迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ディズニーが“守銭奴”な理由、サンリオが“フリーダム”な理由…

タイトルを見て、ギョッとした人…解説をするまでわからんかもしれませんが、実はこれ、著作権に関する対応の仕方です。要するに、著作権管理を“誰”がやるのかについて考えた場合、なんで日本のアニメーターや様々なクリエーターが貧困に喘ぐのかが、よく解る話なんですよw ま、手塚治虫を今更disっても仕方ないですが、彼がやらかしたことが、実は今のアニメ業界そのものの“ブラック体質”を生み出してる元凶とも言える訳です。ただ…彼自身を責めたトコで、日本のサブカル文化がここまでの発展を遂げた“もう一つの理由”を否定しかねない話になる訳ですが。

まず、アメリカでのコミックやアニメの制作に関しての著作権管理について端的に言えば、組織体として管理してるトコが殆どで、個人で所有して管理するってことがない。これは、ウォルト=ディズニーの著作権管理に基づいた概念に、同業者が賛同したためであり、以来、アメリカのコミックやアニメは、制作会社自身が包括で管理してるのである。てのは、個別管理だと、まず喰って行けないクリエーターが大量に出る事と、個別だからこそ制作会社に無断で(しかもタダ同然で)他業種の広告などに使われる可能性があるからであり、そういった著作使用料を円滑に、かつ均等に参加したクリエーターへ分配することができる訳である。ぶっちゃけ話をすれば、要は“就労者の生活保護”のために、キャラクター使用料等が高めに設定されているのであり、そのライセンス料で得た収益は、ほぼ制作会社に所属するクリエーター全員に分配される訳である。したがって、アニメ制作スタジオを見ても、個々に応じた配置になってたり、仕事場なのに家庭用ゲーム機やチェス等のボードが置いてあったりする訳である。逆を言えば、制作会社に所属するクリエーターは、日本でいうトコの同人活動が禁止されていて、自分が描きたいキャラ同士の物語を勝手に作ることすらできないのである。だから、ディズニーキャラクターを使った同人誌の発行や、私作アニメをwebサイトで公開するなどといった行為は、書作権侵害としてディズニースタジオから訴えられる訳であり、そのことがある意味原因で、キャラデザの大幅変更をやらざる得なかったトコがある。(この件に関しては、後日、ブロマガの方で解説しますw)

一方、日本の場合…著作権は“作者個人のモノ”という概念があり、その管理を出版社や販売業者等が代理人として仲介する訳である。コレが実は“クセ者”でして、多くの場合は、この“仲介業者”によって収益の殆どをピンハネされてる訳である。日本の音楽シーンでよく問題になる“JASRAC vs ユーチューバー”の話も、実はそういうトコがある。てのも、JASRACピンハネしてる著作権料は、その殆どが“使途不明”な訳で、本来であれば作詞家や作曲家、歌手にキチンと支払うべき代物なのに、なぜか“事務手数料”が篦棒に差し引かれる訳である。もちろん、その理由として著作権の包括管理が挙げられているのだが、放送局が番組内で使用する件に関して、かなり値引きをやってるトコがある…つまり、その“差額”を徴収してると考えていい。ま、その背景には、終戦後に民放局が雨後の筍の如く誕生したこともあり、また、NHKだけ“無徴収”って訳にもいかないし、複雑な事情があるのは認めるトコだが、昨今収入が目減りしたことを理由に、音楽教室や企業系ブラバンに“著作権料払えや”な話は、それこそ大阪で上方芸能保護を訴えた市民団体に対して、橋下前大阪市長の“営業努力せんヤツが悪い”と一蹴した話と同じである。

話をコミックやアニメの方に戻すと、この“ええ加減な管理”が仇となったのが虫プロ倒産という話になる訳で、それを逆手にとって業績を拡大したのがサンリオの戦略(別名:ハローキティは仕事を選ばないw)である。簡単に“虫プロ”というアニメ制作会社の話をすると、現在でいうトコの“手塚プロダクション”の前身…というか、手塚作品のアニメ部門を取り扱っていた個人事務所で、コミックとして連載されていた作品以外にも、オリジナルアニメも手がけていた。が、その収益の殆どを手塚作品の著作権…しかもコミックでの収益に頼ってたトコがあり、手塚氏本人が“子供達のため”という一言でアニメの制作費を(人件費無視して)格安で放送業界やスポンサー企業に提供してたことが仇となり、債務超過に陥ったのである。この傾向、実は今もアニメ業界では頻発している話で、未だに放送業界、あるいはスポンサーとなってる企業が、アニメ制作に関して“低評価”してる背景にある訳で、そういった意味では、手塚氏がやっちまったことは、罪が深いのである。

