迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

核開発の果てにあるモノ…

本来なら堺市長選挙の話でもしたいトコだが、オイラ的にはどうでもいい話(すでに堺市民じゃないw)なんで、コレはTwitterでボヤくとして、北朝鮮のやってることを、ちょっと精査しておこうかと思う。ご存知の通り、北朝鮮では連日、“宣戦布告”といわんがばかりにICBM発射や核実験をやってる訳だが、日本はなぜ、8月末のICBMに迎撃行動を取らなかったのかについて、ぶっちゃけ論を言えば、ICBMの軌道計算上、直での“被害が出ない”という前提があったのと、着弾地点的に“日本人が犠牲になる確率が低い”ってのがあったのではと推測される訳で、また、当時は多くの漁船が着弾推測地点で操業してたようなんだが、この中に日本国籍の漁船があったかどうかは定かではないし、万一そこに中国やロシアの漁船が航行してて被害を受けたら、真っ先に中ロが手を取り合って“フルボッコだドンw”ってことになる可能性の方が高いw つまり、そういうことである。

さて…核実験をやって、ICBMに水爆を搭載させ大気圏上に“黒い雨”を振らせようというバカゲタ話が報じられているが、悪いが、ヒロシマナガサキの“現状”を見て言ってる?確かに“一瞬”で街を崩壊させることはできるけど、そのまま“消滅”したっけ?広島市の今を見て、72年前に落とした原爆は、戦争における“決定打”になることはあっても、その地域が、自然が、完全に滅して“死の区域”にはならない…いわんや、チェルノブイリや福島の原発事故で、実際問題として、そこに生物が住めない“死の世界”が広がってる?よく考えて欲しいけど、むしろ人間が入らなくなったことで、耕作放棄地は雑草だらけになってるし、森林はさらに深く茂ってる上に、野生動物が元気に闊歩してるのを見たら、全く真逆の答えになってるんじゃないのかな。人間が適度に手を加えるからこそ、実は自然ってのは維持されるのであって、どっちか一方が過度になれば、そのアンバランスさ加減で歪になるだけで、いろんな意味で“正常”なんだよな。逆を言えば、保証や支援がないが故の不安が、こういう“恐怖”を助長させてるだけで、予測できない未来が怖いからといって避けてきた結果が、机上の空論のみが先行し、現状から目を逸らしてバカにしてる訳だ。

正直言えば、他人の勝手な都合で、自分の命が消される恐怖は、誰の感情にも根底にはあるモノであって、それは覆されない真理だと思う…が、それを確定させる要因は様々でも、決定権は誰にもない。それこそ運任せであり、この瞬間を“臨終の時”と悟れる度胸があるかどうかである。故に、相手がどんなに自分を潰そうと躍起になって暴れても、ただ“立ち上がれ”ばいいだけの話。自分にまだ、その余力がある限りは、何度も殴られる…が、どんなにサンドバッグを殴っても、自分の拳が痛くなったらやめるし、ゾンビのごとくフラフラでも反撃の余地があると相手が判断したら、その恐怖心から攻撃そのものがデタラメになりすぎて、却って相手の方がバテるモノ。死なない限り…否、本気で“諦めない”限りは、誰だって必ず立ち上がることができる。真の意味で“死”とは、自分の結果に納得しての眠りか、単に精根尽きた果てに呆れて倒れるかのどっちかでしかない。前者は自分が望んだ結果だからこその話であり、後者は単に周囲に振り回された果ての疲労である。同じ死に様でも、未来を信じ託すのと、絶望して瓦解するのでは、大きな差になる。

今から60年前、たった一人の宗教者が、横浜の三ツ沢競技場で叫んだ“原水爆禁止宣言”…そこには、核保有国を一瞬にして震え上がらせた言葉がある。それは、

“核を使うことは、悪であり魔物の所業であり、いかなる人類の生命尊厳を脅かす行為である”

つまり、核兵器を使うのであれば、その時点で、いかなる理由があっても“人類の敵”であり“世界の敵”であるという意味である。国連加盟国であろうが、国際的革命組織であろうが、そして、優秀な民族であろうが関係なく、自己の誇示のために、あるいは、国民に対して“力の象徴”として核兵器を用いることは、守銭奴な商売人よりも“クズな存在”と言い放った訳である。当時、マスメディアはこの言葉を報じるのは皆無に等しかったが、時を経て、創価学会(というより、池田大作の存在)が世界的に知られるようになると、その言葉の重さゆえに、核保有国がつまらん意地の張り合いで核を使用する行為に躊躇するようになったのである。いかなる人類、民族をも救うという創価の理念に立てば、仮に一発でも核弾頭を搭載したICBMをどこかが放てば、その時点で、“討つべき魔物”確定である。それが北朝鮮であろうが、アメリカだろうが関係ない…使った時点で“全人類の敵”なのである。明確で非常に強い非難であり、核保有国の為政者のみならず、その国民全てに対して突きつけた、人間としての“正義論”である。

だから敢えて、核保有国すべてに尋ねる…今、その手に所持してる核兵器、いつ使う気ですか?それは、なんの為に、どこで用いる訳ですか?本気であなたたちは“世界平和”のために核を使うつもりですか?

いかなる言い訳をやったとしても、オイラは学会員として…否、戸田城聖の遺訓を引き継ぎし存在として断言する。あなた方は、この世に存在してはいけない、全てを引き換えにしてでも潰さねばならない“邪悪な存在”だと。