迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

殺伐とした“優しい世界”

昨日発生した身障者施設での残虐な事件…被疑者の言い分に関しては、まず“身勝手”というのはわかるし、重度の障害といってもそれが“何”を意味してるか、ちょっと考えないとマズい。そして何より、意思疎通ができない事を理由に、障害を持ってる事を理由に殺害していいという、頭吹っ飛びすぎな結論に対して、それをそのまま実行してる点で、すでに精神的にも病んでるとしか言い様がない…が、およそ50年前まで、日本の社会ってのは、身障者に対して異常なまでに、排斥を是とする構造だったのは言うまでもないし、この障害者施設とて、見方を変えれば老人ホーム同様に“姥捨山”な訳である。しかも合法的、かつ、家族からの“自立”という名目で、入所してる件を踏まえれば、“生かす”よりも“殺す”方が、社会的にも“安心できる”という確証があっての犯行だとすれば、日本はまだまだ、身障者に対して偏見と、それゆえの排斥を求める社会なのだとしか言えない。言ってみれば、被疑者の肩を持つつもりはないが、身障者さえいなかったら、高額な医療費や施設利用料を払わなくて済む家族がいると思ったからこその犯行動機だろうし、介護に疲れた家族にとっちゃ、誰しもが一度は“こんなお荷物、早くくたばればいいのに…“と思った事があるだろうし、自分自身も(経済的&身体的に)しんどいからこそ、どうにかしたいで詰んじゃってるから、老老介護の夫婦間での無理心中や、安楽死を求める声が上がる…これも“生きる尊厳”の一角であるなら、どこで福祉のあり方を間違えた?
かくいうオイラん家も、実家含めて身障者がいる。義母は週に3回透析を受けないと体調維持ができない腎不全(糖尿病の合併症)患者だし、実家のオカンは心臓バイパス手術を受けたクチである。ま、オカンの場合は、心臓にハンデあると言っても、まだまだ元気に走り回ってる方なんで、しかも、妹者2号が実家に残ってるんで、現時点では放ったらかしてても大丈夫だ…が、問題は義母の方だ。75歳以上の高齢者であると同時に、高齢者ゆえの難聴やモノ忘れがちょいちょいあるから、誰かが何らかのカタチで時間や行動の管理を行わないといけない。(現時点では認知症という訳ではない)これが農家やってると、結構煩わしかったりする訳で、苗の管理や田畑での作業を手伝って欲しくても、様々な制約(水分補給や運動量など)がある加減で頼めない。んでもって、透析専門の医療施設がクルマで片道20分前後かかるトコにあるため、送迎に時間が取られると、その分、何もできない…特に、作物の出荷(トマト、キュウリ、ほうれん草、小松菜)があると、旦那の軽トラで施設へ迎えに行くにしても、一旦、市場に農作物を持っていく必要があるため、時間通りに行く事ができない。(オイラがバイトに行かない時は、オイラが送迎すればいいだけなんだが、バイトしなかったら収入が…)そうなると、被疑者の“主張“は一理あるのだが、逆をいえばそれは、身障者自信が“尊厳死”を望むかどうかであり、介護に携わる家族にとっても“辛い選択肢”でしかない…自分達の都合で“命を奪う”のだからだ。
50年前までの日本は、どんな理由で身障者になっても、生活保護すら受けられないほど惨めだった。まして、先天性の障害の場合は、社会で自立することは“できない”と判断され、養護施設への“隔離”が一般的だった。当然、事故や疾患が因で身障者になった人々も、家族間での介護がある意味強要されてたトコがあり、今みたいに訪問介護やデイサービスなんてのもないから、家族のうちの誰か(大概は主婦)が自分の時間を犠牲にして、身障者に付き添うのが普通だった。今でもそれが“普通”と思ってる代議士や医療関係者がいるから、そして多くの身障者持ち家庭は貧困層であるがゆえに、介護福祉関連事業に対するサービスがどんなに整備されても、そこに従事する介護士やヘルパーの人件費を向上させられないという屁理屈がまかり通る訳であり、サービスを受けたくても費用がかかり過ぎることから敬遠されるのである。こういうトコに血税を使えという意見は正しいが、だからと言って様々なインフラ整備や防衛費を“無駄”と称して削るのは、却って国としての屋台骨を、それこそ骨粗鬆症状態にするようなモンである。(まして、富裕層が海外に資産を移して逃げ回ってる状態だと、税収が乏しくなるのは当然の話…)本当の意味で“税の無駄”を省こうと思えば、結局、一番生活が苦しい“社会的弱者”にしわ寄せが来る訳であり、その回避策を模索するばかりじゃ、余計に“税の無駄”が増えるだけである。だから“極論”として、身障者の“大量虐殺”を企てたと考えていいと思う。だが、あまりにも極論すぎるし、ゆえに誰からも相手されなかったからこそ凶行に及んだとすれば、これは起こるべくして起こったとしか言い様がない。
身障者介護施設に警備員を配置したくても、その費用を利用者に負担させることはできないし、そもそも身障者には安定した収入を得る場が少なすぎる。一応、自立支援のための作業所はあっても、そこで得られる収入は、都会のホームレス(空き缶集めてスクラップ工場に持って行って、月収5万円)よりも低い事が多い。そういうことを踏まえると、警備員や職員の数を増やしたくても“できない”という理屈を作ってしまう訳である。自治体に潤沢な資金(税収)があるトコなら、そういう部分への補助金も出せるだろうが、多くの自治体に、そんな余裕はない。ここまでくれば、その“手詰まり”感がよくわかるかと思う…ただ、自分の“善意”が“正しい”とは限らないし、だからと言って、勝手に他人の命を、しかも無抵抗な相手に狂気なまでに惨殺する権利や義務はどこにも存在しない。安楽死尊厳死と今回の事件は全くの別モノであり、身障者だって一人の人格を有した人間である…自己の正義のみで事を起こせば、一番不幸になるのは、自分よりも、そこに関わった多くの人々だ。

教訓:行政も身障者を“邪魔”と思ってるから、こういう凶行が許されてしまう…被疑者自身も、別の意味での“身障者”であり、ゆえに平気で惨殺できた。

被害に遭われた方々…特に殺された19人の犠牲者に哀悼の意を、遺族と怪我された利用者にお見舞い申し上げます。