しかし…考え方を変えれば、“クリエーターを名乗るなら、自前で仕事取ってこい”というスタンスだと、これほど有難い話はない。なぜなら、同人活動に関する規制が無い分、様々な模写やパロディが制作される訳であり、それを通じて“オリジナル”となる作品も評価されるようになれば、相乗効果で作品が世に知れ渡りやすくなる訳であり、ひいては原作者、そして同人作家自身双方が、それぞれの立場で仕事を取ってこれる訳である。だから、ラノベを原作としたアニメが制作されたり、そのコミカライズ版が出版されたりする訳である。それを実写化したり演劇用にアレンジしたりする訳だから、いかに多種多様な作品が、しかも欧米各国からしたら“信じられない”格安価格で提供されているから、“日本のサブカル怖るべし”…ってなる訳である。

昨今でこそ“製作委員会”形式でのアニメ制作が増えてるが、実はコレも、こういう形式にして著作権による収益を、分配するために作られた枠組みなんだけど、昔ならコレを、映画配給会社や放送局が、アニメ制作会社や声優の所属事務所の意見を無視してダンピングしてた訳であり、グッズ販売に関しても“アニメ=子供向け”で展開してたんで、視聴率が良くてもスポンサー企業の売り上げが悪いと“放送打ち切り”なんてのは日常茶飯事だった訳である。そこんトコが一変するのがサンライズ(昔は日本サンライズ)制作のロボットアニメなのであり、その中でも“銀河漂流バイファム”は、アニメファンから高評価されたのに、スポンサーからは滅茶苦茶嫌われた作品として酷評されたのである。(そこいらの経緯はwikiとかで調べてくれw)つまり、グッズ販売も“スポンサーの意向”が優先だった訳で、だから“聖闘士星矢”のグッズに関しても、十二宮編までのデザインが、原作のコミックと全然違ってたのは、フィギュア自体も“子供向け”という意向があったからである。(流石に時代の変化に則すように、アニメ版オリジナルのアスガルド編以降は、原作に近いモノに変更になるけど…)

では、なんでサンリオキャラクター…特にハローキティは“仕事を選ばない”のか?既に答えが出ているが、その“原作者”のクリエーター自身が、ある意味“自前”で管理してるからである。言い方を変えれば、サンリオはあくまでキャラクター斡旋の“窓口”であり、各々のキャラクターグッズの販売自体、キャラクターを制作したクリエーターに支払ってるトコがある。故に、サンリオで販売するグッズ以外での“キャラクター使用料”は、企業としてのサンリオと、個々のクリエーターで“折半”してると考えていい。だから、作品点数が多いクリエーターは、サンリオを介して他業種への売り込みをかける訳であり、“サンリオブランド”だからこそ、マイナーな作品でもスポンサーとなる企業が気に入れば、それだけで収益を得られる訳である。逆を言えば、ガチガチにサンリオが全てのキャラクターの著作権を管理し過ぎると、収益を上げるどころか使い勝手の悪さから、どこも採用しなくなる。そうなると、せっかくデザイン的に優れた作品があったとしても、敬遠された挙句、原作者のクリエーターが“喰えない”状況に陥る…そこを回避するためには、クリエーター自身が“仕事を取ってくる”方向へ舵を切る必要がある。だからこその“キャラ総選挙”とかのイベントが開催されるのであり、そこで目に止まった企業や団体がキャラクターの使用許諾を申請すれば、次の収益につながる訳である。その結果、世の中に、ありとあらゆる“キティグッズ”が氾濫する訳であるw

だからこそ、著作権管理の概念が、日米で全然違うからこその摩擦が生じる訳であり、その“正体”を見破ると、日本のクリエーターが“なかなか育たない”理由と、アメリカのクリエーターが“面白味がない”理由が明確になる…企業で包括管理すれば、確かに生活は安定するが、個々のレベルが単一化すれば、つまらないコピペばかりで発展が見込めない。どっちが“正しい”のではなく、要は“商いとしての活動”に対して、どんだけの対価を“どこに求める”かの差である。