迷馬の隠れ家 はてな本館

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NHKアナの功罪…方言と標準語の話。

昨日のTwitterで、“わろてんか”の話題に触れた際に、関西弁に関する話をやったら、結構エキサイトした挙句、そのきっかけの発言に関して“プチ炎上”状態になっているw “炎上”と言っても、いい意味での話であり、批判や侮蔑の類ではない。ドラマの内容に関して言えば、おそらくベースは、吉本興業創始者に関わる話と考えれば、吉本芸人好きな関西人なら自ずと察しがつく。(逆をいえば、松竹芸人派の関西人なら“また吉本か…”って話w)ただ…脚本書いてる人がイメージする“上方芸能”なので、ガチな関西人には、ちょっと不服な内容らしい。(後でNHKオンデで内容確認すっか…)

で、ここからが本題…昨今、芸人のみならず、多くのタレントやフリーアナが“お国言葉”で喋る場面が見られるようになった訳だが、ここに至るまでには、実は“あるきっかけ”がないと、“方言”を日常会話や表現として用いる事が出来なかったのをご存知だろうか?関西弁のみならず、様々な方言が、メディアを通じて発信できる環境になるまでは、教育現場ですら、“標準語”以外の日本語表現に関しては、事実上禁じられてた時期があるのだ。

なんで教育機関に“方言禁止”の通達があったのかと言えば、そもそものきっかけは幕末の薩長同盟あたりまで遡る訳で、それまでは、同じ“日本”という国にいながら、住む地域や環境の違いで言語がバラバラだった訳である。今でいう“方言”って概念も、そもそも、地元と外様という概念から来るモノであり、同じ“関西弁”と言えど、住む国が違えば全然通じない事が多々あって、所謂“大阪弁”ってのも、北摂と河内、泉州では、発音や意味合いが全然違う。それでもなんとか通じ合えたのは、行商人…要は“船場言葉”という商用共通言語が開発されたことによるトコが大きく、それによる取引会話が成り立ってたからこそにある。(と言っても、流石に近江商人との会話になると、かなり話が通じないこともあった様だが…)故に、隣国同士でも話が通じない事がよくある訳で、これが遠方の国と“同盟”を結ぼうとなると、ガチで“お国言葉翻訳”が必須となった訳である。そこで、現場での意思疎通をスムーズにするためには、言語の“共通化”が課題となった訳で、明治維新の際、長州弁と薩摩弁を軸に、“言語の標準化”を推進することになる訳であり、薩長同盟江戸幕府相手に勝利した最大の理由も、コレが上手くいったからである。簡単に言えば、言葉のグローバル化を、いとも簡単にやったのがこの時期であり、以後、日本国民であれば、日本中どこにいても会話が成立するように“言語の統一化”を、教育現場でも用いるようになる訳である。だから、方言を使わなくても意思疎通ができるよう、言語をできるだけ統一しようという国語教育が一般化した訳である。当然だが、ラジオ放送が始まると、全国にその言葉が電波を通じて伝わる訳だから、ますます“単一言語”としての日本語…標準語の普及が急がれた訳である。

ただ…それ故の弊害として、文章としてなら通じても、発音まではどうにもならないトコがあって、それがのちに、話芸やナレーション等の“言葉の職業”における偏見や地域差別が頻発する原因となる。特にアナウンサーに関して言えば、戦後、多くの民放局が開局するにあたって、そのアナウンス技術を学ぶのに、NHKのOBや現職が講師として招聘される訳で、その多くが、関西人にとっちゃ屈辱的とも言えるモノだった訳である…そう、NHKが推奨する“標準語”発音とは、主に首都圏(特に南関東)で通用する発音であって、関西流イントネーションや表現は“NG”とされた訳である。このことに関して警鐘を鳴らしたのが、後に関西出身のアナウンサーの師匠として君臨する生田博己アナであり、先日亡くなられたABCの中村鋭一アナである。しかし、その意見は長年、放送業界のみならず、文部省(現:文科省)ですら無視され続けたのである。その事が原因で、地方出身のアナウンサー志望者が“言葉の壁”にぶつかって夢散する訳であり、また、なんとかアナウンサーとして放送局に入社できても、その発音が修正(=東京アクセントに適合)出来ずに、他部署へ異勤するハメになった。特に関西弁は、在京放送局ではかなりバカにされ、故に多くの関西出身アナが長年、ナレーションなどの仕事に就けないまま“塩漬け”になる事が多かった。それが更に酷くなるのは、70年代のテレビでの関西芸人に対するイメージが、そのまま“関西のイメージ”と勘違いされるようになり、そして80年代のバラエティー番組での“関西人=芸人的ノリ”という印象操作である。ま、大阪発の番組そのものが、吉本芸人か松竹芸人による体当たり系バラエティーが多かったことも一因にはあるが、そこに輪をかけて関西弁でゴリ押しして活躍したのがABCの“ハデコテの権化”だった乾浩明アナであり、“KTVの問題児”こと、桑原征平アナであった訳であるw

だが、80年代末ぐらいに、その流れが一変する出来事が起きる訳である…それが当時の近鉄バッファローズにいた野茂英雄投手が、米メジャーリーグのロサンゼルスドジャーズにFA移籍することになったことで、その活躍ぶりを報じるニュースが増えたことから始まるといって良い。というのも、それまではドラマの演出とかで“方言”を用いる事があっても、情報番組などでは、未だに“方言NG”な状態が続いてた。が、“NOMO"という発音が、東京のアクセントでは“別の意味(“飲もう”とか、“野も”とか…)”になるため、関西人のみならず、多くの野球ファンからNHKや在京放送局に“総ツッコミ”が入った訳である。つまり、人名や地名は“お国言葉”でないと通じないという事が、ここで露呈した訳である。言い方を変えると、文章としての“標準語”は有能でも、言語としての“標準語”は、あまりにも東京偏向し過ぎた弊害で、地域によっては意味そのものが通じなくなるという“欠点”が、ここで認識された訳である。そして90年代に入る頃に、やっと文部省も、言語学として方言を否定する事が間違いであることに気付き、方言による国語教育も認められるようになった訳である。当然だが、アナウンス技術の分野でも、NHKを中心に改まる訳であり、今までなら在阪局であっても“東京発音”を基準としたアナウンスを是としていたのが、“方言も個性”として取り扱われるようになった訳である。

このように、“言語の単一化”をやったのは良いが、結局“話し言葉”としての言語を単一化すると、却って相手に伝えたい事が“伝わらない”という弊害が出たからこそ、国語の指導要綱に“方言での指導”も認められるようになった訳であり、“言葉の多様性”が、さらに豊かな言語文化を育んでいくという概念が生まれた結果、様々なメディアで方言が飛び交うようになった訳である。当然、日本語以外の言語に関しても、かなり寛容になった訳である。とは言え、それ故の弊害として、一部言語の表記にすら目くじら立てて排斥しようという輩が湧いていること自体、コレはコレで別次元での問題になっている訳で…(ry