迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

著作権・商標権絡みのトラブルに関する、オイラ的考察。

チケットやグッズ、更には施設運営に関する、いわゆる“転売厨”が問題になってる件について、一言で片付けるなら、そういう連中を“スポンサー(出資者)”にしちまうことができないかと考える。つまり、ファンの願望を利用して商売やって、その利益を得てる以上は、そういう連中こそが、本当に“モノの価値”を知った上で商売できるのであれば、“味方”につけることによって、活動費や制作費を捻出してもらえば、いくらでも“いい作品”を作り続けることができるのではないか…という理屈だ。もちろん、そのための“弊害”ってのを踏まえた上での話だ。なぜなら、誰一人傷つくことなく“円満な答え”にしたければ、価値を見出さずに、しかも“自分オリジナル”以外認めないという姿勢で活動すべきであり、また、金銭授受を発生させない環境へと追い込まざる得ない訳である。言い方を変えれば、自分が“使うモノ”あるいは“作るモノ”以外は自分の手元に置かないようにして、他人が有するモノ全てに対して“手を出さない”という結論に至れば、自然と周囲に対する関心も薄れ、いい意味での“自己満足”で済むというもノである。
逆に、制作コストがかかる作品や、著名な人物になったことによる“付加価値”ってのは、それに似合うだけの“犠牲”があってこそ初めて成り立つモノであって、だからアニメや映画制作に対して、様々なトコから出資者を募って制作をする訳であり、それは株式を市場に公開して運営する会社と同じである…故に出資者に対するなんらかの“謝礼”が必要であり、またそれに似合うだけの“注文”を受けなければならない。これが、実は商標権や著作権特許権などの“正体”であり、制作者と、そこに協力してる様々な人々の賃金や、出資者、あるいは依頼主の取引材料でもある。つまり、作者自身が採算を無視して作品公開を行うって事は、金銭授受による制約よりも、自分の作品を広く知ってほしいという思いあってこそであり、また、素人の“ヘタレ作品”よりも優れた作家の“有名作品”に価値があるとみなされるのは、その“知名度”故の話である。
様々な“コピー作品”ってのが、世の中に蔓延してる背景にあるのは、それ故の話…言い方を変えれば、同じカタチのバッグでも、それが無名の作家なのか、世界的なデザイナーのモノなのかで、一個当たりの価格に雲泥の差が出る。で、市場には一定の“価値がわかるファン”と“価値を知らないファン”ってのがいて、当然、“無関心な一般人”ってのもいる。“コピー商品”を売り捌く人、あるいは制作する人にとって、ブランドや著名な作品ってのは、どこまでいっても“資金稼ぎ”にしか見えないし、そういう価値しかない。だから平気で“価値を知らないファン”相手に高額取引を持ちかけ荒稼ぎする。もちろん、騙された者が悪い…と言う理屈はわからんでもないが、こういう“金銭しか興味のない人”にとって、本当の“価値”を見出した上での商取引をできる人は、皆無じゃないかと思う。
オイラのイラストの一部が、番組リスナーに対して無償で使用許可を出してるのは、二つの理由がある。一つは、オイラの作品は殆どの場合、肖像権を侵害してる可能性があるという自覚があるからと、もう一つは、“コピーしたけりゃいくらでもどうぞ…但し、『次回作』は自分で作れ”という意思表示である。つまり、“おうま”シリーズにしろ、ラジニケアナ達(特に御来光様)のコスプレイラストにしろ、“似顔絵”である以上はその時点で、対象となる人物や馬の肖像権を犯してる行為であり、場合によっては名誉毀損で訴えられたっておかしくない代物である。しかし、それに対して当人や関係者から評価されたことを受けて続けてるトコがあり、そういった意味で“相殺”にしてる訳である。そして、オイラの名を騙った上で作品パクって著作権等を訴えた以上は、その続編やキャラクター設定など、一切の著作に関わる全てを、オイラの描き方や想像を、寸分違わずに作ってみろという“挑発”である。この“寸分違わず”ってのが、実は一番の胆である。なぜなら、著名な漫画家の作風画は、そこの制作現場で仕事した人であれば誰でも作れるが、それを“物語”として制作するのに、原作者と“瓜二つ”な作品を作れるか?…ってことになる。同じようなイラストを制作できるアニメーターや漫画家のアシはたくさんいても、作者本人の作風まで完コピして“続編”を作れるかとなると、それこそ“自分の作品”として作りたくても“作れない”というジレンマに陥ることになる。言い方変えれば、原作者が亡くなっているアニメやマンガの“続編”を作るために、それに似合うだけの“犠牲”を払わずに作る事はできない…今年、大ブレイクした“おそ松さん”とて、その制作にあたり、いかに原作者である赤塚不二夫の作風に近づけるか、そして、どこまで“赤塚ワールド”をブッ壊していいのかという、ある意味無謀な作品であったのはいうまでもなく、また、様々な著作権を侵害してたこともあって、放送時と販売用DVDで作品が差し替えられてたりといった制約も発生した。(で、JRAがご丁寧にもスポンサーになったことを受けて、ついこないだ“新作”が放映された訳だがw)しかし、多くのファンや関係者から“こういうギャクもアリだよね”と評価されたから、制作できた訳であり、今でも新作のファングッズが生産されている訳である。
物事の価値というのは、あくまで利用者の主観であり、その時の気分…つまり“感情”によって左右される。そこにつけ込んで、コピーや転売をやる人達にとって、どんなモノでも“金銭”以外の価値を見出す事はできない。だから、コンサートやイベントのチケットを定価以上で売るような輩は、そこで得た利益をを“迷惑料”として、当該タレント事務所やイベント企画者(関係組織)に対して支払うべきであり、当日不慮の事態(身内の不幸や勤務の都合など)で会場へ行けなかった購入者に対して、チケットの“返金”に応じてやることや、転売に関する明確なルールを策定する(指定金券ショップでの売買やチケットトレーラビリティの設定など)ことで、そういう不逞の輩を駆逐することができると思う。その手間を惜しんだり、大量購入による弊害を防ぐ手立てを講じない限り、この問題そのものは、根絶することなどできない。