迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

そもそも、築地&豊洲問題って都民以外関係ないじゃんw

と、タイトルで言っておきながら、今回はそこんトコにツッコんで話を進める。そもそも論だが、築地市場の移転問題の“根幹”を見ると、なんであそこに拘り続けてるのか、都民以外の人間には理解不能である。また、わざわざ豊洲に作らなくても大田市場に“一本化”すれば済む話だったのを、ここまで拗れさせたのは、築地市場に出入りしてる業者自身だと考えざる得ないトコがある。もっと言えば、築地そのものが“ブランド”として確立してるという“まやかし”を見抜かないと、余計に話がおかしな方へと転がりかねない…てか、その近所の国有地をタダ同然で国から譲り受けた報道機関が、政権打倒のためになりふり構わず大阪の奇妙な学校法人に首突っ込んでる時点でその呪い、必ず自分達に降りかかるでw

閑話休題…オイラの記憶が正しければ、もともと大田市場は築地市場の老朽化問題を解決させるために作られたトコであり、本来であれば30年以上前に、築地で取り扱ってる全ての業種(青果・鮮魚・乾物・花卉)を一括して移転させる計画があった…んだが、何故か鮮魚部門がダダ捏ねて、結局鮮魚以外の部門の殆どが大田市場へ移転することになった訳であり、築地は“鮮魚専門”というカタチに落ち着いた経緯がある。何度も言うが、築地市場の老朽化は30年以上前から指摘されてきたことであり、また、築地周辺の再開発を“拒む象徴”として、鮮魚市場がそこにあると言っても過言じゃない訳である。

ではそもそも、築地市場の移転を嫌がる背景とは何か?これもオイラの推測でしかないのだが、築地周辺のインフラが、他よりも利便性が良いと考える人が多いと思われる。この問題、大阪にちょっと置き換えて考えた場合、大阪市中央卸市場(本場)は福島区の安治(あじ)川のほとりに位置してるんだが、そもそもは木津や天満などに点在してたそれぞれの市場を一括化するために設けられたトコで、立地条件が河岸なのは、水運による貨物の流通に都合か良かったからである。しかし、ここだけでは手狭になったために、東住吉区に“東部市場”を設け、一部はそっちに移転させた経緯がある。ま、その“理由”が現在のJR貨物百済駅の存在で、昔はここを経由して全国の荷物が東部市場に送られ、大阪府南部を中心に出荷してた訳である。(食肉市場である住之江区の南港ミートセンターの話は、ここでは割愛…あいりん地区の周辺に冷蔵倉庫が点在する理由を語り始めると、話が逸れるからw)実はこの構図、築地市場と同じなんですよねw

つまり、鉄道貨物輸送が基本だった時代において、築地市場には貨物列車が横付けできる構造になっていて、その“名残”があの変に曲がった形状の建物なのです。大阪の話に戻すと、同じような形状だったのが東部市場であり、モータリゼーション化による鉄道輸送が廃止になって以降も、百済駅と隣り合わせな構造になっていて、元々は築地同様に乗り入れ線があった訳です。

しかし、物流の主役が大型トラック輸送へとシフトしたことを受け、今から40年ほど前に、JRの前身である国鉄が各市場へ乗り入れていた貨物の取り扱いを廃止したことによって、それらは全て仲買業社などのテナントへと変貌した訳です。その際に、大田市場が登場する訳で、大型トラックによる輸送がメインであることを受け、首都高速道路からアクセスしやすく、かつ、羽田空港からも近いこともあって、将来的にここへ集約されるハズだったのです。つまり、ここまでgdgdになっているのは、そういうことなんです。こう考えると、結局は感情論のみで築地市場の移転は、毎度のごとく“棚上げ”になっていて、また、大田市場にしろ豊洲新市場(仮)にしろ問題になっているのは、飲料として使うことのない地下水や、新しい建造物である以上避けられない化学薬品の匂いです。つまり、築地市場を移動させたくない人にとっちゃ、どんな理由があっても、築地から移動したくないのです。どんなに“安全”が科学的に証明されようが、経年劣化による障害が出ようが、他の場所よりも“安全”だと考える人が多いのは、新しいからこその不安と、都心に“近い”からこその話です。もうここまでくると、完全に単なるプライドの問題であって、都民や消費者、訪日外国人の“食の安全”なんて蚊帳の外です。感情的になりすぎて、さらに事の本質よりも“悪代官退治”に躍起になりすぎて、一番蔑ろにされているのは、東京に住む子供たちかもしれません…前任者批判よりも、やるべきことをやらずして税金泥棒してるのは、誰ですか?