迷馬の隠れ家 はてな本館

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上下貴賎を“弁える”本意とは?

将棋の世界に、若き“英雄”が破竹の勢いで連勝してる件について、口が悪いことを芸としてるタレントが、いつも通りのひねくれたコメントに対し、SNSでプチ炎上状態になっておるようだが、コメントの内容をひっくり返して受け止めると、“ひねくれ者”故の“褒め言葉”であることはいうまでもなく、そういったことに対して目くじらを立てる必要はない。が、問題は“無条件”で“自分より年上”を敬うべきだという発言…これに関して一言でいえば、「将棋の礼儀作法を知らないのね」で片付く。なぜなら、将棋に限らず、勝負事の礼儀において、たとえ相手が自分より若い人であっても、“敗北”を認めた時点で頭を垂れることで“試合終了”となる訳であり、相手より自分の方が“年上だから”ということを理由に敗北を認めない人は、次の試合から“不戦敗”となる…実力的に落ち目なのに、それを認めない時点で“勝負にならない”からである。ぶっちゃけ論で言えば、どんな功績や地位を有しても、世界観が違えば価値は消える…ここんトコが理解できない人ほど、変に学歴や過去の栄光に縋ろうとして相手を侮蔑し、恥を掻くことになる。

“上下貴賎”という括りってのは、あくまでその“世界”にしか通用しない価値観の“物差し”でしかなく、故に、違う世界での価値観に鑑みた時、それがそのまま通用するような代物ではない。マンガの“釣りバカ日誌”が好例で、会社での地位は平社員でも、釣り仲間からは“達人”と呼ばれる主人公と、会社の社長という肩書きだけで初めて海釣りに行って、そこで自分自身の“世間知らず”さを知ってからは、休みの日に釣りに行く時は、主人公を“師匠”と仰いでついて行く…なんてのは、“上下貴賎を弁える”という態度の一つである。同じ理屈に関して言えば、そういう系統の“社会人コミック”によく描かれる題材であり、そこんトコを踏まえると、社会的地位がどんなにエラくても、自分の“知らない世界”に一歩足を踏み込んだ時点で“ど素人”扱いされるのは当然の話である。コミケでもそうだが、著名人だからと言って、主催者に許諾も取らずに勝手にコミケ会場に乗り込んで、販促イベントを強行開催するような不躾な輩は“出禁”になるのは当たり前。小林幸子にしろ、叶姉妹にしろ、キチンとコミケの出展参加ルールに従って手続きを行い、参加してる訳であって、そこんトコは一般の同人サークルと同じ手順を踏まえた上で、参加してる訳である。そこに“芸能人だから”とか、“著名な作家だから”という言い訳は一切通用しないし、一緒に当日会場内で“盛り上がろう”と参加者全員に呼びかけているからこそ、他のサークルからも好意的に受け入れられているのである。もしこれが、そういった“参加ルール”を一切無視して、企業サークル枠や“主催者招待”という特別枠で参加した挙句、事を起こせばどうなるか…長年コミケに参加してる、コアな同人作家やサークルなら、察しがつくだろう。

年上だからとか、大卒だからとかという“肩書き”によって、優越感に浸りたい人ほど、実はそのヘンチクリンな“縛り”によって、自分自身の自由が利かなくなっている事に気付かない人が多い。何度もいうが、変なプライドに拘るあまりに、自分自身に秘められた“可能性”に対して、自ら蓋をしていることが解らないのである。それがちゃんと理解できてる人ほど、様々な分野で活躍の場を広げることもできるし、それ以上に精進・鍛錬を怠らない…だから、自分よりも年下の相手でも遠慮なしに“攻めの姿勢”を崩さないし、“共戦”という概念の下において、面倒見がいい“先輩”になることが多い。逆に、相手をナメてかかってる人ほど、自分が行った努力や苦労ばかり誇ってしまいがちであり、それが“正当”に評価されないことを一番嫌がる…もっと言えば、誰よりも“褒めて欲しい”あまりに、相手が年下だったり、学歴的に下だとわかった瞬間に、とにかくバカにする訳である。でも、そういう人ほど、本当に他人様に誇れるほどの功績も、実力もないのだ。だから、自分以外の相手に対して、その人には“できない”部分を見つけては貶し、自分よりも“弱い”ことを強調する訳である。歳を喰ってる“だけ”で尊ばれるのであれば、それに似合うだけの含蓄や体験談を持っているモノだが、そういうモノすら“無い”のである。だから、どうしても肩書きや分野違いを強引に“自分のモノ”として振り回す訳である。これほど“大人気ない”行動はない。

肩書きを持つということは、その名に相応しいだけの責任と、耐え忍ぶだけの実績を有して意味を成す。武豊騎手とて、新人時代はどこまでも“天才魔術師(=武邦彦)の息子”という“二つ名”から逃れられないトコがあった。が、48歳になっても未だ現役で、しかも最前線の騎手としていられるのは、いうまでもなく、その“二つ名”を返上したくて、更に高みを目指そうと精進した結果であり、その中には日本ダービー5勝という、前代未聞の大記録も含まれる訳であり、中央競馬のみで3900勝もするのは、それだけの努力と、他の才能を犠牲にしてまで騎手としての才覚に集中してるからこそ、今日まで、コンスタントに勝ち星を挙げ、多くの馬主から信頼を勝ち得てきたのである。そして何より、競馬以外での部分では、謙虚な姿勢で物事を見てる事である。競馬サークル内で自惚れたとしても、それ以外の分野では、知識的にも素人以下であることを自覚してるからこそであり、競馬以外での世界に一歩でも足を踏み込めば、それまでの地位や名誉なんてのは価値が無い事を解ってるからこそである。つまり、人間として本質的な価値観なんてのは、自分と他人で全く異なることを、感覚的に理解できてるからこそ謙虚になれるのです。

そこんトコは、身障者だろうが健常者だろうが関係ないし、その価値観が全てではない…そこが理解できない人は、ゆえに自分が持ってるスキルのみで他人をバカにするのです…自分が抱えてる些細なプライドのせいで、結果として自分自身を傷つけ、勝手に自分自身の“生命の価値”を下げているから、的外れな僻みや妬みを言い放つのです。目に映ってる“他人様”は、ひょっとすると、“明日の自分”かもしれないのにねw