迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

食文化にまつわる誤解と偏見の話…

一部の報道で、関西や四国に糖尿病患者が多いのは、糖質過多になりやすい“粉モン文化”のせいだという話題が出てたが、単純に“それ”だけが原因ではない…そもそも、小麦粉が“主食”になっている地域というのは、年間降水量が少なく、且つ、耕作可能な土地が広大であるからこそできるのであり、また、土壌のph(酸性度)が中性〜弱アルカリ性だからこそ、水稲よりも麦の栽培に適してた訳であり、蕎麦が美味いとされる地域では、土壌が酸性であるが故に、蕎麦以外の作物(穀物)が育たなかったという歴史的背景がある。つまり、いかなる農作物の“特産品”とて、そこにはその土地故の事情や背景があり、近年の物流システムの向上によって、もたらされた恩恵故に、今までの“常識”が通用しなくなってるだけの話である。そこんトコをすっ飛ばして、うどんや粉モン料理を批判するのは言語道断であり、ひいては農業や漁業をバカにしてるのと同意である。
そもそも、日本中でコメが生産できるようになったのは、戦後の食糧難からの稲の品種改良によってもたらされたトコがあり、本来は亜熱帯の湿地帯で作付けする稲を、寒冷地でも水稲栽培を可能にしたのがコシヒカリのシリーズであり、コシヒカリも、そもそもは病害虫に弱くて世話が焼ける品種なのに、新潟県民の気質に合ってたことがきっかけで、“新潟産”(特に魚沼地方)のコシヒカリが一大ブランドになっただけの話である。(ちなみに、コシヒカリそのものは、元々は福井県農業試験場で開発された品種)だから、“米どころ”となってる地域は、総じて日本海側に多いのは、冬場の降雪量がハンパないことから年間降水量が瀬戸内や太平洋岸の地域に比べて圧倒的であり、また、品種の特性上、ある程度の日照不足や霜にも耐えられるからこそ大量生産ができるのである。また、耕地面積も広々と確保できるからこそ、農業機械の大型のモノが使える訳であり、美味さだけでなく作業効率もいい。逆に、高知県や南九州では稲の二期作ができると、小学校の社会科の教科書では掲載されているが、土地柄上、稲作用として耕作可能な平地が少なく、台風の影響を受けやすい地域だからこそ、日本海側よりも早い時期での田植えと収穫が必須となる訳であり、他の耕作地と同じだけの収穫を狙う場合、土地が小さい分二期作を行うことでカバーせざる得ないだけの話である。だから、高知県産のコメは、最も早い時期から“新米”を出荷できる代わりに、1回の収穫量は他県に比べると少ない訳である。
これと同じ理屈で言えば、瀬戸内気候の香川県では、そもそも河川も少なく水稲に向かない地域であるが故に、小麦栽培の方が向いてた訳であり、それ故の“うどん文化”であると言っていい…もっと言えば、うどんが“名物”になってるということは、重労働を要する職が多かったことを意味し、また、長期保存が可能で、茹でるだけで素早く食べられることを踏まえた場合、必然的に米飯よりも麺類の方が好ましいことになる。実際、終夜に渡る職業(製鉄や鉱夫など)に従事する人にとって、炊飯に時間がかかったり、作り置きしたおにぎりで食中毒になることを避けるために、大概のトコでは乾麺を現場で調理して夜食として供するのが一般的であり、今でもカップ麺が受験生の夜食として好まれる背景には、そういった事情がある。つまり、カロリー補給を重点に置いた場合、下手に肉や魚といったタンパク質や脂質、あるいは食物繊維の多い軟弱野菜を摂取すると消化効率が悪く、却って余分な代謝を要するため、運動中にしんどくなるから、糖質のみの補給の方が負担が少ないとされてきた訳であり、かつ、腹持ちを良くしようと考えれば、必然的に炭水化物が多い穀物や芋類が中心となる。その“補給”で一番手早く、かつ“安全”に食べられるモノとなれば、乾麺類と山芋を組み合わせたモノ…となる。つまり、山寺の山門周囲にとろろ蕎麦の名店が多いのは、素早いエネルギー補給と持続性のためである。
また、江戸時代までは、コメは交易品であると同時に年貢(=税金)として幕府や領主に収めることが農家の“義務”だった…そのことから水稲耕作ができない地域では、コメそのものが“贅沢品”であった。当然だが、日本酒そのものも、それが作れるだけの生産力がないとできない訳であり、酒造り用のコメを作ることが不可能に近いトコでは、その“代用品”として麦や芋などで酒造りを行ったのが、今でいうトコの焼酎(本格焼酎)であり、故に九州では北部ほど麦が、南部ほど芋が主体となる。(山岳地帯じゃ蕎麦もあるけど…)このように、地域によって作付け可能な農産物が異なるからこそ、それに基づいた“食文化”ってのが発展する訳であり、また、その背景には産業の発展に不可欠な条件も加味した場合、必然的に“安全なエネルギー補給”の術として発展した部分がある。当然だが、日本でのパン食が発展したのは終戦以降の学校給食であり、現在のように学校内に調理場があるトコでの米飯給食よりも、学校周辺にある手作りパン屋に協力依頼してテーブルロールの類を配給した方が、主菜が和煮物であっても無理矢理対応させることができたからである。(筑前煮をバターロールで喰った経験があるヤツ、挙手w)
言い方を変えれば、現代社会の食生活は、エネルギー補給に主眼を置いたモノが溢れかえってしまい、本当の意味での“美食”が蔑ろになってしまうほど、食事の重要性が失われているのである。もっと言えば、まともな食事をする時間を割いてまで“就労せよ”な社会である…そら、栄養失調からの精神疾患をやらかす人が増えるわ。1日三食摂れとは言わないが、時間をかけてじっくりと食事することが、心と体、両方を満たす最低限度の条件ですわ。だから、本来であれば一番ゆったりした時間に摂る食事こそ、栄養バランスを考えたモノでなければいけないし、時間がないと急いてるのであれば、手早く食べられるモノの方が良い訳であって、その“使い分け”ができなくなっている人が多いから、生活習慣病(糖尿病・高血圧・通風など)罹患者が増える訳です。