにしても、まずは議論ありきであって、国会審議だけで改憲はできない…と、憲法96条で記載がある。これを知らない人は、改憲を止める最終手段が“国民投票”であることすら知らないのである。(衆参両院の2/3以上の賛成があって初めて発議されるのであり、その提案に対して国民投票で是非を問い、法律に基づき、有効投票数の過半数で決まる。)言い方を変えれば、国民投票に対して、投票率が1%しかなかったとしても、それが“有効”と認められた時点での過半数で、初めて憲法そのものをいじる事ができる訳である。だからこそ、日頃の国政、あるいは地方行政に関心を持ち、選挙に参加してこそ、憲法改正に関する議論に参加することもできるのだ。そこをすっ飛ばして、安倍政権を批判してるのであれば、ただでさえ自分の事で手一杯な民衆が無視するのは当然である。
イギリスのEU離脱の是非を問うた国民投票で、若年層は“残留”を支持したのに負けたのは、それ以上に高齢者が“英国の誇り”を取ったからである。もっと言えば、人口比率から若年層の投票率よりも高齢者の方が大幅に上回ったからこそであり、それ故に若年層から“選挙のやり直し”を訴える声が上がっても、議会から無視されるのも、そういうことである。つまり、“選挙に行かない若年有権者”の方が圧倒的だからである。(ま、あそこも、少子高齢化社会になってるんでねw)自分の国のことなのに、完全に“他人事”として受け流してる結果が、老人どもの“報復”に負けたのが、あの結果といっていい。これ、大阪都構想でもあった話で、大阪市北部の新興住宅地(鶴見区とか旭区など)では都構想に賛成する意見が多かったのに対し、南部の古くからある住宅地(平野区とか東住吉区など)では、堺市を巻き込むことに強い反発があって、反対意見の方が圧倒的だった。そしてそれは、年齢層にも表れていて、北部は子育て世代の若年層世帯が多いのに対し、南部は高齢者世帯の方が圧倒的で、その差によって否決されたのである。こういう身近な例があっても、無関心、そして、政を面倒臭がる無責任さが、マスメディアの“暴走”を許す風潮を生んだと言っていい。だからこそ、もっと真面目に考えて欲しい…“子供の目線でモノは見よ”とは、純粋な気持ちで物事を見て、自分の経験や過去の事案から判断し、それによる批判や賞賛は、甘んじて受け入れるべきということである。それができないのであれば、それは“大人の所作”とは言えない…所詮、ガキの使いでしかないのかい?ブサヨネトウヨ諸君は。