迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

経済を停滞させているのは、それぞれの“臆病”からw

アメリカの次期大統領の内向的な発言に対し、本気で喧嘩したい企業がいないことこそ、今のアメリカの経済がダメな一因だと、オイラは考える…なぜなら、本気で“アメリカ経済潰す気”で当人が政界に臨もうとしてる以上は、同じ財界人として“返り討ち”する度量がなければ、組織も、そしてそこに集う人々をも守ることなどできない。為政者に対し、直でなくても対等に経済界の人々が喧嘩してこそ“民主主義”の本来あるべき姿であり、そのための“資産”じゃないか。トランプ次期大統領は、自分の“資産”を駆使して選挙を戦ったクチであり、ゆえに財界人相手に喧嘩腰で“国に金よこせ!!”と言ってるまでに過ぎん。それが、メキシコへ工場を移転する計画をしてたアメリカの大手自動車メーカーに対して“膨大な関税掛ける”とか、“売国奴め”という発言につながる。しかし…だからこそこういう“一番エラい人の発言”に怯んだり、脅えてはいけない。本気で為政者に対して従う必要なんてない…むしろ、“こんな国捨ててやる”と言い放てばいい。なぜなら、納税者がいなければ、必然的に財政は逼迫し、その負担はさらに貧困層を襲うことになるだけであり、結果として“強いアメリカ”という妄想に対し、大統領自身が私財を抛たざるえない状況になりうる。その“度胸”が本当にあるかどうかは、これからの話であり、そしてそれ故に中国はますます付け上がることになるだろう…しかし、長くは続かない。なぜなら、本気で戦争する気があるなら、とっくの昔に日本が“戦火”に飲み込まれて滅んでいるからだw むしろ日本という名の“お財布”をどっちも失うことが一番恐ろしい訳であり、だからこそ軍拡に必死になるのである…経済を支えてるのは、悲しいことに軍需産業を含めた重化学工業であり、そこが活況でないと、雇用も、経済も動かないのだ。
皮肉な話だが、経済が停滞する最大の要因は“平和過ぎて何もかもが満たされた環境”であって、日本の経済がグダグダなのも、結局はそこに尽きる…もちろん、“平和”であること自体は、そんなに悪いことではない。が、問題は“満たされ過ぎた環境”である。あんまりにも用意周到な環境下と、何事にも事欠くような状況下とでは、その欲求の方向性が違いすぎる。前者はとにかく“退屈”であり、だけどその安直で“守られた”環境下が居心地よ過ぎて離れがたくなる…だから変なブランド信仰や、過去の功績に胡座かくバカが増えて、保身に走るようになる。後者は逆に、そんなヒマなんて全然ないから、常に緊張感の中で戦わなければならない。だから、モノがないならないなりに、人手が足りなきゃそれ故の行動に移る。もっと言えば、貪欲に色々と“求める”訳であり、そのために苦労するから“攻めの姿勢”にならざるえない。この差こそ、本当の意味で“平和”というモノの有り難みを考える重要な部分であって、また、経済を支えてるのは“多くの犠牲”であることに気付かないといけないのである。日本の就労環境が、先進国の割に劣悪なのは、ある意味国民性であると同時に、教育の現場において“国民総奴隷”を良しとする環境だからである。もっと言えば、立憲君主“共産”主義を是としてるトコがあって、だから戦時下において、天皇を“生き本尊”と据えて、その御旗の下で死ぬことを、未来を背負う人々に強要した訳である。それが今も続いてるのだ…少子高齢化だけが、日本の衰退を招いたのではない、もっと根幹的なトコを見たら、全てを“一つに集約”しようとしたからこそ、東京一極集中や個性の否定といった“負の連鎖”を招いてるとオイラは考える。
みんな貯蓄に走るのは、将来に不安を抱えてるのではなく、使い道そのものが“わからない”からである。もっと言えば、使えるお金を全部注ぎ込んでも“不幸だ”としか言ってない時点で、すでに経済は破綻してるのである。だから、“政治が悪い”だ“天皇憎し”と言ったトンチンカンな意見のデモが散発するのであって、本当の“幸福”ってのは、そういう愚痴を自由に吐けること、悪口を言っても殺されないこと…意外と細やかで誰も気付かないほどの“当たり前な日常”こそであり、それ以外の他に求めたトコで虚しいだけである。逆を言えば、言論統制や戦争を望んでるのは、自称“平和主義者”であって、平和ボケした学者や苦労人である。自分自身の経験した苦労や屈辱なんてのは、他人にしたらどうってことない“つまらんモノ”であって、むしろ他人を罵って詰ることでしか自尊心を維持できない人が、大概はその感情に絆されて暴力的になる…そう、自分の思い通りにならないことが許せないからだ。だったら、その感情をもって、自ら不幸になること、理不尽な世の理に挑むことを望み続けなきゃいけない。だから、自然は人間に対して理不尽な災いを提示し、挑む意思があるかどうかを試す…法華経の極意ってのも、実はそこんトコが含まれている訳で、だから日蓮が説く“立正安国論”において三災七難が起きる“原因”ってのも、その一つに自業自得な部分があると指摘してる訳である。だから、自分が求めるものが、金銭のみでは“手に入らない”から…もっと言えば、本当に“欲しかったモノ”が見当たらないから、余分な貯蓄に走るのであり、その“言い訳”として将来に対する不安を掲げる訳である。しかも、宗教や国家に対する不信感から、余計に“使いたくても使えない”というジレンマに陥るのである。
脱線ついでに言えば、昨今のアニメ制作現場で、やたらと某新興宗教が絡むケースが増えているんだが、その背景にあるのは、宗教団体だからこそできる“散財”のあり方である。宗教施設に芸術的作品と思しき建築部材や絵画、音楽活動が目につく背景には、敬虔な信徒の浄財を注ぎ込んで、才能あれど貧困な建築家や芸能人などを擁護してきた歴史がある。そこには、それ相応の“費用対効果”ってのが期待できる訳であり、活躍の場が広がれば、それだけ布教のツールとして活用できる訳であり、信徒獲得のための下地としての投資だからこそ、その浄財を施設や情報発信のために厭わないのである。当然、芸術家として安定した収入を約束してくれるパトロンが付いてくれれば、やりたい放題に才能を開花させることもできる反面、時として“信徒として付き合え”と言われたら断れなくなる。それを打開するには、宗教団体以外の富裕層が、その才能を買ってやるしかない。ただ…それ故に相手の好みに合わないとギャラを貰えない訳で、故に様々な芸術家は、パトロン相手の作品も大量に作った訳である。そして、完全なる自由を求めた作家ほど、貧困であり続けることを望んだ…“仕事”として芸事をやるには、それ故の要件を飲まざるえない理不尽さを受け入れなければいけないからだ。だから、無名の作家でも“攻めの姿勢”を持ち続けられる人は、自分の発言で炎上することも気にせず攻め続ける。名が売れて世間的に認知される立場になると、途端に保身に走るのは、それ故の“臆病”である。むしろ、喧嘩で負けたって構わない覚悟があるなら、どんな発言に対しても責任取れるし、むしろ、その潔さから更なる成長が望める。経済は、どこまでいっても“臆病”は敗北を意味する…攻めの姿勢こそ、そして、何より支配下の人を敬える度量があってこそ、本物の富豪と言えるのである。