迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

芸術文化が叩かれる、根本的な話。

コミケを含むビッグサイト利用に関する諸問題にしろ、地方創生大臣の“不適切”発言にしろ、その根本にある一番の問題は、そもそも芸事に対して“誰”が資金援助を行なっているかという話。これ、なにも芸術だけに限った話じゃなく、今の日本経済の歪みの原因もそこにあって…ま、ぶっちゃけ話をすれば、分相応の賃金が活動家(この場合は作家や就労者)にキチンと支払われていない事と、賃金を支払ってるのは“誰”の価値観によるモノなのかという概念がすっぽ抜けてるからである。もっとわかりやすく言えば、子供の時にもらってた“お小遣い”ってのは、親に収入があってこそ、且つ、家での手伝いや地域への貢献などに対して、親の評価で決まる訳であり、常々ひもじい思いをしながらも貯金に回すことが是だとする発想の“諸悪の根源”は、結局はそこんトコに尽きる。

ビッグサイト問題に関して言えば、なぜゆえに“東京”への出展に拘るかを踏まえた上で話すと、そもそも、日本の教育において、物事の基準を全て“東京”に一括してることが問題なのであり、海外で勝負する際の“基準”ではないのに多くの人が錯覚してる訳である。中小零細企業でも、世界を相手に戦っているトコほど創業の地から離れずに頑張れるのは、最初っから“東京”を相手にしていない…否、東京だけが“日本”じゃないという自覚と誇りがそこにあるからである。もっと言えば、日本国内のみで商売をやっているのであれば、人口や集客力の上で“東京”と“その他地方都市(京阪神含む)”では、雲泥の差があるからどうしても…ってなるが、海外に目を転じ考え方を変えれば、本当に外国人が求める“日本”というモノがなんなのかをリサーチしてモノ作りに反映できれば、一瞬にして“東京”という価値観を無視して勝負に出ることができる。今、関空を利用する訪日外国人が増えてる背景にも、東京だけで満足する人よりも、東京以外の“魅力ある地域”への玄関口として注目され始めているからである。(もちろん、一番の要因はLCCハブ空港的なイメージがあり、また、空港からのアクセスが陸路と海路があるという面白さがウケてる訳で…w)

なにが言いたいかと言えば、要は“自助努力”してるかってこと。もっと言えば、学芸員が批判されたとか、文化を破壊する行為だという批判は、その“前提”として公的機関(国や自治体主体の関係組織)による保護や助成が“当たり前”だと自惚れていることがそもそもであり、そこんトコで文楽や大阪フィルに対して“塩対応”を行なったのが大阪府大阪市…即ち、“橋下改革”の御旗の下で走り回ってる、おおさか維新の会である。その改革をけしからんと批判するのであれば、なんで大阪府大阪市が文化保全に対する助成をカットしたかと言えば、今の大阪府大阪市の税収に“見合わない”モノと判断したからである。つまり、文楽にしろオーケストラにしろ、公演の度に“赤字”になっても“国や自治体が助成するから”と甘ったれてるから、支援者(要は文楽や音楽のファン)の新規開拓を怠ったと見做された訳であり、それゆえに大阪フィルは“捨て身の改革”を余儀なくされた訳であり、上方芸能の保護という観点から文楽以外の芸能が、文楽とのコラボを持ちかけて集客力をつけようと躍起になった訳である。

そう…本来、いかなる芸術・芸能も、その活動支援を行ってたのは、公演の度に律儀に木戸銭を払い続けたファンであり、コアなファンが“公式”関連グッズを“正規の価格”で購入してこそ意味がある訳であって、その収益が本来であれば、そういう活動家全員に普及しないといけないのであり、その実入りが少ないことを理由に、安易に国や自治体の税収からの助成に頼り過ぎたからこそ、“税負担が…”って話になるのである。そして、美術館や博物館の学芸員が批判される主な要因は、その知識を活かした広報活動をやっていない事が大きい訳であり、単に館内でボーっとしてる…てか、来訪者が質問をしてくるのを“待ってる”だけでは、批判されて当然である。私設の美術館や博物館が相次いで潰れた背景にも、その“主人”である企業や団体が支援しきれなくなった事が全てであり、企業として収益が上がらない事業からの撤退は、ごく普通の話である。当然だが、公立の博物館や美術館とて同じであり、税収から運営の助成を行なっている以上、できるだけ住民の税負担を軽減しようと努力しなれば、真っ先にカットされる部門にならざる得ない訳である。その危機感から、旭山市にある旭山動物園は一念発起で展示方法の変更や場内イベントの拡充などを行なった結果、東京の上野動物園よりも来場者数が多い動物園へと変貌した訳であり、大阪フィルに到っては、なりふり構わず様々な演奏会やコラボイベントに参入することによって、運営費を自分達で得ようと躍起になってる訳である。そのためには、ファンという名の“支援者”が、身の丈にあったカタチでの“出資”を行うことが大事であり、それを作品や公演に昇華してこそ、ファンに対して“還元”できる訳である。そのための努力を怠って、税金を喰い物にしてきたのであれば、たとえ文化保護の重要性は分かっていても、他力本願な態度は批判されて当然。何度も言うが、国や自治体が文化を保護するのではなく、民衆が直感的な感覚で触れ合い、その価値観に鑑みた料金を支払ってこそ、初めて芸術文化ってのは永続的に支援できるのです。