迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

モラルがないのは“お互い様”じゃねぇのか?

新千歳空港で、天候不良を理由に“運休”になった飛行機を巡って、一部の中国人観光客が暴徒化した件。ま、オイラもオカン連れて冬場の札幌に行った経験があって、その際、オカンの機転で1便早めの便に切り替えて離脱した訳だが、予定通りだったら、確実に空港で“野宿”だったのはいうまでもないw が、これ、ことを起こしたのが“たまたま”中国人だった訳であって、同じような光景は、都心の電車じゃ日常茶飯事ではないか。もちろん、飛行機と通勤電車を同列で扱うこと自体はできないが、やってることそのものは、日本人の利用者とて同じだ。まして、“利用者の安全のため”と説明したトコで、極悪クレーマーにとっちゃ“そんなの知るか”であり、自分達の意見で事故が起きたとしても、その“責任”は運行を決めた航空会社や鉄道会社であって、自分には何の非もないと偉そ張る。これ、何も中国人だけの問題ではなく、世界中どこにでもある話であり、そういうクレーマーに多いのが、なぜか高学歴や過去の因縁をネチネチ言ってるバカである。言っちゃ悪いが、それ、何の価値があるんや?
もちろん、空港内での“御法度”をやった以上は、しかるべき処分を受けることは当然として、何でこういう“理不尽”な行為を平気でやってしまうのか?そこには意外な答えがある…そう、自分の“思い通りにならないこと”に対して、忍耐力がないから文句を言うのである。言い方を変えれば、自分の思惑通りに事が進むことこそ“普通”と考えるから、非常時の対応に“何でやねん”というツッコミをやってまう訳であり、思い通りに事が進まないのは、他に余計な迷惑をかけてる可能性があると推察ができないほど、精神的に余裕がないのである。もっと言えば、最悪の事態を想定する事自体を“無駄”と切り捨て、ギリギリまで欲張った結果が招いた事態に、自分自身の責任として自覚できないから、関係各所に当たり散らす訳である。特にこの時期、忘年会とかで酒を飲む機会が増え、その勢いで理性の箍が外れる人が街中で溢れる訳で、そういう輩の多くは、自分の“今までの苦労”が全然報われていないと喚く訳である。
申し訳ないが、会社(職場)主催の慰労会ってヤツは、給与や休暇では補いきれない部分の補填であり、愚痴を直接聞くことによって、職場の環境改善につなげるための“調査”の意味合いもある。それを開催しないトコでは、上司が私財で部下に“年越しの土産”を持たせるケースがある。少なからずとも、オイラが長年勤めた某スーパーの物流部門では、上司が“年越し土産”として、毎年ビールやみかん、いちごなどを各1ケースずつ部下に配る風習があった。(今でもやってるかしら?)それでオイラん家では、毎年の“年始の挨拶”として親族縁者に小分けして持って行ったりした訳である。(いや、アレはガチでいい手土産なんだよ、アスカルビーとかのパックはw)
閑話休題、つまり、公共交通機関での事情説明を事細かに説明したトコで、クレーマーにとっちゃ関係ない話であり、自分の“思い通りにならない”事自体がムカつく訳であり、そうなるとモラルなんてのはすっ飛ぶ訳である。要は、いつも使ってるトコが“非常事態”で止まると“困る”から、該当した途端に、たとえそれがどんな事情であっても“関係あるか、今すぐやれや!!”ってことになる。こうなると、他の利用者だって大迷惑だし、事が更に悪化するのは目に見えた話である。当然、これは客商売でも同じで、変な言いがかりをする顧客に対し、いかにして“お引き取り願う”かが、店員としての腕の見せ所だったりする。もちろん、その中にはガキ以上に店内で暴れまわるバカもいる訳だが、その殆どが“我を敬え”的な態度である。まだ、幼稚園児や小学校低学年なら話は早いが、エエ歳こいた老人や中年の場合、態度そのものがタチが悪い。言っちゃ悪いが、他のお客様に対して迷惑千万な態度をやってるのは、他ならぬ“そういう輩”であり、店員や会社そのものではない。ましてそこに、民族や宗教、帰属組織なんて関係ない…一個人の“犯罪”である。
だから、何かある度に“〇〇のせい”とか言うのは簡単だが、それが身内だった場合、面と向かって叱ってやれるのか?どんな犯罪も、“仲間だから”と庇ってるようじゃ、いつまで経っても改善しない。何が原因で、どうしてそういうことをやったのか、それでどうするべきかを踏まえた上で、初めて“改革”ってのは成り立つ。逆を言えば、最初から“対策”を練った上で実行したとしても、それはどこまでいっても“机上の空論”であって、何の意味もない。現場での実情があって、且つ、過去に“同じ事案”があるからこそ“対策”ってのは練れるのであり、それ以外の“原因”に対して、誰が責任を負い、最悪の事態を回避、あるいは最小限の被害に留めるかは、その瞬間の判断でしかできない。だから、様々なデータを蓄積し、分析するのに時間がかかる部分はそういう専門家に任せ、現場は現場で“データの採取”と称して、瞬時の対応に当たるのがスジである。その最高責任者こそが組織の幹部であり、会長なのである。会社経営にしろ、国家にしろ、いかなる組織も“一番偉い人”の責任の重さは、従事者全員の命以上である…しかし、だからと言って“我に平伏せ”的な態度は、どんな指導者も取ってはならない態度である。なぜなら、その地位を決定付けた要因こそ、従事者の協力であり犠牲の上に成り立ってるからである。で、組織を“無関係”な客人ってのは、どこまで言っても“客人”であり“余所者”である。だからこそ、相手を“思い寄り添う”気持ちで接客するのは是となる。が、その“おもてなし”に不服を訴えるなら、“客人”としての判断で自分から離れるべきであって、当該組織や相手に付き合う必要性などないだけの話。但し、そうやって断った以上は、自分の所作に責任を負わなければ、結果として周囲に対しても迷惑をかけることになる。ま、そもそもクレーマーに理性や知性はなく、単に“誰か構って”の感情しかない訳で…