迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

モノの見方を変えれば、世の中もっと“変革”できる…

Twitterで、一部のフォロワさんとのやりとりで、どうすれば日本の経済が好転するのかという議論をいろいろやってるんだが、極論を言えば、国営企業復活とそれに伴うワークシェアを実施すれば、自ずと雇用も収益も上がるとオイラは考える。但し、“国営企業復活”と言っても、いわゆる“オールインワン”な経営方式の、旧来の“国鉄”とか“電電公社”を復活させろという意味ではない。民間では手に追えない事業に関しては、国や自治体で整備・管理し、そこに付帯するサービス…特に公共交通機関や物流システムなどに関しては民間に委託する、昨今流行の“上下分離方式”による官民一体での運営をやるべきだということである。つまり、鉄道会社において、運行上の安全面で必要な補修や、路線の整備は国が一括で行い、車両の保全や運行は各事業所が、そして車内や駅でのサービス(売店業務や清掃業務等)は、外部の専門業者と役割を分担し、それを包括的に連携し合って行えば、かなりの時短と雇用の創出が可能になると見てる。Twittr上でも書いたが、ワークシェアの“本文”は、単に雇用の創出だけではなく、人員配置によって作業効率を向上させて、一人当たりの労働時間を短縮させることであり、給与が下がったとしても、時間的余裕から副業や資格獲得のための勉強に、あるいは、家族間での介護や子育てに活用できることを意味する。ぶっちゃけ論で言えば、日本の企業体質や行政のあり方は、常に“オールインワン”体質である。だから、競合する他者との連携よりも“潰し合い”になる訳であり、その果てが“東京一極集中”という現状を生み出したと言って過言ではない。地方が疲弊してるのは、この“一括制御”に拘った結果であって、非常時を見越した上での“分割管理”と“連携体制”を“無駄”と称して切り捨てたことによる弊害である。
税収に見合うコストパフォーマンスを問えば、確かに一括制御の方が無駄が無い様に見えるが、それゆえの弊害として、内部の疲弊に対応できない。PCで言えば、MacとWinの違いでよく言われるネタだが、Winはソフトやアプリ、ガジェット等の同時作業が苦手な反面、どこかに不具合があれば、その部分だけ削除や適合部品への交換で対応できるが、MacはOSが万能過ぎて、一つでも不具合が出ると“総取っ替え”ってのも日常茶飯事w これと全く同じである…つまり、日本の気質的にはMacと同じで、どこかでなんらかの“不具合”が生じると、途端に“ゼロからやり直しw”ってのが殆どで、諸外国…特に欧州の政治や企業体質のように、“不具合”を“分離”して、その分野の担当に任せるとか、役割ごとのカスタマイズをしようと思わない。だから、東京都豊洲市場の問題が一向に進展しないし、オリンピック開催に向けた会場整備に関しても、将来的な収益を無視して現在進行形での出費で文句言うからおかしくなるのである。
オリンピック問題に関して、一部の競技団体が“レガシー(遺産)”という言葉を連呼してるが、正直な話、将来を担う子供達に“託すべき遺産”でも“負の遺産”じゃ困るから、小池都政的にギャーギャー言ってるだけであり、将来的な活用形が見当たらない施設なら、既存の施設を一部改修するだけで対応すればいいだけなのに、IOCとかが“もっと金使えw”とほざくから、話にならんのである。もっと言えば、IOCや国際競技団体などの“職務怠慢”が全てであり、主催者である団体や企業(この場合はスポンサー)が、単にメダルを授与するだけでなく、プロスポーツ同様に“賞金”を国や自治体の代わりに出資するなら、どこの国だってオリンピック招致に積極的になるし、整備費用を協賛企業や国際機関が一部肩代わりするなら、リオのオリパラにおいて、期間までに全ての施設を完成させることも、また、その後の活用形に関しても不具合を生じさせる事態にはならないと思う…だって自分自身が“必要”として用意した舞台を、素人同然な他人に管理を任せたらどうなるかは、察しがつく。だから、多くの競技会場は、サマソニ鳥人間コンテスト同様に仮設型のモノにしておいて、開催終了後は速やかに撤収できるようにしとけば、跡地の活用も有効になる。本当に残すべき施設であるなら、国際競技にも耐え得るモノであっても、常に安価で一般人が借りることができる施設でなければいけない。千里の万博公園一体…特にエキスポランド跡地が複合施設へと変貌できたのは、管理者が国から大阪府に移管したことや、あの事故(“風神雷神Ⅱ”落下死亡事故)で遊園地としての価値がなくなったから“事業変更”をやったからこそであり、また、様々な事業者が商業施設として将来性を見出してるからこその結果である。これは将来夢洲で開催が予定されている“3度目の大阪万博”でも同じで、ただ開催すればいいというだけじゃなく、その後の“土地開発”をどうするべきかを見越した上で問うべきであり、そこんトコを無視して騒げば、花博記念公園鶴見緑地の世界庭園みたいに、“誰も来ないからと言って全然整備しないw”なんてことになりかねない。千里万博公園の自然文化園や日本庭園が、常に整備された空間なのは、それに見合うための“手数料”として、施設利用者から入園料を徴収してるためであり、鶴見緑地の場合、花博の後、そういう“施設の有料化”をやらなかったツケと言っていい。
つまり、巡り巡って“自分自身”に恩恵があるモノであれば、どんなサービスや施設でも、それに似合うだけの“負担”は避けられない。消費税の“減税”を訴える人が多いようだが、公共事業を民間に“押し付けた”分だけ血税の支出が減っても、その分のサービスや業務内容が向上するとは限らないし、民間に対する助成が増えれば、“経費削減”の意味がない。雇用促進のための事業を“無駄”というのであれば、そのための人材育成は、雇用主である事業所の“負担”となる。それをケチった結果が、日本の景気衰退の“元凶”であることに気づかない限り、歴史上と同じ轍を踏むことになる…さて、こんな“単純なこと”に、誰がいち早く気付いて行動に出られるのだろうか?