迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

純喫茶“It's Me Cafe” 2017 1杯目

マーティ(以下テ):それにしても、今年は冷え込むのが早いなぁ…近畿中部でも、最高気温が10℃に達してないって、どんだけだよ?
エルハ(以下エ):そうなると、やはり温かい飲み物やスイーツが欲しくなるわよね。今日はこの時期ならではの“焼きリンゴ”のタルトでもいかが?
テ:それって、普通のアップルパイだろ?
エ:パイ生地で全体を包んでオーブンで焼けばそうなるけど、あたしから提案するのは、ちょっと贅沢&意外と簡単な作り方。
テ:え、なにそれ?
エ:市販のタルトケースに、カスタードクリームを流し込み、スライスしたお好みのリンゴをバターを溶かしたフライパンで焼き、それをクリームの上に乗せてグラニュー糖とシナモンを振ったら、バーナーで軽く炙れば出来上がり…クレームブリュレとアップルパイの中間な食感と、出来立てもいいけど、冷たくしても、熱々のコーヒーと一緒に食べるのも美味しいわよ。
テ:それなら、“ジンジャーカフェラテ”もアリだね。紅茶でもそうだけど、生姜パウダーを一振りしたカップにコーヒーを注ぎ、スチームで泡立てたホットミルクで割れば、身も心もポカポカな一杯になるよ。
(カランコロン…)
エ:あら、いらっしゃい。
ハルトラ(以下ハ):まいど、今日のオススメセット、かまへん?
テ:その注文の仕方、下町の大衆食堂じゃないんだから、どうにかできない?
かつみさん(以下巨):ま、いいじゃんか。マーティ、コーヒー…豆はモカ・ダマリで。
エ:すぐにご用意しますわ。
ハ:なんか最近、ワイの息子がSNSで、一部のユーザーから叩かれてるって話を、マスター経由で知ったんやけど、アイツ、何やったんだ?
巨:その件で言えば、お前さんも込みで叩かれてるっぽいって事だよ。ただ…これは僕の主観だけど、SNSで“意見”を発するのはいいが、自分の意と解さない相手だからと叩くのは、自分の意見を“否定”してるようにしか思えないな。
テ:そうですね…ハルトラさんトコの大助クンに関して言えば、創作落語が一貫して“平和”を訴える内容の噺なのですが、それがどうも、一部の左寄り系からは、戦争に関する“賛美”だと勘違いされてるトコがあるようですね。
巨:タイトルや内容を考えると、そりゃ、勘違いされるな。だが、その理屈だと、若かりし頃のさだまさしの楽曲に対する批判と、ほぼ同じだね。
ハ:へ?どういうこっちゃ。
巨:はっきり言ってしまうと、見た目や作風に関して、当時の音楽業界や世間は、なかなか受け入れ難いモノだったってことさ。特に“防人の詩”って曲…本来はさだ流の“反戦歌”なんだが、題材自体が国防に赴く兵士(防人)を描いてるモノだから、一部のアーティストかぶれから、的外れもいいトコな批判されたんだ。
ハ:…なるほど。つまり、鹿屋特攻隊やひめゆり学徒隊の話を題材に、創作やったんかいな。まぁ…ああいう連中は、絶対に触れてほしゅうない話題やし、どこまでも“悲劇”として封印したいネタやからな。ワイも本音で言えば、取り扱ってみたい題材やったさかい、ようやるわと思うでw
テ:え、ハルトラさんでも、戦争に関するネタを、創作落語でやってみたかったんですか?
ハ:せや。けどな…ワイの場合、どうしてもテレビでのイメージ上のキャラに反するさかい…って事で、取り扱おうとは思わなんだ。けどな、“反戦”を掲げる以上は、絶対に避けて通られへん部分やと思うんや。
巨:だろうね…我々の場合、子供心に軍人に対する“憧れ”が存在してるし、戦後、それを“憎しめ”と洗脳されたトコがあるからな。その“歪み”が結果として、普遍的な価値観を共有できない。
テ:ああ、確かに…ボクの親友も、そういう気概があって、それで学生運動に走った事がありましたね。ボク自身は、むしろ、ちゃんとした時系列を学んだ上での批判はすべきだと考えてたんで、逆に冷めてましたね。
エ:そうね…感情に流されてたら、事の本質を見抜けないどころか、その“些細な理由”で躓いた事で、成し遂げるべき本懐を忘れてしまいますわ。
ハ:“今”という瞬間ってモンは、“過去”からの積み重ねであって、そこに嘘偽りが紛れ込んでもうたら、それこそ、歴史の中で“パラレルワールド”ができてしまう…落語や小説などの“芸事”として、史実の一部を誇張する事はあっても、だからと言って“真実”を捻じ曲げたらアカン。特に戦争に関することにおいて、敗戦国だからと言って、祖国を守ろうと命をかけた英霊に一瞥も呉れないってのはおかしいし、戦勝国だからみんな奪い取って、歴史上から存在そのものを消去する権利もあらへん。もし、そんな事が許されるのであれば、それこそ、戦争が世の中から消えることなんてありえへん…存亡の危機に駆られるがままに、さらなる非人道的な戦法が使われるだけや。
巨:そうそう…“対話”で物事を解決させる事ができるというのは、分相応に“傷付け合う”事を意味するんだよな。相手の“痛み”を知り、自分の“痛み”を知ってもらうために、時として議論があらぬ方へ転がって、感情的になった上で殴り合うなんてのは、よくある事なんだよ…それが国際レベルで軋轢が酷くなり、相互理解ができないほどの感情に流されたら、最早誰も止められないし、全てを失うまで火の海が静まる事なんてあり得ない。それを回避するために、時として双方での“忖度”ってのが必要になる。
テ:そういった駆け引きを、あまりに“汚い”として嫌うあまりに、結果として自分の手が血で染まる事態になる…と。
巨:そうだよ。一見すると姑息で卑怯な事かもしれないが、そうやって相手に譲る事も時として必要な事だし、仮に、自分の主張が正しくても、それが原因で事態が余計に悪化したら、それこそ、その責任は、主張した本人自身に降りかかる。だから、“対話”において重要なのは、相手の話に伸るか反るかであり、その決断に対して、結果的に誰が責任を負うかは、その場にいる者全員に降りかかる事なんだよ。
エ:そういう風に考えると、SNS上で暴言を吐いてる人達って、人間として精神的に未熟なのかも…
ハ:言い得てまんなぁ…自分の“思い通り”にならへんかったら、それ故にダダ捏ねるんは、乳幼児の行動そのものでんがなw